ものごとを「大きな視点でとらえる」とはどういうことか?
それは、その裏にある「作為的な意思」を感じ取ることだ。
以前、ある本で「タバコはマーケティング上、最適な商材だった」
という話しが取り上げられていた。
ビジネスにおいて「良い商材」の条件は「リピート性があること」
である。つまり、一人の顧客が、同じ商品を、長期間にわたり
ずっと買いつづけてくれることが、安定的な収益を生み出す土台になる。
そのような意味では、タバコという商品は、とてもリピート性が高い商品だ。
一度吸うと、そう簡単にはやめられなくなる。死ぬまでリピートして
吸いつづけるのだ。だから買いつづけるしかない。
つまり、タバコを売る人間から見れば「ずっと売れつづける超ロングセラー」
な商材なのである。歴史上、はじめて「タバコを吸う」という習慣を
持ち込んだ人間は、その事実に気づいていた。だから莫大な宣伝費を
かけて「タバコを吸うことはカッコいいことだ」という概念を市民に植え付け、
永遠にお金を払いつづけてくれる超リピート優良顧客を量産していったのだ。
このように考えてみると、タバコを吸っている人はつまり
「タバコ販売というマーケティングの仕組みに取り込まれている人」
だと定義することもできる。最初にタバコを持ち込んだ人が
『この商材はリピートになる!一度中毒になれば絶対にやめられない』
という事実を知っていて、それでもタバコを広めたとなれば、
もはや歴史上の確信犯なのだ。
タバコを吸っている人をみたとき
「なぜこの人たちは吸い始めたのか?」
「そもそも、世界で最初に吸った人間は誰なのか?」
などを突き詰めていくと、それはもしかしたら、
ビジネス上の策略で、スモーカーたちはそれに利用されているのでは?
という疑問に辿り着く。タバコの裏にある「作為的な思想」が感じ取れる。
そして、この「作為を見抜く視点」は、タバコだけでなく、
日本全体の成り立ち、政治の方針、世間の常識を紐解くときにも
大切な視点なのである。
たとえば、これまでの日本の教育は、あきらかに「サラリーマンを量産する」
ための教育だった。その証拠に、義務教育において「投資」や「株式」に
関する授業は一切なかった。本来必要とされる起業家教育は皆無。
だから「親が商売をやっている」という家庭に生まれた子供にしか
「商売魂を学ぶ機会」は与えられなかった。
では、なぜそのような「サラリーマン量産体制」を前提として
学校教育のカリキュラムが組まれたのだろうか?
それは「サラリーマンは税金を取りやすい職業」だからである。
つまり、政府にしてみれば「安定した税収入」を得たいわけだが、
そのためには、サラリーマンの源泉徴収が欠かせない。
だから、サラリーマンを量産せざるを得なかった。
しかし、ここに来て「サラリーマン増税」の話しが出てきた。
逆に考えれば「これまでサラリーマンは給与所得控除で恵まれていた」
とも解釈できる。安定した税収入を得るためには「薄く広く取る」という
思想を守っていたのだろう。
もちろん、サラリーマン増税によって退職者が増え、個人事業主化する
人たちが増えれば、政府は「源泉徴収による安定収入」を事実上失うことになる。
そして、それを避けるために、今度は「労働基準法」によるサラリーマンの優遇を実施。
企業が簡単に社員を解雇できないように「会社都合の退職理由」を厳しくしてきた。
このような流れを総合的に見ると、政府の考え方としては
「サラリーマンはこれから先も、ある一定量は必要。
でも税制的な優遇には限界があるから、労基法で優遇することで
サラリーマンであることのメリットを享受してもらおう」
という方向性なのでは? と解釈することもできる。
それが事実かどうか? はさておき、
大切なのは、つねに「裏側にある作為的な思想」を見抜く視点を持つこと。
タバコにしても、法律改正にしても「なぜ、そのようになっているのか?」
「何のためにそうしたのか?」を突き詰めれば、それをやる意味が分かってくる。
ホンネが見えてくる。
このように、つねに「何か裏があるはずだ」という疑いの視点で
世の中を観察してみると、それまで見えていなかった情報が見えてくるようになり、
今後の将来予測も立てやすくなる。このような視点を強化したければ、
常日頃から「疑ってみる」という姿勢が大切。裏の裏まで読むぐらいの貪欲さが求められる。
(次回につづく。)
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