2005年08月31日

他人が作った仕組みを拝借して効率を上げる

PCを二台以上利用している人にとって、
個人データの移動や管理は、とても面倒な課題だ。

私の場合も、USBのメモリなどを利用しているが、
外付けメモリと、PC内部とのデータの連動、整合性には
気を使っている。どのファイルが最新版で、それが
どこに入っているのか? それをきちんと把握しておかなければ、
古いファイルを上書きして、新しいファイルを消してしまうなどの
大きな問題を引き起こす可能性がある。

実際には、PC内のフォルダをまるごとUSBメモリにコピーする
などの処理が通常だろうが、データ量が増えてくると、そのコピー時間も
膨大なものになり、また、それが毎日の作業となれば、かなりの時間を浪費する。

しかし、その問題を解決するための便利なフリーソフトはたくさんある。
ダウンロードサイトで「バックアップ」などと検索すれば、
「差分のあるファイルだけを自動で判断して上書きするソフト」
などが無償で提供されている。それを使えば、データのバックアップや
整合性を取るための時間が大幅に短縮できるのである。


このように、私たちが日々「不満だ」と思っていることは、
きっと、自分以外の人間も、同じように不満だと思っているはず。
だとすれば、その不満の解決策は、すでに誰かが考え出し、
その対処方法を実施している可能性が高い。

PCのデータバックアップの問題にしても、それと同じ悩みを
抱えている人がいるからこそ、フリーソフトが開発され、配布される。
最初にそのソフトを作った人は、誰よりも、その問題を解決したいと
願っていた。その結論が、ソフトウェアという形で提供されている。

さて、ここでも、あなたが「ソフトウェアエンジニア」ならば、
どう考えるだろうか? 「バックアップが面倒だ」という課題を解決するために
『自分でバックアップソフトを作ろう』と考えてしまうかもしれない。

たしかに、何事も自分で解決しようとする姿勢は大切である。
しかし、その行為は必ずしも『他人よりもすぐれたものを開発できる』という
保障にはならない。

最初は誰もが「自分が作ったほうが、もっと良いものが出来る」と
思ってしまう。自信があるからだ。
しかし、実際に作ってみると、いろんな問題に遭遇し、
やがて「やっぱり他人が作ったものを利用させてもらった方が早い」
という結論に達するかもしれない。

多くの人間が考えることは、そんなに大きく違わない。
つまり「自分と同じようなものを作っている人間がいる」
という大前提に立つならば、他人が作っているものをわざわざ
自分で作ることは、時間の無駄なのである。
つまり「他人から拝借できるもの」であれば、それを遠慮なく拝借し、
自分はもっと別の作業をやる。そのほうが人生の効率は良くなる。

これは、フリーソフトに限らず、会社のルールや仕組みにもいえる。
多くのサラリーマンは、自社の方針やルールに不満をもっているから
『もし自分が経営者ならば、もっと違うやり方、ルールを適用するのに』
と考えてしまう。もちろん、それで実際に上手くいくパターンもあるだろう。
だが、多くの経営者は「そうせざるを得ない理由」があるからこそ、
そのような仕組みをつくり、ルールを作っている。
つまり『今の仕組みよりも、もっと優れたものを自分なら作れる』
というのは、確率的に見ても、相当難易度が高いのである。

だとしたら「会社のルール」については、とりあえず誰かが作ったものを
そのまま拝借しておけばいい。わざわざ自分で作るほどの時間的余裕があるのならば
それに取り組むのも良いだろうが、多くの人は「会社のルールを作ること」を
人生の目的にはしていない。もっと別の「成し遂げたい何か」があるはず。
会社は、その夢を実現させるためのツールに過ぎない。

忙しい私たちが、人生を効率良く楽しむためには
「他人が作ったソフトウェア、仕組み、ルールを拝借する」という
図々しさも必要なのである。なんでもゼロから自分で作っている暇は無いし、
それが「優れたものを作れる秘訣」だとも限らない。
道具は利用する。他人が作った道具でも遠慮なく借りる。
それが、人生の成功スピードを加速させるための極意なのである。

(次回につづく。)

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2005年08月29日

規制は善なのか?悪なのか?

ツタヤ(レンタルCD)に行って、借りたくても
借りられないCDがある。それはコピーコントロールCDだ。
パソコンへの取り込みが出来なくなっている。
だから、レンタルしても、iPodに取り込めない。

以前は、MDにダビングして通勤中に聴くスタイルだったが、
最近はPC→iPodなので、PCに取り込めない時点で
「どうせ通勤中には聴けない」となり、借りる対象から外れる。

聞くところによると、あらゆるツールを駆使すれば、
コピーコントロールCDでもPCに取り込めるらしいが、
あまり面倒なことはしたくないから、どうしても「借りない」
という選択肢を選んでしまう。つまり、そのアーティストの
音楽は「聴きたくても聴かない」となる。

これは、レンタルだからとか、そういう問題ではない。
正規のCDショップで定価で購入したとしても、
iPodに取り込めないという現象は変わらない。
ポータブルCDプレーヤーを持っていなければ
移動中に聴けないという問題は解消しないわけだから、
結果として、CDを買う理由がなくなってしまう。

本来、コピーコントロールCDとは
「パソコンやCDRによる不正コピーの防止」
を目的として開発されたものだ。
だが、その機能が、ときとして
「きちんとお金を払って聴こうと思っているユーザー」
の心も遠ざけているという事実を忘れてはならない。

本当にファンのアーティストのCDならば、
人はお金を払って正規で買う。
逆に「タダでコピーしてもらうなら聴くけど、
自分でお金を払ってまでは聴かない」というユーザーな、
もともと、それほどファンではない。
だから「コピーコントロールにすれば買うか?」といえば、
それは違う。どちらにしても買わないのである。ファンの心理とは
そういうものだ。

多少なりとも「ファンの心」があれば、不正コピーのCDで
聴いている自分に対して罪悪感を抱く。
そのような状態で音楽を聴いても楽しくない。
音楽は「人生を楽しくするための娯楽」なのだ。
そこにマイナスの感情を生み出す要素を取り込むぐらいなら、
気持ちよくお金を払って聴きたいものだ。

不正コピーの問題は、音楽CDに限らず、映画DVDにもいえること。
最近、映画館では、この海賊版DVDの撲滅キャッチコピーとして
『私たちの映画が汚されている。私は観ない、私は買わない』
というフレーズが利用されている。
行動そのものを規制するのではなく、
人間がもっている罪悪感に直接訴えかけるアプローチだ。
本当に映画を愛してるなら、海賊版を見てはいけないという意識付け。
これと同じように、音楽業界でも、コピーコントロールとは
違ったアプローチでの不正コピー防止策が展開できないものか?

コピーコントロールCDを開発したことで、
CDの売上が伸びたのか?落ちたのか?
は分からないが、少なくとも、私のようなiPodユーザーや
「音楽はパソコンで管理する」というスタイルの人にとって、
コピーコントロール機能は不便なものであることは事実。

すべてを「できないようにすること」だけが全てではない。
「やらないようにする」にはどうすればいいか?
北風と太陽でいう「太陽」的な考えに基づき、
秩序を守っていく。その姿勢は、会社組織においても大切なこと。

社員を無意味に監視したり、規制したり、規則を強化するのは簡単だ。
だが、それで問題のすべてが解決するとは限らない。
社員一人ひとりがもっている「モラル」を信じなければ、
組織の統率は不可能。
以前「社員監視時代」という書籍があると、このブログでも
取り上げたが、このような方向に走る経営者が増えると、
会社組織自体がとても使いづらく、息苦しい空間になることは事実。
それで「欲しい結果」が得られるのならよいが、そうなる保障はない。
経営者にとって「欲しい結果」とは「売上アップ」だろう。
だが、逆に売上が下がることも予想される。社員のモチベーションが
下がるからだ。

音楽CDの不正コピーをゼロにすることは難しいだろう。
だが、それを減らすためのアプローチは1つではない。
規制するだけがすべてなのか? それとも、別の方法があるのか?
時代の流れ、ライフスタイルの変化を見極め、最適な選択肢を探す。
それが経営者に求められた使命。

社員管理においても、ただ、なんでも「規制」するだけが方法ではない。
今、自社の社員がどのようなスタイルで、どのような問題を抱えているのか?
それを冷静に見つめない限り、経営者の未来は無いといっても過言ではない。

(次回につづく。)

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2005年08月26日

道具は使い方次第でプラスにもマイナスにもなる

以前、年末に祖母の実家に帰ったときの話し。
家族みんなで夕食の鍋を囲んでいると、
テレビのニュースで「中学生がバタフライナイフで刺殺」
という事件が流れた。

そのとき、祖母が発した一言。
『お箸一本でも、凶器になるんやからね』

バタフライナイフが悪なのか? それとも使う側の問題か?
道具は、使い方によって、善にもなるし、悪にもなる。
ダイナマイトは、トンネル掘削にも使われるし、テロのビル爆破にも使われる。

けっきょく、どんなに便利で有益な道具が開発されても、
それを悪用する人間がいるかぎり、その使用方法が引き起こす
社会的な問題は、避けてとおることはできないだろう。

これは、インターネットなどの社会的インフラについても同じ。
パソコンが普及し、Eメールの送受信が当たり前のように
行なわれる時代だからこそ、迷惑メールの問題は避けて通れないのだ。

たしかに、システム的にある程度防御することは可能だろうが、
それにも限界があるし、人間が作るシステムに対しては、必ずそれを
「破ろうとする人間」が現れる。いたちごっこなのだ。

さて、迷惑メールの送信業者について考えてみると、
彼らは、それをやることによって、多少なりとも利益を得ているのだろうか?
もちろん「メール送信はタダ」だという考えからすれば、
これほど安上がりな宣伝方法は無いだろう、と考えるかもしれない。

しかし、迷惑メールの反応率は、限りなくゼロに近いと予想される。
正規のメルマガでさえ、有効クリック率は1%前後と言われている今、
迷惑メールのクリック率なんて、その100分の一、もっと低いはず。

しかも、クリックするだけではお金は入らない。
実際に商品を購入する客は、もっと少ない。
100クリックのうち1人でも買えば、それは反応率がかなり高い部類
に入る。

だが、迷惑メールの場合、クリック率が低い上に、そもそも顧客との間に
信頼が構築されていないのだから、購入率は限りなくゼロに近い。
それでも、迷惑メールを送信する理由は何か?
それは「ものすごく大量に送信すれば、誰かには当たるだろう」という
前提において送信を実施しているからである。数打てば当たるという考え方。

しかし、そのためには、少なくとも、数十万から数百万個以上の
メールアドレスを集め、無造作に大量送信しなければならない。
それを「コストゼロ」で実施できるか? といえば、それは不可能。

まず、メールアドレスを大量に保存しておくデータベースが必要になる。
通常のアドレス帳では管理が不可能なのだ。
さらに、送信メールサーバに対して、長時間かつ連続的な負荷が
かかるので、専用の送信サーバーを確保しなければならない。
外部プロバイダのサーバーを利用しようものなら、
すぐにプロバイダから指摘を受け、利用不可能になってしまう。

つまり、大量のメールを送信するには、それなりにコストが
かかるわけだが、そのコストに見合った反応率(つまり購入)
が期待できるのか? といえば、それも疑問。

ならば、迷惑メールに費やすコストを、正規の広告に費やしたり、
その他、別のアプローチ方法を考えるなどすれば、そのほうが結果として
売上を上げることができるのではないか?
彼らの目的は「迷惑メールを送信すること」ではなく「売上を上げること」
なのだから。その目的を見失ってはならない。

メールという道具を、いかに上手く使いこなせるようにするか?
ただ「やみくもに送信する」という使い方しかできない人は、
いつまでたっても売上を得ることができず、しかも世の中からは
「害虫」として認識され、嫌われ続ける。

ビジネスで成功するためには、常に「ツールの新しい使い方」を
考え、それを実行していかなければならない。他人がやる前に。
5年前なら、まだ迷惑メールの宣伝効果は、多少なりともあったかもしれない。
だが今はその効果も落ちている。それでも迷惑メールにマーケティングを頼るのは
ビジネスマンとして怠慢であるとしか言い切れない。

このような傾向は、インターネットビジネスに限らず、
サラリーマンのビジネスにもいえることだ。
新しい考え方、新しいツールが日々開発され、その使い方が
毎日研究されているにもかかわらず、それを受け入れずに、
昔の成功法則に固執する人たち。

どんな道具でも、それは使い方次第でプラスにもなり、マイナスにもなる。
つまり、言い換えれば、同じ道具でも、その利用方法次第では、
ビジネスに「有益」にもなるし「害」にもなるということ。

例えば、IT時代だからといって、なんでもかんでもパソコンで
管理することだけが、正しいやり方だとはいえない。
スケジュール帳などは、手書きで管理したほうが効率が良い場合もある。
手で書いた感触が残っているから、自然に脳が覚えていたりする。

目の前に与えられた道具の「最も有効な使い方は何か?」を考え、
その使用方法を日々改善していく。その姿勢があれば、
ビジネスで躍進しながら成功できることは間違い無いだろう。

(次回につづく。)

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2005年08月24日

社内に落ちている有益なチャンスを見逃すな!

社内に「自分を磨くための有益なチャンス」が落ちているのに、
それを見過ごして、捨ててしまう人がいる。とても勿体無いことだ。

なぜ見過ごしてしまうのか?
気づかずに捨てる人と、気づいて拾う人の違い。
それは日常業務による「意識の違い」によって決まる。
捨ててしまう人は、そもそも「それが自分にとって必要ではない」
という意識を持っている。だから脳のアンテナにヒットしない。

つまり、日常業務におけるチャンスを見過ごさないためには
「脳のアンテナの感度」を高めなければならない。
感度の高さとはつまり「意識の高さ」である。

では、どうすれば意識を高めることができるのか?
そのために必要なことは、まず「それは自分にとって必要ではない」
という思い込みを改めること。

ある目的を達成するために、何が最も重要で、本当に必要なものなのか?
それを理解しないまま、ただ走り、汗をかいている状態では、
いつまでたっても結果が出ないし、本人も報われない。

たとえば、あなたの目的が「売上を上げること」つまり
「ビジネスで勝つこと」ならば、あなたはその戦争に打ち勝つために、
強い武器を手に入れなければならない。
そのためには「この戦いにおいて最も有効な武器は何か?」を
検討するプロセスが大切なのである。

だが、多くの人は「今持っている武器」あるいは「今まで使い慣れてきた武器」
に執着し、すがってしまう傾向がある。
過去の成功事例や、古い情報、ノウハウにしがみつくのも、このパターンだ。
『新しいものを受け付けない』という種族の典型的性質である。

これはいわば、近代戦闘において「竹やり」を使うようなもの。
今時、そんな武器で勝てるはずが無い。だが、多くの人は、
毎日一生懸命「竹やりで相手を突く練習」をしながら、汗を流している。

そこに『最新式オートマシンガン』の導入を推奨する人が出てきた。
しかし「そんな危険なものは取り扱えない」とか「コストが高すぎる」
などの反論が必ず出る。そして、その組織は竹やりで戦いながら消滅していく。

ここで一番問題なのは「そもそも自分たちにはマシンガンなど必要無い」
という思い込み。そのような思考で日々の業務に取り組んでいては、
せっかくの貴重な情報やチャンスを逃すことになってしまう。

いわば「最新式マシンガンの使い方が分かるセミナーが無料で開催されます」
という情報も、無視してしまうということ。それをチャンスとは考えられない。
なぜなら「自分たちには関係無い」と思い込んでいるからだ。
さらに言えば、もし足元にマシンガンが落ちていたとしても、
拾って使おうとはしないだろう。戦場で役立つ武器が落ちているのに、
それを拾おうとせず、自分が普段使っている武器にこだわることが、
どんなに無意味なことか? だが、ビジネスの世界では、そのような光景が
日常的に見受けられる。

例えば「営業」という仕事がある。この言葉から連想されるイメージは
「外回り」とか「御用聞き」というもの。
だが、DMやインターネットを使った営業戦略を駆使すれば、
足を使う営業から「頭を使う営業」にシフトできる。
しかし、営業マンが日々の業務において「自分にはITなど必要ない」
と思い込んでいたら、それに関する情報は一切入ってこない。
脳が自動的にシャットアウトしてしまうからだ。
だから、せっかくIT関連の知識を増やすチャンス(セミナーや勉強会など)
の案内があっても『自分には関係が無い』と思って申し込まない。
これは、非常にもったいないことだ。

あなたが普段、どんな情報に触れられるか?は、
あなたがどんな意識で仕事に取り組んでいるか?で決まる。
大切な情報を遮断しているのは、他の誰でもなく、
あなた自身の意識なのである。

(次回につづく。)

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2005年08月22日

すべてのビジネスは、人の命を預かっている。

先日、レストランで食事をしていたら、
同じフロアにいた客の一人が、急に苦しみだした。
連れの女性が「救急車呼んでください!」と叫んでいる。
倒れた原因は分からない。どうやら持病らしい。

救急車を呼ぶ店員さん。私自身は、どうすることもできず、
ただ、その光景を眺めているしかなかった。
5分ぐらいして、救急車が到着。
せめて協力できることはないか?と思い、
ストレッチャーが通り易いように、店内のテーブルと
椅子を端に寄せた。

他の客も、ただボーっと見ているしかなかった。
一人の店員は、ずっと倒れた客についていたが、
その他の店員は、救急車を呼んだ後は、とくに
できることがない。だから、ごく普通に、他の客に
料理を運んだり、会計をしたりしていた。

誰かが目の前で、助けを求めているのに、
どうすることも出来ない時、人は無力感を感じずには
いられない。自分が逆の立場だったらどう思うか?
なぜあの人たちは・・・と思うかもしれないが、
同時に『なにもできないこと』も理解している。

しかし「本当に何もできないのか?」を改めて
考え直してみると、たとえ直接的にはできないことが
あっても、間接的にできることはたくさんあるという
事実に気づくことができる。

例えば、私はIT業界で通信システムの設計開発に
携わっているが、システムも機械なので、たまに「止まる」
ことがある。つまり「通信ができない状態」になるのだ。
端的に言えば「電話がつながらない状態」である。

このような通信エラーが起こらないために、
ITエンジニアは必死になって、安定したシステムを開発し、
24時間稼動している状態を保つように全力を注ぐ。
だが、実際に働いている現場においては、ときとして
「1秒や1分ぐらい止まっても、どうってことないだろう」
という甘えが出てしまうのも事実。

たしかに、ほんの少しの時間、通信が止まったとしても、
どれだけの人間に影響を与えるのか? は疑問である。
しかし、その甘さが、時として人の命を奪う危険も
あるのだとすれば、それでも、その甘さは許されるのだろうか?

誰かが1分1秒を争って救急車を呼ぼうとしているとき、
電話がつながらなかったらどうなるか?
無線で通信できなかったらどうなるか?
その可能性がゼロではない限り、少なくとも通信業界に
関わるエンジニアたちは「人の命を預かっている」という
ぐらいの覚悟をもって、日々の仕事に取り組むべきなのではないか?

他にも、交通、鉄道、道路、水道、電気、ガス、郵便など、
社会のインフラを支えるビジネスに携わる人間はみな、
そのことを自覚すべきである。それが間接的に「人を救うこと」
になるからだ。

私は、同じレストランのフロアで苦しんでいる人を
直接的には助けることができなかった。
だが、今自分が担当している業務を通じて、
間接的に他の誰かを助けることはできる。

「すべてのビジネスは人の命を預かっている」という前提に立って
仕事に取り組めば、そう簡単に手を抜いたり、サボったりはできないはず。
それぐらい「強い信念」をもって取り組んでこそ、真のビジネスマンと
いえるのではないだろうか。

(次回につづく。)

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2005年08月12日

投資に興味を持つことで、ビジネスのセンスが鍛えられる

最近、書店に「株の本」が溢れている。
サラリーマン向けに「ネット証券」や「デイトレード」
の情報も増えている。プロの投資家だけでなく、
一般のビジネスマンにも、株式投資の意識が広がっているのだろう。

だが、一方で「どうせ儲からない」と思っている人も多い。
つまり、最初から興味さえ持とうとしない。
自分には無縁の世界だと思っているからだ。

もしかしたら「株で稼ぐのは悪いこと」だという意識が
根深く染み込んでいるのかもしれない。そもそも、
学校の数学や社会で、株式投資の方法なんて教わらなかった。

だが、銀行への預金が投資的に無意味であることを認めざるを得ない
現在では、もはや銀行預金と同じように「株式投資」も、
万人が意識すべきカテゴリーなのだろう。
特に、大量の退職金を手にして会社を去る団塊の世代にとって、
これから、その資産をいかに増やしていくか? は大きな課題の1つ。

私は、一般のサラリーマンが投資に興味を持つことはとても良いことだと思っている。
もちろん、借金漬けになるぐらいハマるのは問題だが、
すくなくとも、50万円以下の金額から始めて、それを100万に
増やすところぐらいまでは、一度は経験しておいたほうがいいかもしれない。
もし、50万円をすべてロスしても、サラリーマンにはそれほど大した金額ではない。
200万円の車を買うところを、150万円に我慢すれば済む。

株式投資に興味を持つことは、ビジネスに興味を持つことに直結する。
「日経新聞を読もう」といわれても、なかなかそのモチベーションは保てないが、
「自分が株式投資をしていて、日経を読まないと損をする」と分かれば
言われなくても自分で読み始めるだろう。紙に穴が空くほど真剣に凝視するはずだ。

そして、中・長期的な視点で、世の中の動きを監察する洞察力を
鍛えることができる。アンテナが鋭くなり、情報の感度が高まる。
それは、たとえ株で利益が出なくても、確実に「自己のスキル」として蓄積される。

何のために株をやるのか? 目的は人それぞれだろう。
やはり、一番の理由は「お金儲け」かもしれないが、
それ以上に「ビジネスのセンスを鍛える」という意味では、
そちらの価値のほうが大きい。長期的に見れば、自分がビジネスを
起こすときのヒントにもなるし、そもそも株とは何か? という概念も
しっかり把握できる。

本来、サラリーマンは「株式会社」に勤めている(有限会社もあるが)わけだが、
にも関わらず、上場企業の社員でさえ、株式投資に関する基本的な知識を持っている
人間は少ない。商社や証券会社の社員なら別だろうが、それ以外の製造業、サービス業では、
株の買い方さえ知らない社員が大半なのが現実だろう。

だからこそ、堀江氏のように「株への意識を高めるニュース」を
ふりまいてくれる人は貴重な存在だ。株を分割して1株の単価を安くすれば
誰でも気軽に買えるようになる。そこから興味が湧き、真剣に勉強してみようと
思う人も増えてくるだろう。

これからは、投資の知識は、一般常識のレベルまで広がっていくだろう。
それによって、直接的な利益を得ることが出来る人はごく一部だろうが、
少なくとも「興味を持つこと」自体で得られる知識は、今後、
サラリーマンを続けるにしても、ビジネスセンスを高める上では
大いに役立つに違いない。

(次回につづく。)

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2005年08月10日

自分で情報を集め、自分の意志で決める。

21世紀は「価値観が大きく変わる時代」だと言われているが、
それは、就職や起業についても、例外ではない。

事実、就職しないフリーターやニートと呼ばれる人たちが増えているのは、
ある意味、彼らが「それでいい」という価値観を自覚したからであると言える。
国家財政的に見て、それが「良い、悪い」は別としても、彼らが自分の人生に
そのような価値観を見出してしまったのは事実。その価値観を変えさせるのは
簡単なことではない。

「二極化」の意味するものは、価値観の二極化である。
それが結果として、経済的な二極化を生んでいるにすぎない。
「今の年収でいい」という価値観と「もっと稼ぎたい」という価値観。
どのような人生を送りたいか次第で、求める経済的利益の大きさは変わる。

このように、社会の価値観を1つの方向に集約できない状態は、
今だかつて、だれも経験したことがなかっただろう。
例えば、私は1977年生まれだが、私の親の世代(いわゆる団塊の世代)の
価値観では、結婚や就職は、ごく当たり前の「人生設計のスタンダード」として
認識されていたはずだ。

もし、あなたが私と同年代(20代後半から30代前半)の未婚者で、
親から「まだ結婚しないの?」と聞かれているとしたら、
それは、親の世代が「結婚こそ幸せの象徴である」という価値観を
持っているからに他ならない。
つまり「まだ○○しないの?」という表現は
「人生においては○○をすることがスタンダードなのだ」という
主張なのである。

たしかに、情報が少なかった時代には、誰もが画一的な価値観に
染まりやすかったことは否定できない。「結婚=幸せ」という価値観。
だが、情報が氾濫し、あらゆる媒体を通じて「本音や裏の部分」が
浮き彫りになった現代では、もはや画一的な価値観は成立し得ない。

具体的に言えば、それは「有名人の離婚騒動」や「不倫をテーマにしたドラマ」
などである。結婚した後、その夫婦がどのような結末を辿っているのか?
その真実を垣間見ている若者は、もはや結婚に対して「絶対的な幸せが得られるという
信頼」を失っている。

つまり、親の世代は「結婚したら?」と言うが、メディアでは「離婚」の文字が
踊っている。この究極の矛盾状態においては、価値観が二極化しないほうがおかしい。
「右に行け」という人と「左に行け」という人。その両者の意見を統合させるのが
不可能なのだから、どちらも認めて、自分に最適なほうを各自が選ぶしかないのだ。

では、就職や起業についてはどうか? 結婚と同様に「就職に対する絶対的な信頼」は
もはや失われている。だが、それが始まったのは、ごく最近の時代。
少なくとも、1990年中盤は、今ほど「起業」は騒がれていなかった。
つまり「起業への幻想が始まった」のは、比較的新しい時期なのである。
インターネットの本格的な普及と共に起業ブームが波に乗ったのならば、
Yahoo!やGoogleが広く認知され始めた1996〜1998年ごろが、
起業ブームの走りだと定義できる。

だからこそ、2005年という今の時代は「起業ブームに踊らされている風潮を
冷静かつ客観的に分析」しなければならない。
そもそも「1つの生き方に絶対的な信頼」を寄せること自体が最大のリスク。
「起業すれば幸せになれる」という幻想は、つまり「結婚すれば絶対に幸せになれる」
という画一的な価値観を押し付けていた頃の幻想と似ている。

幸せな結婚もあれば、不幸な結婚もある。もちろん、離婚する夫婦すべてが
不幸だとは言い切れないが、少なくとも「結婚することを辞める」という意味では、
「一緒に過ごさない人生」のほうが快適だと感じていることだ。
どんな人生を快適だと感じるかは人それぞれであり、その価値観を統一することは不可能。

起業についても、今は「起業して成功した人たち」ばかりがクローズアップ
されているから、明るい未来を想像させているに過ぎない。
だが、起業して「失敗した人」の情報が氾濫するようになれば、
いずれ「起業への幻想」も薄れ、その魅力は消えてなくなる。

このような不安定な時代に求められるスキルは
「真実を見抜く情報収集能力」である。誰か一人の意見に流されたり、
一方的なメディアの情報を信じたり、身内や親の言葉だけを鵜呑みにする必要はない。
今は、10年前と比較しても「情報収集への敷居」は格段に低くなっている。
それを活用すれば、私たちは「自分の生き方を決めるための情報」を簡単に低コストで
集めることができるのだ。

「価値観の変化」とは、つまり「多様化」である。
情報が増えたから、それに応じて、解釈の視点も増えた。
だから価値観が多様化しただけ。
そして、情報は「増えた」というよりも、今までもそこにあった。
ただ「集める手段」がなかっただけ。

だから、私たちは、本質的に大昔と何も変わっていない。
つまり「過去の人間が犯してきた間違い」を、再び繰り返す恐れがある。
では、そうならないためには、どうすればいいのか?
答えは1つしかない。自分で情報を集め、自分の意志で判断し、決めることである。
それが出来る人間だけが、時代を超えて、自分らしい生き方を継続できるのである。

(次回につづく。)

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2005年08月08日

「成功」は長期的かつ連続的な視点でのみ評価される

「成功している」「していない」という言葉がある。
だが「成功」とは、ある一時的な瞬間における状態のみを
意味する言葉ではない。長期的、連続的な視点で人生を眺めなければ
今ある状態が本当に成功なのか? なんて、誰にも見極められない。

次のような話しがある。
---------------------------------
息子が乗馬中、馬から落ちて足を骨折した。
父親は、その事件を長老に報告した。
父親『ああ、なんて私の息子は不幸なのだ・・・』
すると長老は、次のように言った。
長老『なぜ不幸だと分かる? 息子は不幸ではない』

次の日、徴兵のために、村に軍隊がやってきた。
だが、ケガをした息子だけは、戦争に連れて行かれずに済んだ。
---------------------------------

今の状況が「幸運」なのか「不幸」なのか?
その判断は、現時点ではできない。
明日、1年後、10年後・・・
そのとき、今の行動、状況、環境が、
どのような影響を与えるのか? なんて、
誰にも予測できないのだから。


例えば、転職においては、どうか?
もし、あなたの会社が、吸収合併されそうに
なっているとする。
あなたは、前々から、今の職場に不満を持っていた。
オフィスビルは老朽化して汚いし、駅からも遠い。
つまり、辞める機会をうかがっていたのだ。

そして、吸収合併の話しが、いよいよ現実化しそうだ。
すると「もう辞めるしかない」と考えるだろう。
事実、吸収合併のタイミングで退職する人間は多い。
吸収合併が「自分の将来に不利益をもたらす」と
思い込んでいるからだ。

だが、吸収合併された後、老朽化した旧ビルは取り壊され、
旧ビルで働いていた社員は、全員、合併先の高層オフィスビルに
移転した。首都圏、駅からすぐ、とてもキレイな環境を手に入れた。
このようなケースは少なくない。吸収合併は、福利厚生面において
社員にメリットをもたらす場合がある。

去ることが成功か? 残ることが成功か?
大切なのは「長期的な視点」である。
ただ、今この瞬間だけの状況や感情に流されずに、
5年先、10年先まで見据えて、自分に最適な選択肢を選ぶ。
それが「本当に正解だったか?」は、死ぬ間際にならないと確認できない。

だからこそ、私たちは「思い込み」を捨てなければならない。
『このまま、この会社にいたら、絶対に不幸になる』という決め付け。
『今辞めなければ、一生後悔の人生を歩むことになる』という脅迫感。
だが、そんなものは、ただ本人がそう思っているだけで、
実際にはどう転ぶか分からない。それが人生というものだ。

それでも、あなたが安易な決断で辞めたとしたら、
その瞬間だけは「成功したような気分」にはなれるだろう。
一方、会社に残って待遇が一時的に悪くなった同僚を見て
『だから俺と一緒に辞めればよかったのに・・・』と思うこともあるかもしれない。

だが、足を折った少年が徴兵されなかったように、
人生には「予想外の一発逆転」があるものだ。

大企業においても、子会社が親会社を超えて急成長するケースはめずらしくない。
つまり「子会社への出向」は、必ずしも「デメリット」だとは限らない。
むしろ「人手が足りないから出向を求められている」のであり、
人手が足りないということは、仕事が溢れている、つまり急成長している証拠。
そのように捉えれば、あなたにとってのデメリットは、長い人生における
「一発逆転のチャンス」であるかもしれないのだ。

一時的な感情に流されると、大切なチャンスを見失い、
人生を棒に振ることになる。そして、かつて見下していた人間に
一発逆転されるのだ。

そうならないためにも、私たちは、常に「長期的、連続的な視点」を
持つことを忘れてはならない。この瞬間は負けていたとしても、
明日勝てる状況が来るかも知れない。それは人生における「負け」を意味しない。
長期的に見れば「一発逆転の可能性」は無限にある。
そのチャンスを手放さない限り、あなたの「負け」も「勝ち」も
永遠に確定することは無いのである。

(次回につづく。)

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2005年08月05日

サラリーマンは会社を選び、経営者は社員を選ぶ

サラリーマンにとって「会社選び」は、
自らの人生を決める、重要な課題である。
これは、新卒採用に限ったことではなく、
すでに現役でサラリーマンをしている人にとっても
「転職」も含めれば、今後も「自分に最適な会社選び」
という課題は、一生ついて回る。

だが、一方では、経営者もまた「社員選び」には
頭を悩ませている。経営者にとって「良い人材を確保すること」
が、会社を安定させるためには大切なことだからだ。
つまり、社員が「会社選び」で悩んでいるのと同じように、
経営者もまた「社員選び」で、日々、悩んでいるのである。

では、経営者の視点で「良い人材を確保する」という課題を考えた時
「高い能力を持っている社員が採用できない」という問題の原因は、
どこにあるのだろうか?

経営者ならば、誰もが「優秀な人材をたくさん集めたい」と願っている。
だが、大手上場企業ならまだしも、無名の中小企業には、なかなか
良い人材が集まらないのが現実だろう。
もちろん、求人広告や人材紹介会社などを活用すれば、
それなりに集めることは可能だろうが、それなりにコストがかかる。

そして、もっと重要なことがある。それは、
どんなに「人材募集のテクニック」を駆使しても、
最終的には「経営者の実力を超える人材は集められない」
という現実がある。経営者は、それを理解しなければならない。

経営者の場合「自分よりも有能な人間を雇えば、自分はもっと楽できる」
と考えてしまうかもしれない。だが、もし経営者よりも優秀な社員がいたら、
きっと彼は自分で会社を興すにちがいない。つまり、経営者を超える社員は
理論的に存在しないのである。

もちろん、ある専門分野の知識に関しては、経営者を越えるスキルを
持った人材は集まるだろう。だが、経営者としての幅広い課題
(資金繰り、人材、市場選択、マーケティング、営業など)を
すべてこなせる人材という意味での「優秀な人間」は、経営者をおいて
他にはいないのが現実。

だからこそ、経営者は「自分よりも優秀な人間」が集まらないことを
嘆くのではなく「社員のある特定分野のスキルを伸ばす方向」を前提として
社員教育をほどこしていく必要がある。

それでも、なかなか社員が思い通りに育たないという悩みは、
多くの経営者が抱えていることだろう。
たしかに「育てなくてもよい優秀な社員」が来てくれたら、
経営者は「教育」という労働からは開放されるかもしれない。
だが、それは同時に「社内の人材育成能力」を低下させることにもつながる。

ビジネスの本質は「付加価値の創造」である。
つまり「普通の社員」を雇い、彼らに付加価値をつけて「優秀な社員」に育てる。
それが経営者に与えられた義務の1つであるともいえる。

ビジネスモデルの寿命が短期化している現在では、
あたらしい市場へのチャレンジが欠かせないが、
そのためには、常に「新しい情報を取り入れ、社内に浸透させる」
という作業がかかせなくなる。そのためには、どうしても「社内教育システム」
の構築という仕事は欠かせないのである。

つまり、経営者は「最初から優秀な社員が集まらない」という事実をきっかけに
「完成された社内教育システム」の確立を目指すべきなのだ。
もちろん、優秀な人材が大量に確保できればそれに越したことはないだろうが、
それができないときこそ、経営者としての「教育指導者としてのスキル」が
鍛えられるチャンスなのである。


では、サラリーマンの立場ではどうか?
会社選びという意味において「自分に合った会社が見つからない」
という不満は、多くの人が感じている。

経営者の「優秀な社員を集めたい」という思いと同じように、
サラリーマンも「レベルの高い会社に入りたい」と思っている。
それに対して、自分が今与えられている仕事のレベルが低いと不満がたまるのだ。

しかし、ビジネスは「付加価値の創造」であるという原則に基づくならば、
サラリーマンであっても、自分が与えられた仕事に対して「付加価値をつける」
という姿勢を忘れてはならない。

付加価値の原則とは「価値の低いもの」に対して「価値をプラスする」ということ。
では、この考え方を、サラリーマンの担当業務に当てはめてみると、どうなるか?

もし、今あなたに与えられている仕事のレベルが低いとしても、
そこに「どのような付加価値をつけるか?」は、あなたの考え方次第なのである。
単純な作業の中にこそ、重要な価値が含まれていることは少なくない。
その価値を見出し、プラスの方向に導く。それができないと、
どんな会社に就職しても、どんな仕事を担当しても、不満が消えることは無い。

誰だって「今よりもっと価値の高いものが欲しい」と思っている。
優秀な人材。レベルの高い会社。
だが、価値とは本来「周りから集めてくるもの」だけではない。
自らのアイデア、想像力、努力で生み出す価値。
それこそが本当に価値のあるもの。自分の手でゼロから生み出した価値。
その価値は、よそから集めてきた価値よりも、数十倍、数百倍の値打ちがあるのだから。

(次回につづく。)

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2005年08月03日

「変わること」の代償を自分の責任として受け入れる

以前の自分と比べて、価値観や考え方が変わる。
これは、誰もが日々、感じていることだ。
問題なのは、変わったことによる損失の責任を
一方的に相手に押し付けてしまうこと。

例えば、買い物において、買うときは「それが欲しい」
と思って買ったはず。そして、しばらくは気に入ってその商品を
使っていたが、やがて飽きてくるし、もっと良い商品が出てくるから、
心変わりは避けられない。

もちろん、このような「心変わり」自体が悪いわけではない。
いつまでも同じ状況や、同じモノばかりに執着していては進歩が無い。
私たち人類は、常に「より良いモノ、より理想的な生活」を追い求めて
きたからこそ、ここまで発展した世界を築くことができたのだ。

しかし、忘れてはならないことが1つ。
それは「心変わり」の原因は、基本的には、自分の中にあるということ。
だからこそ「自分の責任」において、心変わりを認め、新しい人生を
切り開くしかない。

例えば、起業・独立を目的とした退職。
本来、会社に就職したときは「この会社に入りたい」と
思って、自分で面接を受け、入社したはず。
つまり、入社当時は、今の状況が「欲しかった」のだ。

だが、何らかの原因で、不満が溜まり、飽きも出てくる。
それは、ある意味「自分自身が成長した」とも捉えることができる。
会社から受けられる刺激に物足りなさを感じるからこそ、
もっとリスクのある起業の世界に飛び出したいと思うのだろう。

「心変わり」が成長のプロセスにおいては欠かせない要素だとしても、
その原因を第三者に押し付けるようなことだけは、絶対に避けなければならない。
「あの上司が・・・」「あの取引先が・・・」「あの職場では・・・」

私たちは「辞める理由」を、外的要因に求める傾向があるが、
すべては自分自身、自分の「心変わり」がそもそもの発端である。
それを棚に上げて自分を正当化し、他人を批判するような態度では、
たとえ起業しても、それ以上の成長は期待できないだろう。

恋愛、結婚においても、心変わりはよくあること。
それについて、相手が一方的に悪いという解釈は、
はたしてどこまで成立するのか?

就職も、結婚も、自分の人生を良くするための手段にすぎない。
そして、それを選んだのは自分であり、その選択がどのような
結果をもたらしたとしても、最終的には、自分自身に責任が問われることになる。

「変化」は悪いことではない。だが「変化による損害」を
他人のせいにしてはいけない。時として「変わること」には、
大きな代償がつきまとう。何かを手に入れるために、何かを失うこともある。
それらの条件をすべて踏まえた上で、それでも「変わりたい」という
覚悟があるのなら、それは完全に「自分の責任」において実施されなければならない。

いずれにせよ「他人任せ」の人生を歩みたくないのであれば、
自らの行動、選択に対して、100%の責任を持つことは当然の義務である。
結果が良かった時だけ「自分のおかげ」と解釈し、結果が悪かった時は
「相手のせい」だと考える。そんな人生ならば、すでに「自分の人生」を
生きているとは言えない。成功も失敗も、すべてセットで受け入れる覚悟
が無ければ、本当に最適な選択肢など、自分で選ぶことは永遠にできないのである。

(次回につづく。)

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2005年08月01日

スポーツは運動神経。仕事はビジネス神経。

学校のクラスに、必ず「スポーツ万能」の生徒は、
一人か二人は存在する。
あなたのクラスにもいたはずだ。
あるいは、あなた自身がそうだったかもしれない。

彼らは、スポーツの種別を問わず、球技でも、
マラソンでも、水泳でも、その実力を存分に発揮していた。
一般に「運動神経が良い」と言われる人たち。
彼らは、どんなスポーツをやっても楽しいだろうし、
人並み以上の成績を残すことが出来るから、
周りからも注目される存在だった。

私自身、スポーツはあまり得意ではないが、
同じような「万能的感覚」を味わったことはある。
それは「音楽」である。

もともと、バンドでギターを弾いていたのだが、
メンバーが足りない時は、自分がベースを担当したり
ドラムを叩いたりした。ボーカルもやったし、キーボードも。
つまり、基本的なリズム感と音感があれば、
どんな楽器でも、ある程度はこなせる。
これは、スポーツにおける運動神経と似ている。
「音楽神経」とでも言ったところか。

そして、ビジネスにおいても、このような現象はよくあること。
他部署で優秀な成績を出していた人は、どんな部署に行っても、
それなりに結果を出せる。つまり、仕事の内容や業務の種別、
職場の雰囲気などに左右されることなく、コンスタントに自分の
実力を発揮できるのだ。それが「ビジネス神経」である。

よく『今の職場は自分には合っていない』といって、
配置換えを要求する人がいるが、たとえ配置換えをされても
必ずしも実力が発揮できるとは限らない。なぜか?

スポーツの場合「自分には野球は向いていない。サッカーがいい」
といって、野球部を辞めてしまうのは簡単かもしれない。
だが、野球部であっても、スポーツに必要な「基礎体力」や「反射神経」
を鍛えるには役立つ。つまり、スポーツマンとしての基礎的なスキルが
確立されていない状態では、種目を変えても、それほど大きな違いは現れない。

そしてもっと大切なことは「精神力」である。
スポーツの場合「競争心」や「根性」といったほうが
分かりやすいかもしれないが、それらの精神的要素が
スポーツの成功に大きな影響を与えることは間違い無い。

ビジネスにおける基礎体力。それは「雑用を短時間でこなす能力」
であったり「書く能力」「読む能力」「話す能力」であったりする。
営業マンでなくとも、相手を納得させる話術は身に付けるべきだし、
文系出身でなくとも「読みやすい資料」を書けるスキルは持っておくべき。

逆に言えば、これらの基礎体力がしっかりできているならば、
どんな業界、業種でも、通用するということ。
会社でサラリーマンとして働くのもいいし、起業して全部自分で
やってみるのもいいだろう。それに耐え得る基礎力が付いているという
自信があるのならば。

スポーツ万能の人は、どんな種目でも通用する。
音楽センスのある人は、どんな楽器でも弾ける。

そして、ビジネス万能の人は、業種を問わず金儲けができる。
そのために必要なものは「ビジネス神経」であり、
それを鍛えるための土俵は、いくらでも存在している。
もちろん、今あなたが担当している仕事も、この上なく有意義な
土俵であることは間違い無い。ビジネスは勝負である。
スポーツと同じで、結果が問われる。
そこには、闘争心も競争心も必要である。
そして、必死に努力する姿勢も求められる。

そのような過酷な状況を乗り越えてこそ、真のビジネス神経が手に入る。
そうすれば、景気がどうなろうとも、時代が変わろうとも、
流行が変わろうとも、もう、関係ないのである。
なぜなら、あなたはどんな種目でも、勝てるだけの実力を身につけているのだから。

(次回につづく。)

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