先日、書店で「社員が監視される時代が来る」という旨の本を見かけた。
インターネットのアクセス監視だけでなく、
メール検閲や監視カメラ、ディスプレイモニタなど、
ありとあらゆるシステムで、社員の会社での働きぶりを
すべて把握しようというのだ。
そのうち、電話の内容や会議での発言も
すべて録音されるようになるかもしれない。
もはや、社内にプライバシーは存在しなくなる。
そんな時代が来るという警告だ。
私たちは、今でこそ、街中で監視カメラが回っていることに
それほど抵抗を感じなくなった。
高速道路、繁華街、駅のホーム、コンビニ。
『撮影されるのは当然。犯罪を抑止し、自分たちを守るためには
必要なシステムだ。』そう解釈することで、窮屈な感情を緩和しようとしている。
たしかに、犯罪抑止という国家的大義名分を考慮すれば、
街中でのプライバシーが多少犠牲になることはしかたない。
もし、自分が犯罪の加害者として疑われたとしたら、
どこかの監視カメラが、自らのアリバイを示す証拠になるかもしれない。
だが、それはあくまでも、社会福祉的な考え方に基づく監視であり、
少なくとも「利益追求」を目的とはしていない。
そこに「国家」と「企業」の大きな違いがある。
企業は、国家と違い「利益を出すこと」が求められる。
もちろん、社会貢献という大いなるビジョンも必要だろうが、
それを達成するためにも、まずは稼がなければ話しにならない。
では、企業は何のために社員を監視するのか?
それが「稼ぐため」だと言うのならば、
その監視行為が、本当に会社に利益をもたらすのかを
真剣に考え、冷静に分析しなければならない。
監視には膨大なコストがかかる。
システムの導入、管理者の人件費、
企業規模によっては、数千万円を超える投資に
なるだろう。おいしいのは、監視システムを販売する会社だ。
『社員を監視しないと、仕事をサボりますよ。
だから監視システムを導入して、社員をもっと働かせましょう』
というキャッチコピーで、高いシステムをバカな経営者に販売するのだ。
もちろん、その投資が「利益を生む」のならば、
それはビジネスとしては正しい判断と言える。
だが、社員を監視することが、利益を生むことに
どう関連するのか? そのプロセスを明確に説明できなければ、
監視システムは経営者の自己満足または自己顕示欲の象徴に終わる。
たしかに、一時的には「サボる社員」がいなくなるので、
売上は上がるかもしれない。だが、長期的な視点で見れば、
社員のモチベーションは下がり、人間性は失われていく。
結果ではなく「監視カメラに映っている姿」で評価が下されるのならば、
社員の目的は「カメラ映りを良くすること」に集中する。
だれも売上をあげようなんて考えない。ただ、仕事をしている芝居を
するだけだ。演技である。
冷静に考えれば、どんなに監視システムを強化しても、
すべての社員を完璧に管理することなどできない。
それは、管理する側も人間であり、社員だからだ。
完璧な人間は存在しない。だから完璧な管理者なんていない。
つまり、完璧なる監視などできない。
そもそも、監視を強化したところで、売上が伸びなければ
まったく意味は無い。
社員一人がどれだけサボっていたか? よりも
社員一人がどれだけ儲けたか? にフォーカスしなければならない。
それができないバカな経営者ほど、安易にシステムに頼ろうとするのだ。
本来、社員のやる気を出させたりモチベーションを高めたりするのは
社長の仕事である。社長がビジョンを社内に浸透させる努力をしないから、
社員の意識が四方八方に分散してしまうのだ。
それでも、監視システムを強化したほうが儲かるというのならば、
たくさん導入すればいいだろう。
だが、私なら、例えば株式投資においては、
「監視システムを導入している会社」の株をすべて売り、
「監視システムを販売している会社」の株を買いあさるだろう。
そのほうが儲かるからだ。システムに依存する企業に未来は無い。
(次回につづく。)
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