2005年07月29日

相手の都合を一番に考える視点を持てるか?

駅前の路上で、ビラを配っている人たち。
私たちが歩いていると、『取れ!』と言わんばかりに、
目の前に差し出してくる。
あのような態度に、腹立たしい思いをしたことがある人は多いだろう。
しかし、無視するのも、なんだか可愛そうな気がする。
だから「義理」で受け取ってしまうのだが、3秒後にはゴミ箱行きだ。
おそらく、儲かっているのは広告代理店だけだろう。

一方「ティッシュ配り」はどうか?
町を歩いていて、たまたま「ティッシュが必要」なときには、
なかなか重宝する。つまり、受け取る側も、喜んで受け取ることがある。

しかし、そのときの、受け取る側の心理としては、
「ティッシュが欲しいだけ」であり、チラシの内容はどうでもいい。
つまり、完全に「自己中心的な理由」において、ティッシュを受け取っている。
それが現実なのだ。広告する側の都合なんておかまいなしだ。

私たちは、何か行動を起こすとき、
「その行為が、自分に対して、どのようなメリットをもたらすのか?」
を最優先に考える。つまり、相手の都合を最初に考えることなんて有りえない。

ここで言う「行動」には、
・相手の広告を見てあげる
・相手の話しを聞いてあげる
・相手の書いたものを読んであげる
なども含まれる。

ビラ配りは、その広告が受け手にメリットをもたらさなければ、
受け取る意味は無い。だが、ティッシュ配りは、ティッシュがもらえるという
メリットがある。だから、ついでに「相手の広告を見てあげる」のである。

これは、宣伝・広告の原理原則である。
だが、この事実を理解していない人たちは、
いきなり「私は○○!」という主張から入ってしまう。

・このたび、私は新製品を開発しました!

だが、その新製品が、相手にどのようなメリットを与えるのかが
明確でない限り、だれも反応してくれないのが事実。
顧客は「作り手の都合」なんて知らないのである。
ただ「自分にどんな得があるのか?」だけが知りたいのである。

そしてこれは、商品販売だけに限ったことではない。
例えば、会社設立。

最近、起業ブームで「会社を立ち上げること」が1つのステータスに
なっている。だが、ただ「立ち上げただけ」では、そのメリットは
お客には伝わらない。

・このたび、私は有限会社○○を設立しました!

残念ながら、顧客からすれば『だから、どうしたの?』と聞きたくなってしまう。
『あなたが会社を作ったところで、私にはどんなメリットがあるのかしら?』
というのが、正直、素朴な疑問なのだ。
だから、会社設立をアピールする場合も、

・私は、○○でお困りの方をサポートするビジネスを立ち上げるために、
このたび、会社を設立しました。

という切り口で書かなければ反応は得られない。それが現実なのである。
個人事業主や、インターネットビジネスのオーナーは、
この現実をよく理解しているから、一方的な売り込みはしない。
つねに「この情報は相手にどのようなメリットを与えられるか?」
を考えている。逆に言えば、それを考えることが宣伝行為そのものであり、
最高のPR戦略なのである。

だが、サラリーマンがいきなりインターネットを始めると、
この現実に気付かないまま、ネット上での情報発信を展開してしまう場合が多い。
いきなり『私は○○!』という主張から入ってしまうのだ。
私自身も、過去、そのような体験をし、失敗した時期があった。

バンドでインディーズCDを売ろうとしたとき、
『私はバンドをやっています。CDを作りました。聞いてね!』
というような、一方的な自己主張の情報発信をしていた。
だが、今なら分かる。こんなキャッチでは、誰もCDを買うはずが無い。

売り方の基本は「あなたがこの商品を買うと、どんな嬉しいことがあるか?」
を相手に伝えることである。だが、音楽の場合、それが表現しづらい。
だから、音楽ビジネスはマスメディアで広告に投資できる大企業の
ビジネスモデルなのだ。テレビや映画とタイアップしなければ大ヒットは生み難い。

つまり、音楽CD販売は、ブランド力と影響力のある会社がやるからこそ
成功できるのであり、儲かるのである。
インディーズの成功パターンも、最終的にはメジャーに行くというのが王道である。

サラリーマンは、普段の仕事において、会社のブランドを利用しているから、
特に「お客様のメリット」を訴求しなくてもいいことがある。
お客様が既に、ブランドを信頼し、説明しなくても分かってくれているからだ。

だが、週末起業や個人事業となれば、話しは別。
まったく無名の、ブランドの無い個人から、いきなり商品を買おうとする
人は、そう多くは無い。その現実を直視し、お客様のメリットにフォーカス
できる人間だけが、起業しても成功する。

まとめると、個人事業レベルのビジネスモデルにおいては
「私は○○」ではなく「あなたは○○」という観点で、
つねにマーケティング戦略を考えなければならないということ。

『このたび我社は新車○○を発表します!』というフレーズが許されるのは、
トヨタや日産などの大企業だけである。
これと同じ事を個人でやろうとするから失敗する。
成功したければ「相手の都合を一番に考える視点」を持たなければならないのだ。

(次回につづく。)

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2005年07月27日

会社を利用し、会社からも利用される存在

「ドラゴン桜」というマンガがある。
最近、ドラマでも放映されているので、
ご存知の方も多いだろう。

貧乏弁護士が、バカ学校の高校生を
東大に合格させることで、自らのステータスを
上げようというストーリー。

つまり、弁護士にとって、高校生は「自分がのし上がるための
利用対象」なのである。
だが、ただ利用するだけではない。
高校生にも「東大合格」という大きなメリットが与えられるのだから、
お互いにwin-winの関係が築けるのだ。

そして、高校生側も、その関係を理解しているから、
弁護士の持っているテクニックを利用して、
東大合格というプラチナチケットを遠慮なくもらおうとする。
つまり、お互いに「利用し、利用される関係」なのである。

しかし「利用」という言葉には、どこか罪悪感を感じてしまう人もいるだろう。
私もよく「サラリーマンは会社を利用してスキルアップせよ!」といっているが、
その表現に対して、多少なりとも違和感を感じている人はいるかもしれない。

だが、私はむしろ「利用」という言葉を、ポジティブな表現として
とらえている。「搾取」よりは、よほどお互いのメリットになると思うのだ。

経営者とサラリーマンの関係。それを「搾取し、搾取される関係」だと
言ってしまえば、それは「お互いに奪い合うビジネス」になってしまう。
だからこそ「搾取」ではなく「利用」でなければならない。
「搾取し、搾取される関係」ではなく「利用し、利用される関係」なのである。

そして「利用」という言葉は、私たちが普段の日常生活において
普通に使っている言葉であることも忘れてはならない。
飲食店やスーパーなどでは、店員が「またご利用ください」と言う。
つまり、私たちは普通に、飲食店やスーパーを「利用」しているのだが、
そこには罪悪感など無い。気持ちよくお金を払い、自らの欲望を満たしている。

そして、お店側も、お客からお金をもらうことで、売上を上げている。
つまり、お客の欲望を利用して、商売を成立させているのだ。

このように、すべてのビジネスは「利用し、利用される関係」なのである。
だから、私たちサラリーマンは、会社を利用することに躊躇してはならない。
そして、経営者から「利用されること」にも、抵抗を示してはならない。

「搾取」と「利用」の違いは何か?
「搾取」は「相手から奪う」という発想。
だが「利用」には「相手のメリットを引き出す」という効果がある。

例えば、飲食店などのお店は、お客に利用されることで、
自らの商売のヒントを得ているのだ。
「どのメニューが売れるのか?」「どの時間帯が売れるのか?」
このような貴重な情報の蓄積がなければ、商売の発展は無い。
そして、このようなノウハウは、顧客に「利用」されてこそ、
はじめて集まる情報なのである。

会社において、経営者が社員を利用する場合はどうか?
経営者は、みずからのビジョンを達成するために、社員の
労働力を利用する。しかし、利用された社員もまた、
自らの「新しい才能」に気付いたり、未知の能力を開発したりできる。
だからこそ、社員はもっと、経営者に「利用」されなければならない。

私たちサラリーマンは、会社を利用しながら、同時に経営者から利用される運命。
それによって、企業のバランスは保たれる。
だから、その関係に対して、嫌悪感や罪悪感を感じる必要など、
まったく無いのである。お互いに堂々と利用し、利用される関係。
それこそが、会社組織におけるwin-winの関係なのだから。

(次回につづく。)

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2005年07月25日

会社は「サラリーマンとの共存」によって安定する

映画「宇宙戦争」を観た。
映画のテーマである「共存」。
この言葉は、私たちサラリーマンの生活スタイルにも、
深く関係していると言える。

地球上で、人間が生きているということ。
それは、ある意味「人間が地球を支配している」とも
解釈できる。だが、実際は違うのだ。
人間の体内では、あらゆる微生物が生存している。
そして、彼ら微生物のおかげで、私たち人間も、
自らの健康を維持することができている。
それこそが「共存」なのである。

人類が滅亡すれば、人類と共存関係にある生命体も絶滅する。
つまり、人類の滅亡は、人類にのみならず、
その他、多くの生命体に影響を与える一大事なのだ。
だからこそ、人類は生きなければならない。生き延びる権利がある。

サラリーマンの場合、人生は会社と共存関係にある。
会社が潰れたら死活問題。
だからこそ、社員も会社を守ろうとする。
それは「会社から支配される関係」ではなく、
「会社と共に生きる関係」なのだ。

厳密に言えば、会社は生命体ではない。
だが「法人」という、あたかも人間のような人格を
与えることで、法律上は「一人の人間」として解釈されている。
だから、殺してはならない。法人が死ねば、社員も死ぬ。
株主の資産も死ぬ。そして、所得税が取れなくなった政府も死ぬ。


地球規模における、人類の安定。
それが、多くの「運命共同体」によって支えられているとしたら、
私たちは、自らの生命を守ると同時に、他の生命も守らなければならない。
自然を守ったり、微生物が育つ環境を整えるということだ。

では、企業における、経営の安定とはなにか?
それは、社員の安定であり、資本の安定であり、
顧客獲得の安定である。

だからこそ、経営者は、社員を大切にし、
株主に利益を配分し、顧客獲得のマーケティングに
全力を尽くす。会社が潰れたら、経営者としての
ポジションも崩れてしまう。つまり、自らの安定を
強固なものにしたければ、まずは周りを大切にし
育て上げるしかないのだ。

そして、私たちサラリーマンも、会社と共に生きる
運命共同体であることを忘れてはならない。
支配し、支配される関係ではない。「共存」なのである。
1つの細菌が、人類の滅亡を助けることもある。
1人の人間が、10億の細菌を育てることもある。

お互いに「持ちつ持たれつ」である、この関係。
それを忘れてしまった時、私たちは、本当の意味で「滅亡」に遭遇する。
「共に生きる」ということは、死ぬ時も「共に死ぬ」ということなのだ。

サラリーマンと経営者、法人、株主、顧客。
誰が一番とか、誰が強いとか、そのような問題ではない。
それぞれに与えられた役割がある。そして、お互いにメリットを
提供しあう。その関係が出来ていれば、それこそが本当の安定なのである。

(次回につづく。)

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2005年07月22日

情報漏洩を防ぐための企業戦略

情報漏洩に対する危機感。
「個人情報保護法」が制定されてから、
企業や個人ネット商店を問わず、
個人情報を扱う業者は、その風潮を無視できなくなっている。
特に、有名企業の場合、抱える個人情報も膨大になる。
顧客だけでなく社員の情報も含まれるからだ。
そして、漏洩が発覚すると、社会的問題として取り上げられ、
それまで築き上げたブランドが一気に崩されるリスクもある。

法律が制定されて間もないことも関係しているが、
「漏洩」の定義が、まだ曖昧であることは事実。
1件でも漏れたら漏洩なのか? 紛失しただけで漏洩なのか?
その定義は、今後の事例の蓄積によって明確化されるだろう。

いずれにせよ、法律の制定をきっかけに、一人ひとりが
個人情報の保護に対する意識を高めざるを得ないことは確実である。
携帯電話のメモリでさえ、落としたら情報漏洩になりうる。
名刺入れや手書きの住所録でさえも。言い出したらキリがない。

一方『自分自身の情報は、どこまで守られているのか?』を
気にする人も増えてくるだろう。
どこからともなく毎日届くDM。もはや、住所や氏名の漏洩は
防ぎようがない。お店に行けば「ポイントカードを作りませんか?」
と聞かれ、半強制的に住所氏名を書かされる。
そのデータが巡り巡って、どこまで知れ渡っているのかなんて
個人では把握不能。

『自分の個人情報が悪用されるかもしれない』という恐怖心が強くなると、
今度は「セキュリティー製品」に対する需要が高まってくる。
家庭用のシュレッダーが売れているのも、その現象の1つ。

たしかに、個人で情報漏洩を防ぐ努力は大切だ。
しかし、私たちが情報社会で生きている以上、
どんなに頑張っても、情報漏洩を完璧に防ぐことは難しい。
どんなに網の目を小さくしても、その隙間をくぐって、
情報を悪用しようとする集団は、必ず存在するはずだ。

もし、自分の情報が、悪意ある第三者に渡ってしまった場合、
私たちは、誰を責めればよいのか?
デパートで書いた配送先の住所から漏れたのか?
クレジットカードを登録したときに漏れたのか?
インターネットショッピングのときに漏れたのか?

膨大な個人取引の中で「どれが原因か?」を特定するのは難しいし、
たとえ特定できたとしても、それを証明するのはほぼ不可能。
つまり『誰も責めることが出来ない』というのが現実なのだ。

では、私たちは、この問題に対して、どう対処すべきなのか?
大切なことは「情報が漏洩することによる不利益の本質は何か?」
を冷静に見極めることである。

実は「情報が漏洩すること」自体は、不利益にはならない。
たとえ漏洩しても、それが利用されなければ、なんら被害は及ばない。
もちろんプライバシーの問題などはあるが、芸能人でもないかぎり、
それほど個人の情報が世間から注目されることは稀であろう。

怖いのは「漏洩した個人情報がもとで、金銭的な不利益が生じること」
である。銀行預金が引き出されるとか、クレジットカードが使われるとか、
そのような被害こそ、恐れるべき存在なのだ。

つまり、不利益の本質とは「金銭的被害」であり、
それを守ることができれば、情報が多少漏洩しても、
それほど大きな問題にはならない。

私たちは「情報を漏洩させないこと」ばかりに目を奪われてはいけない。
「すでに情報は漏洩しているものだ」という前提において、
「金銭的なセキュリティーを意識すること」が大切なのである。
銀行の取引履歴を定期的にチェックする。分散して預金する。
クレジットカードの利用明細には必ず目を通す。
面倒だが、このような作業を怠っている人は多いはずだ。

にもかかわらず「情報漏洩は危険だ」と叫んでいる人は、
漏洩の先にある「本当の危険」に気付いていない。
視点がずれているのである。

そしてこれは、個人だけでなく、企業にもあてはまること。
企業こそ「顧客データの流出には細心の注意を払う」なんて、
言われるまでもないはずだが、問題は「漏洩による金銭的デメリット」
まで意識しているか? である。
顧客への保障問題、ブランドの崩壊、信用力の低下。
これらの損失を金額に換算したら、どれだけ大きな金額になるか?

企業で「情報漏洩対策」が実施される場合、その対策の多くは、
社員の作業効率を下げることが多い。
例えば、書類は必ずシュレッダーにかけるとか、
パソコンのデータは暗号化するなど。
これら、ある意味「面倒な作業」に時間を取られるわけだから、
当然、社員の作業効率は下がり、ムダな残業つまり人件費がかかる。
だが、社員も経営者も、それを承知の上で、セキュリティー対策に
望まなければ意味は無い。効率を重視するあまり「面倒だから」という
理由でセキュリティー対策がおろそかになってしまっては本末転倒。

作業効率が下がり人件費が増えたとしても、
それでも、情報漏洩時の金銭的損失とくらべて、前者の方が安上がりならば、
多少効率が下がったとしても、それは経営戦略としては正解なのである。

だから、社員自身は、面倒な作業を強いられたとしても、
その分、効率が落ちることは許されると考えなければならない。
従来の効率を維持したままセキュリティーも強化しようという発想が
そもそも間違いなのである。

セキュリティー対策にはコストがかかる。
それを前提とすれば、しっかりとした情報漏洩対策ができることは
間違い無いだろう。

(次回につづく。)

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2005年07月20日

社員を動かす「しくみ」を作るには?

「強者のしくみ」という書籍がある。
セブンイレブンなどの成功企業が、どのような仕組みで
常勝しているのかを解き明かした書籍だ。

その本における、あるページに
「牧場に放牧されている牛を運ぶために
列車に効率良く乗せるための図」が描かれていた。

牛のケツを叩き、強制的に列車に乗せることはできるが、
それでは効率が悪い。だから、牛が自ら列車のほうに
歩き出すように、その「しくみ」を考えて作る。
それが「強者のしくみ」というわけだ。

ここ数日「社員監視」をテーマに書いてきたが、
社員監視は「社員を強制的に、経営者の思い通りに
働かせようとする意志」である。
つまり「牛のケツを叩き、列車に無理矢理押し込むこと」
に他ならない。

だが、それは「強者のしくみ」ではなく「弱者のしくみ」
なのである。社員監視をしないと社員を働かせられないような
企業は、すでに弱者であることを認めている。負けを認めているのだ。

「強者のしくみ作り」とは「牛が自ら、牧場主の意図する方向に自分の足で
歩くように、そのしくみを作ること」である。
つまり「社員を監視しなくても、社員自らが考え、頑張り、会社に
利益をもたらすしくみ」を作れなければ、永遠に強者にはなれない。

では、どのようにして、牛が自ら列車に向かうようにするのか?
方法はいろいろあるだろうが、一番大切なことは、
列車に向かうことで「牛が苦痛から逃れられるようにする」か、
または「快楽を得られるようにする」の、どちらかしかない。

例えば、牛が腹をすかせた状態で、列車の中に牧草があれば、
自然と列車の中に向かうだろう。快楽を得る方向に。
「空腹から逃れられる」という意味では、苦痛からの回避とも解釈できる。

いずれにせよ、牛も人間も、本質的には
「快楽を求める」か「苦痛から逃れる」のいずれかの
動機で動く。その心理をうまく理解しなければ、強者のしくみは作れない。

社員を監視する前に「働いた社員に適切な報酬を支払うしくみ」をつくれば、
それで十分なのである。監視などしなくても、社員は金が欲しければ働くだろうし、
自分の時間を重視したければ、適当にサボる。それだけのこと。

「しくみ」について、もっと大きなレベルで考えてみると、どうか?
たとえば、国家のしくみ。国家のしくみを端的に表現すると、それは法律である。
分かりやすいのは税法。相続税を高くするのはなぜか? ペイオフを解禁するのははぜか?

財産が一極集中すると、経済の流れが鈍る。
だから、お金の流れを良くするために、法律をつくる。
ビジネスのアイデアを持っている企業に資金が流れれば、
日本の経済力、国力も上がる。競争力も強くなる。

お金の流れが血液の流れだとすれば、
その循環を良くすることが、日本を元気にすることにつながる。
自然に新陳代謝するしくみ、一点に血が溜まらないようにするしくみ、
それが、国家における「強者のしくみ」なのだ。

資産家や投資家からすれば、税金で取られるぐらいなら、
リスクを取ってでも、投資したいと思う。
つまり、資産家のお金が株式を通じて企業に回り、
私たちサラリーマンの給料の土台を作ってくれている。

これは、ある意味「株式投資すれば儲かる」という餌を
ちらつかせて、投資家の資金を企業に引き寄せている「しくみ」
なのである。強制的に奪うのではなく、自ら「投資させる」ように
するしくみ。
いずれにせよ、日本にとって「お金という血液の流れがよくなること」
は良いことなのだから、税法の目的は達成されている。

会社の経営者にとって「社員の意識」は、会社を動かす血液のようなもの。
自然に循環を良くするためには、どうすればいいのか?
監視という手術で、強制的に血流を制御しても、それは本来の健全な姿とは
いえない。人間の意識は、本来、自然に「良い方向に流れる」という
性質を持っている。会社のため、社員のため、社会のため。
自分が担当している仕事の意味を真剣にかんがえたとき、
社員はみな「自分がやるべきこと」を明確に定義し、確信することができる。
そこに監視など必要ない。ただ「しくみ」があれば、それだけでいいのだ。

(次回につづく。)

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2005年07月15日

社員監視体制の強化は、社員の商品開発能力を奪う

社内における監視体制を強化しようとする経営者は、
それが長期的に見れば、会社の利益につながると思っているのかもしれない。
だが、いき過ぎた管理システムは、社員の自己管理能力を奪うことになる。

六本木ヒルズの億万長者として有名な関口房朗氏は、
社員を育てる秘訣について『放っておくこと』だと話している。
つまり、干渉しないことが『自ら考え行動する能力を養うのだ』という考え方だ。

経営者にとって、会社を経営する目的は、人それぞれだろう。
利益を追求するのか、ビジョンを求めるのか、
もしくは、早いうちに自動操縦化して、自分はキャピタルゲインで引退したいのか。

いずれにせよ、経営者に求められるスキルは
「社員が自主的に、自動的に利益を上げるしくみを考える土台を作ること」
である。それができないと、いつまでたっても経営者自身は楽にならない。
一生舵取りを続けなければならない。

もちろん、それが好きならば、それでいいだろう。
だが、時代の変化とともに、求められる価値観も多様化する。
一時代を築き上げた経営者が、次の時代も同じように持ち上げられるとは限らない。
引くべきときは引き、いさぎよく次の生き方を考える。ビジネスでもスポーツでも、
人生の美しさは「引き際が美しいかどうか?」で決まるもの。

社員が自主的に考え、育つ土壌を作る。
それはつまり「自分のあとを担う経営者の誕生を期待する」ということ。
自分のコピーや人形ではなく、自ら考え、方向を決められる人間。

監視体制が強化されたら、社員はしくみに取り込まれ、
身動きできる範囲が極端に狭くなる。
そのような状況では、他社に勝てるほどのアイデアや商品企画が
生まれるはずもなく、ただ監視システムに操作される社員だけが
会社に残る。

システムのメリットは「文句を言わず指示どおりに動くこと」だが、
それは「クリエイティブな発想や感情の柔軟性が求められる現場」においては
大きなデメリットとなる。

奇抜なアイデアは、奇抜な行動から生まれる。
つまり、時にはサボったり、雑談する「あそび」が無ければ、
発想の枠は広がらない。
人に指示に従わないからこそ、既存文化に反発するからこそ、
そこから新しい概念や哲学が生まれるのだから。

社員を機械化したければ、その社員にやらせる作業は、
すべてシステム化して機会にやらせればいい。
そうすれば、人件費も削減できるし、文句を言うことも無い。

前回のコメントで「営業マンをGPSで監視する」という話しがあったが、
極端な話し、それならロボットにやらせてもいい。
決められたとおりのルートを時間どおりに回るロボットを開発する。
SF的な話しだが「アイロボット」などの映画を観ていると、
それも不可能な話しではない。
監視システム強化の進む先は、社員のロボット化である。

だが、社員をシステム化した会社は、
新しいアイデアを社内から吸い上げられなくなるから、
やがて、他社の新商品に勝てなくなり、競争力が落ちる。
そうなると、他社の下請け的存在になるのだ。

つまり「○○を作ってくれ」という要求を満たすのは得意だが
「○○」を考えることができなくなる。
それがシステム化の恐ろしさ。

究極的には「利益を上げること」が目的なのだから、
社員がそれを自覚していれば、監視していなくても勝手に働くようになる。
問題なのは「会社が得た利益をフェアに社員に分配しないこと」なのである。
社員もバカではない。自分で働いた分、それなりのリターンがあるのなら、
サボっているよりも働いた方が得だと考える。お互いにwin-winになればいいだけ。

そのためには「評価の基準と方針の明確化」が欠かせない。
社員の数が増えれば増えるほど「だれが、いくらぐらい、会社に利益をもたらしたか?」
を考えるのが大変になる。
だから「一律年功分配」という安易な評価方法に逃げるのだ。

監視システムを考える時間。それを「社員が自ら本気で頑張る評価のしくみ作り」
に使うことができるか? それができない経営者は、やがて業界の下請け業者に
成り下がることは、まず間違い無いだろう。

(次回につづく。)

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2005年07月13日

社員監視という投資は利益を生むのか?

先日、書店で「社員が監視される時代が来る」という旨の本を見かけた。
インターネットのアクセス監視だけでなく、
メール検閲や監視カメラ、ディスプレイモニタなど、
ありとあらゆるシステムで、社員の会社での働きぶりを
すべて把握しようというのだ。

そのうち、電話の内容や会議での発言も
すべて録音されるようになるかもしれない。
もはや、社内にプライバシーは存在しなくなる。
そんな時代が来るという警告だ。

私たちは、今でこそ、街中で監視カメラが回っていることに
それほど抵抗を感じなくなった。
高速道路、繁華街、駅のホーム、コンビニ。
『撮影されるのは当然。犯罪を抑止し、自分たちを守るためには
必要なシステムだ。』そう解釈することで、窮屈な感情を緩和しようとしている。

たしかに、犯罪抑止という国家的大義名分を考慮すれば、
街中でのプライバシーが多少犠牲になることはしかたない。
もし、自分が犯罪の加害者として疑われたとしたら、
どこかの監視カメラが、自らのアリバイを示す証拠になるかもしれない。

だが、それはあくまでも、社会福祉的な考え方に基づく監視であり、
少なくとも「利益追求」を目的とはしていない。
そこに「国家」と「企業」の大きな違いがある。

企業は、国家と違い「利益を出すこと」が求められる。
もちろん、社会貢献という大いなるビジョンも必要だろうが、
それを達成するためにも、まずは稼がなければ話しにならない。

では、企業は何のために社員を監視するのか?
それが「稼ぐため」だと言うのならば、
その監視行為が、本当に会社に利益をもたらすのかを
真剣に考え、冷静に分析しなければならない。

監視には膨大なコストがかかる。
システムの導入、管理者の人件費、
企業規模によっては、数千万円を超える投資に
なるだろう。おいしいのは、監視システムを販売する会社だ。

『社員を監視しないと、仕事をサボりますよ。
だから監視システムを導入して、社員をもっと働かせましょう』
というキャッチコピーで、高いシステムをバカな経営者に販売するのだ。

もちろん、その投資が「利益を生む」のならば、
それはビジネスとしては正しい判断と言える。
だが、社員を監視することが、利益を生むことに
どう関連するのか? そのプロセスを明確に説明できなければ、
監視システムは経営者の自己満足または自己顕示欲の象徴に終わる。

たしかに、一時的には「サボる社員」がいなくなるので、
売上は上がるかもしれない。だが、長期的な視点で見れば、
社員のモチベーションは下がり、人間性は失われていく。

結果ではなく「監視カメラに映っている姿」で評価が下されるのならば、
社員の目的は「カメラ映りを良くすること」に集中する。
だれも売上をあげようなんて考えない。ただ、仕事をしている芝居を
するだけだ。演技である。

冷静に考えれば、どんなに監視システムを強化しても、
すべての社員を完璧に管理することなどできない。
それは、管理する側も人間であり、社員だからだ。
完璧な人間は存在しない。だから完璧な管理者なんていない。
つまり、完璧なる監視などできない。

そもそも、監視を強化したところで、売上が伸びなければ
まったく意味は無い。
社員一人がどれだけサボっていたか? よりも
社員一人がどれだけ儲けたか? にフォーカスしなければならない。

それができないバカな経営者ほど、安易にシステムに頼ろうとするのだ。
本来、社員のやる気を出させたりモチベーションを高めたりするのは
社長の仕事である。社長がビジョンを社内に浸透させる努力をしないから、
社員の意識が四方八方に分散してしまうのだ。

それでも、監視システムを強化したほうが儲かるというのならば、
たくさん導入すればいいだろう。
だが、私なら、例えば株式投資においては、
「監視システムを導入している会社」の株をすべて売り、
「監視システムを販売している会社」の株を買いあさるだろう。
そのほうが儲かるからだ。システムに依存する企業に未来は無い。

(次回につづく。)

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2005年07月11日

社員全員が浦島太郎になる日

便利なものが普及すると、その浸透度に比例して、
必ず「新たな問題」が発生するものだ。
携帯電話と電車内マナー、ペットボトルとゴミ問題など、
その例は数え上げたらキリが無い。

これは、インターネットでも同じことである。
気軽に情報へアクセスできるインフラ。
そのために「見られたくない情報まで見られる」という弊害。

迷惑メールの増加も、インターネットが抱える大きな問題の1つだ。
メールという便利さと手軽さ、利用料の安さが、
逆に『宣伝目的で悪用しようとする業者』の餌食になった。

しかし、だからといって、メールやインターネットを
「汚いもの」とか「危険なもの」だと解釈するのは間違っている。
デメリットだけに目を向けると、多くのメリットが見えなくなってしまう。

以前、どこかの国で、自動車が始めて道路を走り始めた時代、
次のような法律が作られたという。

-------------------------------------------------

自動車が走ると、通行人にぶつかる危険がある。
なので、車を走らせる時は、車の前方に必ず
「旗を持った人間」を歩かせ、先導させること。

-------------------------------------------------

今の常識で考えると、まったく馬鹿げたルールだ。
人が歩く以上のスピードを出せないのならば、自動車の意味は皆無。


どんな道具でも、その特性を最大限に発揮させるためには、
多少のリスクを覚悟しなければならない。
鋭い刃物を使うときほど、ケガのリスクは高まる。
よく効く薬を飲むときほど、副作用の覚悟が必要。

自動車を「人をひき殺す危険な道具」だと解釈すると、
歩くスピードを制限速度にするようなルールを作ってしまう。
しかし、もしそのような速度しか出せない車ならば、
経済の発展に貢献することは無かっただろう。
物流や移動の高速化があってこそ、経済は成長するのだから。

では、インターネットの場合、どうだろうか?
もちろん、2ちゃんねるのような誹謗中傷の問題、
顔の見えない商取引の問題など、デメリットはいくつかある。
だが、それ以上に私たちは、インターネットから多くの
恩恵を受けていることを忘れてはならない。

ビジネスでも趣味でも、情報を効率的に収集できることは
大きなアドバンテージとなる。
そのツールがあってこそ、仕事や遊びが円滑に進むのだ。
つまり、インターネットは「ビジネスにも必要なインフラ」なのである。

にも関わらず、大企業(特に古い体質の組織)においては、
いまだに「勤務時間中のインターネット利用」に対して、
いろいろな制限を設けているケースが多い。

もちろん、制限をまったく設けないのもまた問題だろうが、
少なくとも、その制限が「業務を妨害する種類のもの」であっては
ならない。

時速100キロで走れる車の前に人が歩いていると、
その車は全力を発揮できずに壊れていく。
このような社員の能力を上げるために、経営者がやるべきことは、
時速100キロを出せる場所(高速道路)を用意し、
前に歩いている人を撤退させることだ。

私自身、システム開発の現場にいるが、
プログラムの問題が発生すると、その原因を突き止めるために
インターネットを利用するケースが増えている。

その場合、同業者が掲示板に書き込んでいるネタが、
問題解決の糸口になったりするのだが、
もし、その掲示板が「閲覧禁止」になっていたら、
そこにある情報に触れることはできない。

たった1つの情報でも、それがきっかけで、
すぐに問題が解決することもある。
逆に、その1つの気付きが得られなかったために、
1日あるいは1週間を無駄にしてしまうこともある。
ビジネスというのは、それぐらい微妙でデリケートなもの。

新しい文化についていけない人種は、新しい文化を排除しようとする。
制限しようとする。だが、そのような姿勢では、新しいアイデアなど
生まれるはずも無い。だから、新商品も開発できなくなる。

「時流に乗る」ということは「時代の流れを受け入れる」ということ。
そこにはリスクもあるだろうが、それを覚悟しなければ、
気付いた時には、社員全員が浦島太郎になっているという、
もっと恐ろしいことが起きてしまうのである。

(次回につづく。)

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2005年07月08日

囲い込むなら最後まで責任を持つべき

商売の世界では「顧客の囲い込みが大切だ」と、よく言われる。
一度買ってくれたお客さんの住所やメールアドレスをデータベース化し、
関連商品などを継続的にお知らせすることで、長期的な収益を
確保するというのが狙いだ。ビジネスの世界では常識である。

この「囲い込みの法則」は、人材確保にも当てはまる。
大企業において、長期的な安定を確保したければ、
やはり、長期的に「できる人材」を確保しなければならない。
つまり、稼ぎ頭の年齢で辞められたり、他社にヘッドハントされるような
ことがあっては、経営者にとっては大打撃なのである。

そのためには、できるだけ、社員の目を社外に向けさせないようにしたい。
仕事中は、会社の中だけに目を向け、それに集中させる。
つまり、浮気をしないように監視しなければならない。
まるで「籠の中の鳥」である。

もちろん「社員の意識を長期的に籠の中に集中させること自体」は、
悪いことではない。むしろ、社員の側も、それを望んで
就職という人生を選んだのだから。

だが、籠の中に社員を閉じ込めておくためには
「最後まで面倒を見ることを約束する」のが前提である。
つまり『途中でいらなくなってもポイ捨てできない』ということ。
だから、リストラなどはありえないのである。

もちろん、クビを切る側にも言い分はあるだろう。

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会社に不要な人間だから解雇したまでだ。
本当に優秀な人間ならば、自分で次の仕事を探せるし、
いくらでも再就職先は見つけることができるはず。
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たしかに、それも一理ある。
だが、それを言うのならば「社員が次の仕事を自力で探せる
ようになるための土俵を準備したか?」もまた、
経営者は自らに問い掛けなければならない。

籠の中の鳥は、籠の中から出ないことを条件に、
餌を定期的に与えられてきた。だから、自力で餌を探すことはしない。
つまり、獲物を自分で捕まえる能力が低下していた。
そんな状態で『やっぱり鳥なんていらない』といい、
籠を開けて鳥を逃がしてしまったら、その鳥はどうなるのか?
野生の勘を取り戻す前に、飢え死にしてしまうかもしれない。

最近、大企業では、社外へのインターネットアクセスに対する
規制を厳しくしている傾向がみられる。
私の勤務先でも、転職関連のサイトは閲覧禁止だし、
その他、検索結果に「業務上好ましくないサイト」が出てきた場合も、
アクセスすることができない。

もちろん、アダルト系やギャンブル系は論外だが、
それ以外でも、ビジネス関連のサイトでさえ、
規制が強化されている傾向には、少し疑問を感じている。

ネットへのアクセスを規制するということは、
社員が情報に接することを禁止しているということ。
今の時代、メールもインターネットも、生活必需品である。
電話と同じなのである。

もし、会社に電話を置かなかったら、どうなるか?
『私用電話を防止するために外線電話は一切置かない』
なんて会社があったら、もはや業務は成立しなくなる。
インターネットも同じなのである。

ビジネスにおいて、情報源は「命」である。
その貴重なライフラインを使うことを制限することのデメリットは、
長期的に見れば、計り知れないのだ。
籠の中しか見えない、社外のことを知らない鳥たちが、
たくさん増えてしまうのだから。

だから、経営者は、

1.籠の中に閉じ込める。そのかわり、最後まで面倒を見る。

2.籠の窓はいつでも開けておく。そのかわり、いつ籠がなくなるかは分からない。

の、どちらかしか選択してはいけないのである。それを、

「籠の中には閉じ込めたいが、いつ籠がなくなるかは分からない」

というからダメなのである。

社員が定年するまで籠を守りつづける自信が無い経営者は、
今すぐ籠の窓をオープンにして、社員が自分で獲物を探す力を
鍛えるための土俵を用意しなければならない。

この時代、獲物とは「情報」である。
情報を制するものがビジネスを制し、お金を制するのだから。

社員の人生を囲い込みたいなら、籠を守り通す覚悟を決めよ。
籠を守り通す自信がないのなら、社員を囲い込もうとしてはいけない。

大企業の経営者がこの考え方を取り入れない限り、
これからも、籠の中の鳥たちは、野生の勘を失っていくのである。

(次回につづく。)

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2005年07月06日

「自分の人生を生きる」ということの意味

「部下を自立させる指示の仕方とは?」に関するコメント
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総合職は、仕事は楽しい(いきいきしていられる)が、自分の時間は確保しにくい。
一般職は、仕事は楽しくないが、自分の時間はとれる。
これは間違った解釈でしょうか。
また、一般職で魅力的な方に出会われたことはありますか?
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に対する回答。

そもそも「魅力的な人間」の定義とは何だろうか?
私の意見では、それは『自分の仕事に真剣に取り組み、
生き生きと毎日の業務を楽しんでいる人』のことである。

それは、外見とか容姿の問題ではない。
ビジネスへの姿勢や、生き方の問題である。

もちろん、職種や業種に左右されるものでもなければ、
年齢や性別によって変わることも無い。

いくつになっても、生き生きした人生を歩んでいる人はいるし、
若い頃から「仕事なんて楽しくない。辞めたい」と思いながら、
毎日を暗く過ごしているサラリーマンもいる。

つまり「総合職だから楽しい」とか「一般職だから楽しくない」
という定義は、そもそも成立し得ないと、私は考えている。

あるとすれば、
1.総合職で、仕事を楽しんでいる人。
2.総合職で、仕事を楽しんでいない人。
3.一般職で、仕事を楽しんでいる人。
4.一般職で、仕事を楽しんでいない人。
の4パターンしかない。

つまり、総合職だろうが、一般職だろうが、
いずれにせよ、自分自身が「仕事を楽しめる人間」になれば、
それでいいのである。他人の意見などは気にしなくて良い。

もちろん、OGやOBの意見は、参考にしてもよいだろうが、
それを100%信じて、鵜呑みにすることは、やめたほうがいい。

例えば、1000人のOGやOBにインタビューをして
その統計を取ったというのならば、また話しは別だが、
ごく小数人数の意見しか聞いていないのであれば、その意見には、
少なからず、その本人の個人的主観が入る。
また、聞いたときのタイミングや気分で、
たまたま否定的な意見が出てきただけかもしれない。

サラリーマンなら、誰もが仕事の中に「感情の波」を感じている。
新しい仕事に取り組む時も、最初は「よっしゃ、やるぞ!楽しむぞ!」
と思っているのだが、やがて問題や壁にぶち当たると、
「やっぱりこんな仕事は自分には向いていない」と否定的に感じることがある。
だから「否定的な気分のときに聞く意見」は、どうしても否定的になってしまうのだ。

一般職であろうが、総合職であろうが、
魅力的な人もいるし、そうでない人もいる。
そもそも、人間の魅力を職種で分別しようという視点が、
そもそも違うのではないかと、私は思っている。

次に「時間の確保」についてだが、これも、私は
「職種や業種に左右される問題ではない」と考えている。

もちろん、サラリーマンは、公務員のように、毎日定時に帰ることは
難しいかもしれない。これは、一般職、総合職に関係無く、
残業がある会社ならば、すべてのサラリーマンにあてはまることだ。

しかし、一方では、トリンプ(下着メーカー)のように、
「残業ゼロ」を徹底している会社もある。
女性社員が多いので、家庭との両立を図りやすくするためだ。
それでも、トリンプの業績は毎年伸びている。

つまり「長く働けばそれだけ利益が出る」というわけではないのだから、
これからは、多くの会社で「できるだけ残業をなくす方向」に
進んでいくと予想される。だとすれば、大切なのは
「いかに定時間内で最大の効果を発揮するか?」であり、
それができれば、定時後はさっさと帰って、自分のやりたいことを
やればいいのである。

もし「会社で研究開発に没頭したい」と思うのならば、
あえて会社に残って、仕事を長時間続けるのも楽しいだろう。
最終的には「個人の価値観」の問題なのである。
つまり、時間をどう使うか? は、サラリーマンでも十分に
コントロールできるわけであり、その気になれば、いくらでも確保できる。
土日もあるし、年末年始、盆休みもある。有給休暇も取れる。

よく「うちの会社は忙しくて、プライベートの時間なんてない」
というサラリーマンがいるが、その言葉を100%信じて鵜呑みにしてはいけない。
失礼な話しだが「ただ、その本人の仕事が遅いだけ」かもしれないし、
または『忙しいけど、自分は頑張っている』というのを自慢したいだけかもしれないのだ。

いずれにせよ、時間を自己管理できない人間は、何をやっても成功しないだろう。
仕事でも、趣味でも、恋愛でも、時間を上手くスケジューリングできる人間こそが、
自分の望む人生を実現させることができるのだから。

学生時代は、先輩サラリーマンの意見に翻弄される時期があるかもしれない。
だが、すべては「聞き流す」程度に、軽く解釈をしておけばいい。
このブログに書いてあることも、100%信じなくていい。話半分に読めばいい。
大切なことは「最後は自分の信念に従って決める」ということだ。
それが「自分の人生を生きる」ということなのだから。

(次回につづく。)

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2005年07月04日

部下を自立させる指示の仕方とは?

例えば、あなたがタクシーの運転手で
『そのかどを右に曲がってくれ』
と言われるよりも
『駅に行くにはそのほうが近いから右に曲がってくれ』
と言われたほうが、運転しやすいはずだ。

仕事において、私たちは他人に指示を出すとき
「どうしてほしい」という希望は伝えるが
「○○だから、どうしてほしい」という理由と一緒には
伝えないことがある。

これは「指示の時間短縮」という意味では、作業の効率化には
つながるかもしれない。だが、部下の自立という面においては、
必ずしも有効な指示の仕方とは言えない。

仮に、あなたの職場に新人が配属されてきたとする。
とりあえず、具体的な作業を与えるために、簡単な仕事を
指示しなければならない。
その場合
『この資料から○○の情報だけを抜粋して一覧表をつくってくれ』
のように指示をするかもしれない。

もちろん、それだけを指示されれば、新人は作業をすることができる。
だが、新人は「はい、わかりました」というだけで、
『完成した一覧表が、どんな業務で、どんな目的で使われるのか?』
を知ることが出来ない。

熱心な新人ならば「一覧表を作る目的は何ですか?」という
質問をするかもしれない。だが、多くの場合は、そんなことを聞いたら
上司から『お前はそんなことは気にしなくていいんだ』と
否定されそうなので、とりあえず遠慮して、反論しないのが通常だろう。

これは、タクシーで言えば
「何のために右に曲がるのかは知らないが、
とりあえずハンドルを右に切れといわれた」
という状態。

つまり「もっと良い近道があるかもしれない」
と思っても、最終目的地がどこか? を知らなければ、
アイデアを出すことができないのである。

「自ら考える能力」を鍛えるという視点で考えれば、
きちんと作業の目的まで伝えて仕事をさせたほうが効率は良い。

一覧表1つを作るにしても、それが顧客に出す資料なのか?
それとも社内ミーティング用の資料なのか? によって、
どれだけ「資料としての見た目の丁寧さにこだわるか」もちがってくる。
スピード重視か? 丁寧さ重視か? それを部下自らに考えさせるチャンスを
与えなければ、いつまでたっても部下は自立しない。

慣れてくると、むしろ「ハンドルをどちらに切るか?」を
伝えるよりも「目的地はどこか?」を伝える方が重要になってくる。
目的地だけを伝えて、そこに辿り着く方法は、部下自らに考えさせる。

もちろん、途中で道を外れそうになることもあるだろうから、
その場合は、上司がきちんとフォローをする必要があるだろうが、
それでも「自分で考えて運転させてみる」という視点は大切だ。

『いつまでたっても部下が育たない』『自立しない』と
嘆いている上司。彼らは、部下の文句を言う前に、まず
「自分が今まで、どのような指示を与えてきたのか?」を
省みる必要がある。それができなければ、組織の管理者とは呼べないだろう。

(次回につづく。)

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2005年07月01日

1つの職場の価値観だけに染まってはいけない

7月といえば、研修期間を終えた新入社員たちが、
各職場に配属される時期でもある。
会社や業種によっても違うだろうが、4月に入社して、
6月一杯までは研修というスタイルが多いのではないだろうか。

新人が職場に配属されることは、既存の社員にとっても
「新しい風が吹き込む」と言う意味で、メリットがある。
初心を思い出すチャンスでもあるし、先輩らしく振舞おうとする
きっかけにもなるはずだ。

職場がマンネリ化している場合、新人が入ることで、
停滞していた空気が、また循環し出す場合が多い。
いわゆる「教育係」になった社員は、それによって
自分の仕事が増えたとしても、それ以上の満足感が得られる。
周りの社員も、なんだか新鮮な気分になれるのだ。

そのような意味では、サラリーマンにとっての
「気分を一新する時期」は、毎年4月ではなく、7月なのだろう。
学生のように「進学」や「卒業」が無いサラリーマンの仕事。
毎年、自分の中で「気持ちの区切り目」を作らなければ、
いつまでたっても、次のステップに進むきっかけを掴めない。

もちろん、昇格による肩書きの変化があれば、多少は
気分が変わることもあるだろう。だが、最近は、役職が変わっても
事実上の仕事の内容は変わらないことが多いから、やはり
仕事へのマンネリ感は残ってしまうのが現実ではなかろうか。

そんな時こそ「初心に帰る」ことが大切なのである。
どんな仕事にも「新鮮さ」を感じていた時期はあったはず。
それを思い出し、マンネリ化した仕事の中に、
どんな新しさを感じることができるか? それが日々の仕事を
楽しくこなすための秘訣なのである。

一方、新人の立場では、どのような点に注意すればよいだろうか?
初めての職場、初めて「サラリーマンとして仕事をする舞台」に
立つ瞬間。私も含め、全員が一度は経験した時期。
気をつけなければならないのは「最初に配属された職場の価値観や
文化だけに染まらないこと」である。この姿勢は、とても大切だ。

大企業の場合、職場やチームによって、価値観や文化は大きく異なる。
正確には、管理者(上司)のスタイルによって決まるといっても過言ではない。

例えば、同じ会社内でも、あるチームは毎朝ミーティングをしているが、
別の職場では、まったくしていない、など。
もちろん、仕事の内容やプロジェクトの緊急性、チーム人員の数によっても
変わってくるだろうが、新人にとって大切なことは「会社って○○なんだ」という
思い込みに染まらないことなのだ。

仮に、ある新人が「毎朝ミーティングをする職場」に配属されたとする。
すると、彼は『会社とは、毎朝ミーティングをするのが当たり前なのだ』
と思い込んでしまうかもしれない。

一方『ぜんぜんミーティングをしない職場』に配属された新人は
「これが普通なんだ」と思い込む。同年代、同時期に入社した社員なのに、
まったく違う価値観、文化が作られるのだ。

そして、彼らが10年後、管理職になったときに、
ミーティングをするか?しないか?の意見が分かれる。
これは、どちらが正しいとは言えない。
不要なミーティングは時間の無駄だが、
逆に、チーム内の意思疎通が図れていないことも大きな問題。
ケースバイケースによって、使い分ける必要があるのだ。

つまり「絶対にミーティングをしなければならない」
という考え方も危険であり、また
「ミーティングなんてする必要もない」
という考え方も危険。偏った意見では、柔軟性が無くなる。

だから、新人は「職場の価値観を100%信じて吸収する」
なんてことは、考えなくていい。それよりも「本質」を見抜く
スキルを鍛えるほうがよい。

本質とは何か? 例えばミーティングならば「何のためにやっているのか?
どんな情報を伝達しているのか? もしこれが無かったら、どんな問題が
起きるか? または、これをやってることで、どんなデメリットがるか?」
など、それをやる理由の本質を考える質問を、自分に対して行なう必要がある。
これができないと、型に嵌った考え方しかできなくなるので、頭が固くなる。

いずれ、いろんな職場を体験することで、価値観の違いを理解し、
それぞれのやり方を学べるようになるだろう。そのときにはじめて、
各チームの価値観を比較することができるようになる。

だが、最初に植え付けられた価値観が深ければ深いほど、
後から入ってきた価値観を受け入れられなくなってしまうというリスクがある。
『前の職場ではこうしてました。だからこうしたほうがいいと思います』
のように、すべての行動基準を「過去の経験や前例」に頼ってしまう。
これでは、新しいことには挑戦できないし、斬新なアイデアも生まれない。

これは、転職や起業にも言えることだ。
それまでのワークスタイルにこだわりすぎると、
新しいチャンスを逃してしまう。古い価値観のメリットを
残しつつ、それでも改善の余地を見つけることができるか?
その視点が、自分を成長させるためには必要なのである。

(次回につづく。)

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