2005年06月29日

欲しい情報を手に入れるための質問テクニック

「質問」と「疑問」には、大きな違いがある。
「質問」には、相手に「気付き」を与える効果がある。
だが「疑問」は、ときとして、相手に「自信の無さ」という印象を
与えてしまうことがある。

よく、自分の発言を、すべて疑問形にしてしまう人がいる。

『私? ロングヘアー? 似合うって言われるのよね。』

なぜ「私」や「ロングヘアー」の語尾を上げて、疑問形にしてしまうのか?
その理由は『反論された時の防御』のためだ。

もし、上記の発言のあとに、

『でも私は、ショートのほうがかわいいと思うなぁ』

なんて言われたら、

『でしょ、私も本当にロングが似合うのかどうか微妙だったの・・・』

という流れにつなげることができる。

このように、反対意見の許容範囲を広げるために、
つい疑問形にしてしまうのだが、それは「自信の無さ」を
相手に感じさせてしまうので、ビジネスの場においては、
相手に与える印象が悪くなってしまうことがある。

会話を疑問形にしてしまう人は、その発言のなかに
何らかの「答え」を求めている場合が多い。
それは、肯定かもしれないし、否定かもしれない。
または、同意や共感かもしれない。

先ほどの

『私? ロングヘアー? 似合うって言われるのよね。』

の場合、その裏には

『私に似合うのは、本当にロング? それとも ショート?』

という「答えを求める心理」があるのだ。

つまり、これは本質的に「疑問」ではなく「質問」なのである。

端的に表現すれば

『私に似合うのはどちらだと思いますか? 1.ロング 2.ショート』

という、単なる2択の質問なのである。

このように、日常会話においては、簡単に言えば「質問」で
済むものを、あえて「疑問形の発言」に置き換えて表現することがある。

もちろん「会話をコミュニケーションとして楽しむ」という目的に
おいては、それもよいだろう。

だが、スピードが求められるビジネスの現場においては、
常に「端的な質問にして聞く」という姿勢を忘れてはならない。
でなければ、無駄な会議やミーティングで、
相手の貴重な時間を奪ってしまうことにもなるし、
自分自身も、求める結果が得られないので、誰にもメリットは無い。

具体的に考えてみよう。あなたが、
仕事で新しい案件に取り掛かろうとしている場合。
同僚に対して、次のような発言をしたとする。

『あの案件? なんだけど、
まぁ、俺の今までの経験? も役に立つと思うんだよね』

これを聞いた同僚は、何と答えればいいのか?
「そうだね」とか「ふーん」としか言えないのではないか。

発言する前に、自分が「どんな答えを求めているか?」を
しっかりと把握しておかないと、期待する返答は得られない。

この場合

・この案件を自分が担当すべきか? Yes / No
・この案件を成功させるために必要な経験は何だと思うか?

のような質問に置き換えることができる。

このように、明確な答えを求める質問を受けたら、
同僚も、自分の意見を発言するしかない。
少なくとも「そうだね」や「ふーん」で流すことはできなくなる。

会話の展開次第で、自分に有益な情報が引き出せる状況があるのにも
かかわらず、それをうまく自分のものに出来ない場合、
その原因はどこにあるのか?

最初に改善すべき点は、自分の発言の中にある。
いかに「相手に伝わりやすい端的な質問」ができるか?
それが『欲しい情報』を手に入れるための、最善のテクニックなのである。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 10:49Comments(2)TrackBack(0)

2005年06月27日

相手の魅力を引き出すための質問とは?

会話とは「質問の繰り返し」によって成立するものである。
もし、会話の中に「相手に対する質問」が存在しなければ、
それは単なる「講演」もしくは「独演会」である。

質問によって、相手の「気付いていない魅力」を引き出すこと。
これができる人間こそが「話し上手」と呼ばれるのだ。
では、相手の魅力を引き出す質問とは、具体的には
どのような質問を言うのだろうか?

まず「相手が当たり前だと思っている特技」について
『それは当たり前ではない』と気付かせる質問。
例えば、次のような質問である。

『それは、なかなか出来る人はいないと思いますよ。
いつごろから、されてるんですか?』

このような質問をされた人は
「そうか、自分では当たり前だと思っていたが、
一般的に見たら、なかなかいない、特殊なことなのか」
と、自分の意外な優位性に気付くことができる。
それが自己評価を高めることにつながり、満足度も高めてくれる。
「自分で自分を好きになる」ためのきっかけを与えてくれるのだ。

これは、必ずしも、相手の仕事に関する専門的なスキルだけに
当てはまるものではない。相手の日常生活や、プライベートな
部分にも、たくさんの「本人が気付いていない質問」は存在する。

毎朝ウォーキングを続けているとか、昼食の弁当を自分で
作っているとか、このようなことも、それをやっていない人からみたら、
「すごいこと」なのである。単純な作業の中にこそ、魅力のタネは埋もれている。
人は「自分が今まで気付いていなかった魅力」に気付くと、とても嬉しくなる。
心理学的には「自己拡大」と呼ばれる。自分の可能性が広がっていくような気がする。
だから「自分の魅力に気付かせてくれる人」と話しをしていると、人は楽しくなる。


このような「相手の隠れた魅力を引き出す能力」を持っている人は、
職場でも、部下のやる気を引き出したり、上司の承認を得たりするのが上手い。
だから、仕事が上手くいくし、プロジェクトを有利に進めることもできる。

特に、部下や後輩を指導する場合、私たちが注意しなければならないのは、
「現在の失敗」にばかり目を奪われやすいという点だ。
そのような視点で質問をしてしまうと「問題の原因追求」がメインになってしまい、
相手の隠れた魅力を引き出すことは難しい。

もちろん、問題を明確にして原因を追求することは、
類似の問題への再発防止策としては有効である。
だが、問題を発生させた部下自信が、今後、自分で考え、
自信を持って仕事を続けられるようにするためには、
原因追求とは違った、また別の視点からの質問をしなければならない。

「隠れた魅力」とは「忘れている魅力」とも言える。
つまり、本人はもともと、その魅力を持っているのに、その事実を
忘れているだけ。だから「それを思い出させるような質問」をするだけで、
本人のやる気はアップし、問題を起こしたことによる自己嫌悪から開放されるのだ。

「本人が忘れている魅力」を引き出すための質問としては、
例えば、次のようなものが考えられる。

『今回は問題が起きたが、以前、あの件のときは、
とても上手くいったよな。あのときは、どんな手順で、
どんな姿勢で取り組んだんだっけ?』

このような質問をされた部下は、次の2つのことを思い出し、
自ら考えざるを得ない状況に置かれる。

1.過去に自分が成功したときの様子
2.そのとき、なぜ成功したのか?というプロセス

上から『ああしろ、こうしろ』と言ったところで、
その手法が、すべての場面に役立つわけではない。
ビジネスの立ち回りはケースバイケースであり、
その都度、臨機応変に本人が考えることが、最大の課題なのだ。

だとすれば「本人に考えさせるような質問」をすることは、
部下の育成という観点においても有効な手法であるし、
部下自信に「過去に自分が成功してきた」という事実を
思い出させるだけでも、大きな自信を取り戻すきっかけになる。

「良い人材が育つか?」が「質問のしかた」によって決まるのならば、
私たちサラリーマンは、職場における「部下への質問」について、
より深く、真剣に考え、取り組んでいかなければならない。

その結果として「自ら考え、行動できる部下」が育つのならば、
それは、最終的に「上司の指示が無くとも、成果を上げることができる組織」
を作り出すことにつながる。そうすれば、上司自身の管理業務も、
大幅に簡略化するし、時間や労力もこれまで以上に削減できるに違いない。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 15:07Comments(0)TrackBack(1)

2005年06月24日

質問の裏にある「本当の問題」を引き出す技術

どんな質問でも、その表面的な部分だけを見ていると、
「本当に相手が求めている答え」を見失うことがある。
その場合、どんなに的確なアドバイスをしたつもりでも、
相手の心には響かない。

質問には「本当に解決策を求めている場合」と
「コミュニケーションを求めている場合」とがある。
前者の場合、的確な問題解決方法を提示する必要があるが、
後者の場合、回答の内容には、質問者の満足度は左右されない。
むしろ「質問できたこと自体」で、質問者は満足をするのだ。

では、相手が「問題解決」の質問をしているのか、
それとも「コミュニケーション」の質問をしているのかは、
どこで見分ければよいのだろうか?

1つは「質問の内容に『問題の具体的内容』が含まれているか?」
を見るという方法がある。

例えば「美味しいじゃがいもはどこに売っていますか?」
という質問。この質問には、問題の具体的内容は含まれていない。
だから、もしかしたら、単なるコミュニケーションを求めているだけの
質問かもしれない。その場合は、
『さあ、どうですかねぇ〜、じゃがいも、好きなんですか?』
みたいな、結論の出ない会話に終始しても、相手はそれなりに
満足する可能性がある。

では、つぎのような質問なら、どうだろうか?
『子供が野菜嫌いで、なかなか食べてくれません。
カレーなら食べるのですが、野菜は残します。
素材の選び方が悪いのでしょうか?』

この質問の場合、問題の具体的内容は明確である。
「子供の健康を心配している」ということだ。
つまり「美味しいジャガイモ」は、1つの手段にすぎないため、
「美味しいジャガイモが売っているお店を教えること」は、
問題の本質的な解決にはならない。

問題がどこまで深刻か? にもよるが、
少なくとも、相手が具体的な問題を明らかにしている以上、
それに対する「的確なアドバイス」が求められているのは確か。
つまり、相手を満足させるためには「具体的な助言」が必要。

ではもし、自分が「コンサルタント」あるいは「コーチ、指導者」として
相手の質問を受ける場合、質問の種類が「コミュニケーション型」に
聞こえたら、どうすればよいのだろうか?
そのまま「コミュニケーション」だけを重視して話しを進めるべきか?

少なくとも、自分が「相手の問題を解決すること」を仕事にしているならば、
相手の「コミュニケーション型」の質問から、
「具体的な問題の内容」を、うまく引き出してあげなければならない。

先ほどの例で言えば
「美味しいジャガイモはどこに売っていますか?」
という質問の裏にある「本音」を引き出さなければならない。

つまり
『何のためにジャガイモが必要なのですか?』
という切り返しをして、相手の本質的な問題を
クリアにする作業が求められるのである。

「話し上手」は「聞き上手」と言われる。
相手の「真の欲求」を見極め、それを引き出す能力。
コンサルタント、コーチングを問わず、
会社の中で働く上司、管理職にも、同様のスキルは求められる。

そのような意味では、部下からの質問、取引先からの質問に対しての、
相手の本音を探り出す視点での切り返しは、日々、会社の業務において
鍛えられるスキルであると言える。職場が毎日の訓練場なのである。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 15:23Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月22日

欲しい答えを引き出す「具体的かつ相応しい質問」とは?

「質問の内容を見れば、相手のレベルが分かる」という話しの続き。

レベルの高い人は、レベルの高い質問をする。
レベルの低い人は、レベルの低い質問をする。

それを見極める切り口の1つとして「具体的かどうか?」がある。
つまり、レベルの高い人ほど具体性の高い質問をし、
レベルの低い人ほど、漠然とした質問をしてしまう。

例えば「今日の晩御飯は、何にしようか?」という課題があるとき。
『なにがいいでしょうか?』という質問は、漠然とした質問。
『カレーにしようと思っていますが、美味しい「じゃがいも」は、
どこに売っていますか?』というのが、具体的な質問。

だから「レベルの高い会話」をしたければ「レベルの高い質問」を
しなければならない。つまり「より具体的な内容」を重視する。

だが、ただ単に「具体的な質問」をすれば、レベルの高い質問に
なるというわけではない。「具体的である」と同時に「その場に相
応しい質問」であることが求められる。

「その場に相応しい」とは、つまり「その相手に聞くべき質問かどうか?」
である。この視点が欠けていると、セミナーなどの「質疑応答」の場面で、
他の参加者からの「冷たい視線」を浴びることになるだろう。

もちろん、質問するときは「他人の目を恐れず自信を持って発言することが
大切である」という前提は変わらない。だが、相手が貴重な時間を割いて
自分の質問に答えてくれるのだから、その時間は、自分だけでなく、
他の参加者にとっても「有益なもの」でなければならない。それが礼儀だ。

その質問が「相応しい質問かどうか?」は、
「その人が答えるべき質問かどうか?」による。

そこには、必ずしも「具体性」が求められるとは限らない。
むしろ「漠然とした質問」であっても、その場に相応しい質問であれば、
それは、歓迎されるべき質問である。

先ほどの「カレーライス」の例で考えてみよう。
『美味しい「じゃがいも」はどこに売ってますか?』
という質問は、具体的ではあるが、必ずしも「相応しい質問」
であるかどうかは疑問だ。

なぜなら、じゃがいもを売っている店を知りたいだけならば、
「インターネットで調べる」とか「街のガイドブックを読む」などの、
他の方法があるからだ。それを試すことなく、いきなり相手に
質問をするのは、場違いな雰囲気を作り出してしまう可能性がある。

例えば、インターネット起業系のセミナーなどで、
「メルマガを発行したいので、その方法を教えてくれませんか?」
というような質問。このような質問は、具体的ではある。
だが、書店に行けば、ほぼ解決する内容だ。
あるいは「まぐまぐのサイト」を読めば分かる。

本当に「誰もが聞きたい質疑応答」というのは、
話しの中に「回答者の経験や体験、思いが含まれているかどうか?」
で決まるもの。

『まず、まぐまぐの「発行申請ページ」にアクセスして…』

というような「単なる手順」を説明するだけの質疑応答ならば、
そこには回答者の経験や体験が埋め込まれる余地は少ない。

しかし、次のような質問なら、どうだろうか?

「まぐまぐでメルマガを発行申請されたとき、一番
苦労された点はどんなことでしたか?」

これなら、回答者の経験や苦労話しが引き出せるので、
周りの参加者で「すでに発行申請の方法を知っている人」でも、
飽きることなく、その話しを聞くことができる。

相手に質問をするときに「その質問が相応しいかどうか?」を考える視点。
これは、起業やインターネットビジネスに限らず、あらゆるビジネスの場で
求められる。それは、サラリーマンでも例外ではない。

職場で、上司や同僚、取引先の担当者に「質問をする機会」は多いだろう。
そんな時『この質問は、はたして最適な聞き方だろうか?』という疑問を
ほんの少しでも持つことで、自分の質問の「存在意義」を確認することができる。

その結果、「質問が不適切であること」に気付けば、別の聞き方を考えればいい。
自分の質問を客観的に見てみる。それが出来る人間だけが、有効な質問をすることが
できるので、結果として、有益な情報や回答を引き出すことができるのだ。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。


  
Posted by shiawase3 at 14:54Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月20日

ネットで他人の人生を追体験できる時代

「判断」には「情報」が必要である。
逆に言えば、「情報」無きところに「正確な判断」は在り得ない。

例えば、私たちが消費者として、商品を選ぶ場合。
商品に関する情報を集める手段が無かった時代、
私たちは、ただ、企業が作った都合の良いパンフレットを信じ、
店員に言われるがままに、従うしかなかった。

情報収集には時間と労力がかかる。
だから、そのコストを惜しんで、自分に不利な選択でも
飲まざるを得なかった。

だが、インターネットの登場によって、
情報収集のコストを大幅に削減させることが可能になった。
企業にとっても、個人にとっても、
情報が安価で手に入るようになった。

つまり、これからやっと「各個人が自分の決定権を行使できる時代」
が来るわけだ。
あらゆる判断に必要な情報は、自分で集めることができる。
判断に必要な「判断材料」は、ネット上に無限に溢れているのだから。

そしてこれは、商品の選択に限ったことではない。
「人生の選択」という意味においても、大きな影響力を与えている。

私たちは、メルマガやブログ、楽天日記などを通じて、
「他人の人生を追体験すること」ができるようになった。

以前は、書籍や映画、TVドラマなどでも、
同じような追体験が可能だった。
だが、それはフィクションであったり、
限られた一部の「有名人の人生」に限られた話しであった。

だが、現在は「ごく普通の素人の人生や頭の中、感情」までも、
ネット上で追体験できる時代。
2ちゃんねるなど、ネット上で繰り広げられる誹謗中傷を読んでいると、
彼らが何を考え、何を感じ、何に不満を持っているのか?
が、手に取るようにわかる。つまり私たちは、インターネットという
「読心術」を手に入れたのである。

そして、最近では、起業家や大手ベンチャーの社長が
進んでブログを書くようになった。
一般ユーザーは、起業家のブログを読むことで、
起業家の生活を追体験できる。起業家の視点を感じることができる。

もちろん「書けないこと」もあるだろうから、
ブログですべてが暴露されるわけではないだろう。
だが、長く読みつづけていれば、ちょっとした文脈や
言葉遣い、表現方法から、相手の心理状態が読み取れることがある。

テキスト文章から、相手の心理を読み取る訓練。
これは、誰もが毎日、電車の中でやっていること。
携帯メールを読みながら、親指を使い、日々、訓練しているのだ。

他人の生活を、本音レベルで追体験できたとき、
私たちは何を感じるのか?
「羨ましい」と思う反面「大変な部分もある」という事実に気付く。
成功の「光と影」を両方、セットで体験できるからだ。

テレビや雑誌で「光の部分」だけがクローズアップされている有名人が、
ブログや自伝書籍で「影の部分」を暴露したとき、
本当の意味で「そのような人生を選択したいか?」という
判断材料が、すべて揃うことになる。

私たちがこれまで、人生の選択に迷いを感じたり、
「他人の人生を羨ましいとばかり思っていたりすること」の理由は
「人生を選択するための情報が少なすぎたから」である。

これからは、良くも悪くも「誰もが本音で語る時代」が来る。
そのとき、すべての判断材料を手にして、それでも
「自分がそのような人生を歩みたい」と思えば、
それは、本当に「自分が選ぶべき人生」なのだと言えるだろう。

少なくとも「まだ迷いがあるうち」は、情報が少なすぎるのだ。
だからまずは「情報収集」から始めてみる。それからでも、
自分の人生を決めるのは遅くはないし、ブームに踊らされて焦ることはない。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 16:38Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月17日

「辞めること」にステータスを感じている人たち

起業支援系のブログやメルマガを読んでいて、よく
『先月会社を辞めて、独立しました!』という宣言を
目にすることがある。

もちろん「宣言すること自体」は本人の自由なので、
それについては、他人がとやかく言うことではない。

だが、問題なのは
『どうだ!俺は辞めて独立したぞ!すごいだろ!』
という自慢のニュアンスが含まれていることだ。

彼らは「会社を辞めること自体」にステータスを感じている。
この考え方は、とても危険である。
なぜなら「自分は、会社を辞めれば、周りから賞賛される」
と思い込んでいるからだ。

退職は「手段」であり「目的」ではない。
大切なのは、退職したことによって「どのような目的を達成できたか?」
である。

例えば、
「会社を辞めて、家族と過ごす時間が増えたので、
これまで気まずかった夫婦間が、とても良好になった!」
とか、このような報告は、賞賛に値するだろう。
もちろん「辞めなくても夫婦間を良好にする方法はあるのでは?」
という意見もあるだろうが、少なくとも、その本人にとっては
「夫婦間を良好に保つには辞めるしかなかった」ということ。
そして「会社の安定性よりも、夫婦間の安定性を重視した」に過ぎない。
つまり、単なる「選択の問題」なのである。

だから、ただ「辞めました!えらいでしょ?」という報告は無意味。
重要なポイントは「辞めたことによって、どんなメリットを得たのか?」
なのであるから、それを報告しないと、単なる「選択の報告」になってしまう。

辞めるか? 辞めないか? それは単なる「選択の問題」なのである。
どちらの人生にも、それぞれにメリットがあり、デメリットがある。
レストランに行って、カツカレーを頼むか? チキンカレーを頼むか?
ただ、それだけのことなのだ。

だから「辞めました!」という宣言は「私はチキンカレーを選びました!」
という報告に過ぎない。だからどうしたと言うのか。
そこにどんな意味があるのか? を、同時に伝えなければ
「自分にとって、チキンカレーを選ぶことには、どんなメリットがあったのか?」
なんて、まったく伝わらない。

体質的に「トンカツが食べられない人」もいるだろう。
そもそも「サラリーマンという生き方」が、性格的に合わない人。
その人は、遠慮なくチキンカレーを選べばよいのだが、
その行為自体は、優劣をつける問題ではないし、賞賛されるものではない。

「会社を辞めること」は、理論的には誰にでも出来る。
ただ、辞表を書いて提出すればいい。気持ちの問題は別としても、
事務手続き的には、とても簡単だ。

だが「会社に勤めること」は、簡単ではない。
面接を受け、試験を通らなければならない。
つまり「選ばれし者のみ」が、サラリーマンになれるのだ。

だが、起業を目指している人は
「起業家こそ、選ばれし者」だと勘違いしている場合が多い。
その解釈は間違いである。
ただ「選ばれし起業家」と「選ばれない起業家」が存在するだけ。

お客様から選ばれる起業家は、たくさんのキャッシュを手にすることができる。
だが、選ばれない起業家は、場合によっては、サラリーマン時代の年収すら
満足に稼ぐことができなくなる。

サラリーマンであれ、起業家であれ「選ばれし者」であり続けるためには、
常に「自分の商品力を磨くこと」が欠かせない。
つまり「自分を高める」という目標は、永遠に追いつづけるべきものなのである。

にもかかわらず、ただ「辞めること」を目標にしてしまうと、
会社に辞表を提出した瞬間に、その目標は達成されてしまう。
そして『どうだ?俺は辞めたぞ!すごいだろ!』という自慢話しで終わる。
そのような起業家が、はたして「選ばれし起業家」になれるのだろうか?

どんな人生を歩むにせよ「表面的な成功」だけを目標にしてはならない。
「表面的な成功」には「表面的な賞賛」しか与えられない。
そして、そのような薄っぺらい賞賛では、確実なキャッシュフローを
生み出すことは難しい。それを理解しないまま、ただ勢いで会社を
辞めてしまうと、サラリーマン時代よりも悲惨な人生を歩むことになるのは
まず間違い無いだろう。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 14:37Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月15日

名刺交換しても情報が得られないのはなぜか?

初対面の相手が「今、どれぐらいのレベルにいるか?」
を知るために、一番簡単な方法がある。
それは「相手がどんな質問をするか?」を見ることだ。

つまり、相手の質問を聞くことによって、
その人が今、どの段階にいるのか? が分かるのである。

例えば、
「どんなゴルフクラブを選んだらいいでしょうか?」
という質問をする人は、これからゴルフを始めようとしている
初心者である。

上級者なら、同じ「道具の選び方」でも、次のような聞き方をするだろう。
「飛距離を犠牲にしても、コントロールを重視したい。
○○社の製品に買い換えようと思うのだが、どうだろうか?」

初心者は、質問の内容が漠然としている。
そもそも、質問する前に、自分の中で、明確な目的
つまり「何のために、その質問をするか?」が
定まっていない。だから質問の内容も曖昧になる。
そして、曖昧な質問には、曖昧な回答しかできない。
だから、話しが噛み合わなくなり、お互いに離れていく。

一方、上級者は、質問の内容が非常に具体的である。
「その質問によって解決したい課題」を明確にしているから、
質問の意図が相手に正確に伝わる。
だから、回答もより具体的になり、有益なアドバイスが与えられる。

そもそも「適切なアドバイスが得られない」という人ほど、
「適切な質問」をしていないケースが多い。
異業種交流会やセミナーに参加しても、
名刺交換をしたとたん、曖昧な質問を投げかけてくる人は多い。

例えば、次のような聞き方である。

「どんなビジネスが流行りますか?」
「どうすれば成功できますか?」
「どのようにすれば儲かりますか?」

この「どんな」とか「どのように」という
表現は、とても幅が広く、曖昧である。
突き詰めれば「じゃあ、あなたはどんな人生を
歩みたいのですか?」と聞き返すしかなくなる。

交流会で名刺交換をしても、その後の会話が続かず、
何も話せなくなってしまう人。
彼らは「名刺を交換すること自体」を目的にしてしまっている。
だから、名刺を交換した瞬間に、もう用事がなくなってしまい、
その後の会話の糸口が見つからなくなるのだ。

つまり、名刺交換をする前には、
「名刺交換をした相手から、どんな情報を引き出したいのか?」
という明確な目的、つまり「何を質問するのか?」を
決めておかなければならない。それができていないと
「曖昧な名刺交換」に終わってしまい、何も得られないまま
貴重な時間が過ぎてしまう。同時に相手の大切な時間を
奪ってしまうことにもなるのだ。

特に、相手が有名人または多忙な人間の場合、
自分に与えられた、たった1分の名刺交換の時間だけでも
「相手からどれだけ『今の自分に役立つ情報』を引き出せるか?」
が、すべての勝負の分かれ目なのである。

そのためには「自分が今かかえている課題は何か?」を
日々意識し、その解決策に対する貪欲な視点を持ち続けなければならない。

次のような言葉がある。

-------------------------------------

「何か質問はありますか?」と聞かれて、
何も話さない人は「すべてを理解した」か、
あるいは「何も考えていない人」である。

-------------------------------------

そもそも「すべてを理解できる人間」などいない。
だとすれば、私たちは、生きている限り、永遠に質問を
し続けなければならない。それは、会社にいても、
家庭でも、趣味でも、すべての局面において、自分を
成長させるために必要なことなのである。

サラリーマンで、起業系のセミナーや交流会に参加している人は
多いと思うが、そこで得た人脈から「どんな情報を得られるか?」
は「自分がどんな質問をするか?」にかかっている。
それを忘れさえしなければ、どんな相手と名刺交換をしても、
それは「有意義な情報を手に入れるための最適な手段」となるのだ。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 14:45Comments(1)TrackBack(0)

2005年06月13日

公平性を保つことこそが、年功者への敬意である

年齢、性別、職歴、キャリアの長さ。
これらの数値は、ある人を客観的に示すデータには
なりえるが、必ずしも、その人の「優位性」を示す
データにはなり得ない。

例えば、性別について。
「女性」のほうが「料理が上手い」という図式はもはや成立しない。
逆に「男性のほうが仕事ができる」という考え方も、もはや過去のもの。

年齢についても、同じ事が言える。
年齢が高いほうが、必ずしも優秀なのか?
そうとは言い切れない。
もし、年齢が高いほうが強いのならば、
ゴルフ界において、宮里藍選手より強い選手が、
何人存在するだろうか?

このような考え方は、会社組織においても、まだ根強く残っている。
「年齢が高いほうが、給料が高いのは当たり前」という原則。
「会社に長くいるほうが、仕事ができる人材である」という誤解。
このような過去の前提条件を捨てなければ、企業に発展は在り得ない。

もちろん、単純な「時間の長さ」つまり「年功」は、
ある場面においては、他の「未熟者」よりも勝ることは否定できない。

例えば、どんなに良いスコアを出している選手でも、
いざ、ここぞという時、プレッシャーに負けて、
本来の実力が発揮できないこともあるだろう。
若さ、経験の浅さゆえに、メンタル面での弱さが露呈する場面。
しかし、ある程度場慣れした熟練者ならば、その点はクリアできる可能性が高い。

しかし、あらゆる評価は、ある一定の場面においてのみ
決まるものではなく、あくまでも総合的な判断として
評価されるべきもの。

だから、最終的には、トータルのスコアで勝っている者が評価される。
時には「若さゆえの弱さ」を見せたとしても、最終的に
勝てば、それでいいのだ。

もちろん「年功者への敬意」の気持ちは大切である。
スポーツの世界においても、かつての先輩たちが
築き上げてきた土台があるからこそ、今の自分たちが
プレーできることは、認めざるを得ない事実である。
だが「土台を築いてきた功績を評価すること」と
「今現在、その土台の上で戦う力を評価すること」とは違う。
評価の基準が「土台の上でどれだけ戦えるか?」である以上、
そこには、年功や過去の功績よりも、今現在のスコアが問われるべき。

今、戦っている若い選手に、高い報酬を与えることは、
必ずしも「年功者への敬意を払っていない」ということにはならない。
むしろ「年功者が苦労して築き上げてきた土台で、フェアに戦う選手を
公平に評価すること」こそが、その土台を創り上げた歴史に敬意を表する
ことにつながる。

サラリーマンにおいて「会社という土台」が、どれだけフェアであるか?
は、その業界、業種、評価方法によって大きく異なるだろう。
だが、少なくとも「アンフェアな評価において、若い戦士たちを戦わ
せてしまっている土台」を、そのまま保ちつづけることは、
かつての年功者たちにとっても、意に反することなのではなかろうか。

かつて、自分たちが創り上げてきたフィールドが神聖なものであれば
あるほど、そこで戦う選手にもフェアであってほしいと願うし、
また、彼らを評価する制度も、公平でなければならない。

その基本的な考え方を破ってまで、過去の制度にしがみつき、
アンフェアなまま、その土台を保ちつづけようとすることが、
本当に「年功者に対する敬意」と言えるのか?
「敬意」とは「フェアな評価」においてのみ成立するものであり、
そこに公平性、透明性がなければ、そもそも敬意などは存在し得ないのである。


(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 14:28Comments(4)TrackBack(0)

2005年06月10日

辞めるか?辞めないか?の相談を受けた時の対応

メルマガを発行していると、読者から
相談のメールをもらうことがある。

・起業すべきか?
・転職すべきか?
・どうすべきか?

このような問いかけについて、私が意見を述べることは簡単だ。
だが、最終的に、それをどう解釈するかは本人の意思次第だし、
受け入れるかどうかも、本人の自由である。

相談者によっては、ただ「誰かに話したかった」という
意味で相談してくるケースもあるだろう。
そのような場合は、答えがどんな形であれ、
質問に答えること自体に意義がある。

しかし、具体的な解決策を求めている人にしてみれば、
曖昧な返事をもらったところで、それは何の役にも立たない。
その判断が難しいところなのだが、私の場合、
次の2ステップのアプローチで、本人が改善策を
見つけられないだろうか? ということを、いつも考えるようにしている。

まず、ステップ1としては、自分自身を変化させることである。
例えば、サングラスをかけている人には、街の景色は暗く見える。
同じように、今の勤務先が「つまらない」と感じている人は、
「つまらないことばかりが目に付くサングラス」をかけているのだ。
だから、先ずはそのサングラスを取り外す作業が必要になる。
それは本人の問題であり、周りの環境に依存することではない。

しかし、人によっては「私はサングラスなどかけていない」
という人もいる。その場合は、ステップ2.の
「周りの環境を変えてみること」に、話題をシフトする必要がある。

周りの環境を変えるといっても、
その変化が、自分の責任範囲においてのみ成立するものもあれば、
自分の力だけではどうしようもない問題もある。

例えば、オフィスの机を整理するとか、
アパートを引っ越すとか、新しいスポーツのサークルに
入るとか、そのような変化は、個人の責任において実施できる。

一方、仕事を変えたいとか、上司を変えたいとか、
会社を変えたいとか、そのような変化は、
自分一人でなんとかなる問題ではない。
もちろん、退職や転職を前提とすれば、変えられる可能性は
あるだろうが、多少のリスクや後悔がつきまとうのも事実。

このような場合、私がアドバイスできることは、
「その選択肢を選んだ場合、どんなメリットとデメリットがあるか?」
を分かる範囲内で説明してあげることだけだ。

仮に「会社を辞めたい」という希望をもっていて、
辞めようか、辞めまいか、その選択を迷っている人がいるとする。
その場合、
・辞めることのメリット、デメリット
・辞めないことのメリット、デメリット
を説明するしかない。
最終的に選ぶのは本人であり、第三者が選ぶことなどできない。
もし、人生の選択肢を他人に決めさせるような生き方を選ぶとしたら、
その時点で、選択を間違っていることになる。

注意すべき点は、ある選択におけるメリットには
気づいているが、デメリットには気づいていない
という場合だ。
そのような場合は、デメリットについても、
できるだけ自分の体験を踏まえて、話しをしたほうが良いだろう。

例えば「メルマガを発行するべきでしょうか? しないほうがいいでしょうか?」
という質問に対して、メルマガ発行のメリットとデメリットを話す場合。

メリットについては、本人もそれなりに知っているはず。
広告収入、人脈が広がるメリットなど。
だからこそ、本人も「発行してみたい」と考えているのだから。

だが、デメリットとして
・スパムメールが増える
・プレッシャーになる
・読者を増やすのには労力やお金がかかる
という点も、しっかり伝えなければならない。
このようなデメリットは、実際に体験してみないと
分からない場合もあるが、だからこそ、
これから始めようとしている人に対しては、
事前にしっかりと説明しておかなければならない。

私たちは、誰かの代わりに、最適な選択肢を選んであげることはできない。
だが、本人が、本人にとって最適な選択肢を選ぶためのヒントを
与えることはできる。

自分に教えられることは何なのか?
伝えられるメリットとデメリットは何なのか?
それを忘れなければ、どんな質問や相談を受けても、
冷静に対処することができるようになるだろう。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 15:50Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月08日

勉強へのモチベーションを維持するための秘訣

先日、早朝に目が覚めてしまい、なんとなくテレビをつけたら、
数学の教育番組をやっていた。三角関数の授業のようだ。

sin とか cos とか、なつかしい数式がテレビ画面に映っている。
当時は「三角関数なんて勉強して、一体何の役に立つんだ?」
という疑問や反発があったので、真面目に勉強しなかったのが
正直なところだ。

もちろん、今の仕事でも、三角関数を使う機会は無い。
だから、実際に生活をする上では、必要の無い知識かもしれない。

だが、ビジネスのジャンルに関係無く、
「その知識をどのように応用すれば、利益を生み出せるか?」
を考える視点は、非常に大切である。
逆に言えば「金儲けに応用する方法」を知らなければ、
どんなにたくさんの知識を持っていても、それは役に立たないまま
頭の中に埋もれてしまうだろう。非常にもったいないことだ。

その教育番組では「三角関数を使って、三角形の高さを求める問題」
が出題されていた。底辺の長さと角度が分かれば、三角関数を使って
高さを求めることができるという問題。

例えば、これを建築の世界に応用すれば、
実際の巨大な建造物で高さを計測しなくても、
底辺と角度だけ測って、計算で高さを求められる。
実際、数十メートルものビルの高さを手動で計測するのは
難しいだろうし、いざやるとなれば、コストもかかる。
しかし、数学の知識を使って机上で計算すれば、
コストは抑えられるし、建造に必要な材料の長さや
価格も試算できる。

私は建築の専門家ではないが「数学の知識を使えば
建築の世界に応用できる」ということは、なんとなく分かる。
学校で初めて三角関数を習った時には、
そこまで頭が回らなかったが、実際に社会人として
ビジネスを経験してみると「その知識をどう使えば儲かるか?」
という視点で物事を解釈することができるから、
どんな情報でも吸収したいと思うし、知りたいと思う。
つまり、勉強が楽しくなるのである。

例えば、ブログやメルマガにしても、同じ事が言える。
「メルマガの特性がマーケティングに応用できる」
と気づいた人は、今、メルマガ収入で大成功している。
つまり「何のためにメルマガを書くのか?」という
目的が明確になっているし、それを知り尽くしている。

では、仮に小学校の国語の授業で
「作文を書きなさい」みたいに
「メルマガを書きなさい」あるいは「ブログを書きなさい」
といったら、生徒たちは喜んで書くだろうか?

今までは鉛筆で原稿用紙に書いていた。
それがパソコンでネット上に書くだけ。
本質的には変わらない。
だから、子供たちは純粋に「書くのは面倒だ」
と思う。つまり、嫌々やらされると感じる。

一人の生徒が「何のためにメルマガを書くのですか?」
と質問をしてきたら、先生は何と答えるのだろうか?
『読者を増やして広告収入で儲けるためですよ』
などと言い切れる先生が、はたして何人いるだろうか?

「なんのために、それを勉強するのか?」
「それを勉強することで、自分にどのような得があるのか?」
それを確信できないまま、勉強を強いられることは苦痛である。
それは、子供でも大人でも同じ。

すべての学問が、最終的にはビジネス(つまり金儲け)に
つながるのだとしたら、子供に教えるべきことは1つ。
「どうすれば儲かるか?を考えなさい」ということだ。
これに罪悪感を抱かせている以上、本当の意味で勉強を
楽しむことができる学生はいなくなる。

数学にしても、基本問題と応用問題がある。
応用問題のほうが配点が高かったりする。なぜか?
それは「どんな知識も、それを金儲けに応用できなければ意味が無い」
ということを表しているのではないか?

今、ブログを書いている人、メルマガを書いている人。
なぜ、彼らは必死になって、自分の時間を削って、
執筆活動に専念しているのか?
答えは「儲けたいから」である。ビジネスなのである。
(もちろん、それ以外の目的の人もいるだろうが・・・)

いずれにせよ「勉強に対する強烈なモチベーション」を維持させるためには、
もはや「金儲けを肯定する」しかない。
今後は、学校教育の現場においても、そのような傾向が強くなることだろう。
社会の時間に、株式投資の話しをするのも、これからは必要な教育の1つと言える。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 13:55Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月06日

ブログの本質について考えてみる

ブログを書いている人なら、誰もが一度は
「ブログの存在意義」について、
真剣に考え、悩んだことがあるはずだ。

宣伝のため、アクセスアップのため、自己啓発のため。
理由は人それぞれだろう。
だが、ブログの本質は「ログ log 」であるということを
忘れてしまうと、本来ブログが持っている性能を
思う存分発揮できないことがあるので注意が必要だ。


ところで、フジテレビで「ブログタイプ」という番組がある。
ブログを映像化するというコンセプトだが、
実際には、ブログをネタにしたドラマ仕立ての
トーク番組である。

私の好きな番組で「ココリコミラクルタイプ」という
番組があるが、あれは、視聴者からの投稿ハガキをもとに、
そのエピソードを面白可笑しく、お笑い陣&俳優陣が
ドラマ化するという番組。

つまり、視聴者ハガキは「ネタ振り」に過ぎないのだが、
ブログタイプも、同じように「ブログは単なるネタ振り」
として扱われている。だから、ブログ本来のコンテンツが持っている
面白さが、どれほど視聴者に伝わっているかどうかは難しいところだ。

テレビで放映する以上、ターゲットはブログよりも「マス」
でなければならない。つまり「万人に受け入れられるテーマ」
でないと視聴率は取れない。だから、恋愛系、結婚系に
テーマが偏るし、出演女優人も、そのテーマならば
抵抗なくトークを展開できる。

しかし、ブログの面白さは、もっとドロドロした、
リアリティーのあふれる文脈にあるのではないだろうか?
それを「万人向け」にデフォルメした瞬間、
それは既にブログではなくなる。

そして、もっと大切なことがある。
それは、本来のブログが持つ「ログ log」という意味。

辞書で「ログ」を調べると、それには「日誌」という意味が
書かれている。日記と言ったほうが分かりやすいかもしれない。
だが、楽天日記と、他のポータルブログには、また若干の違いがある。
あるテーマに即していれば、特に時系列性が無くとも、
そのときに思いついた感情を、その順序で綴っていけばいい。
それがブログの醍醐味である。

そして、エンジニアの間で「ログ log」といえば、
それは一般的に『後で自分たちが見るための吐き出し情報』
と解釈される。

たとえば、あるシステムにおいて、ソフトウェアが予想外の
誤動作をした場合、そのときの様子を、システムのログ上に
出力する(吐き出す)のだ。そうすれば、あとでログを見ることで、
誤動作の原因や状況を突き止めることができるからだ。

つまり「ログ」の本質は「誰かに見せるもの」ではなく
「後で自分で読み返すもの」なのである。
そのような意味では「ブログ=日記」という解釈も一理ある。

ここで言いたいことは「他人に見せること、指示されること、読まれること
だけを重視すると、それはログではなくなる」ということだ。
本来、ブログには「自分が書きたいことを自由に書くべき」なのである。

私のように、サラリーマンでブログを書いている人も多いと思うが、
書いている内容にいまいち個性がないとか、インパクトが無い
と悩んでいる人、あるいは続かないと感じている人。
彼らは、他人の目を気にしすぎている。
ログなのだから、もっと自由に書けばいい。
そこで割り切れるかどうか? が、ブログを続けられるかどうかの鍵。

ブログというインフラがどんなに普及したところで、
最終的には、それを利用して文章をアウトプットする人が増えなければ、
ブログのブームは終わる。

むしろ、真のブロガーにとって、ブームなんて
どうでもいいのかもしれない。
なぜなら、ブログは所詮「ツール」であり、
そこに書き込む行為自体で本人が満足できていれば、
流行りすたりなど、どうでもいいからだ。

そして、このことは、最近の「起業ブーム」にもいえることである。
「ブームだからブログを書く」とか「ブームだから起業する」
という行為には、まったく意味が無いし、どうせ続かない。
その本質を理解しなければ、本当の意味での楽しさは分からない。

何のためにブログを書くのか?
何のために起業をするのか?
その原理原則を自分の中に見出せた人間だけが、
周りの意見やブームに流されない芯の通った人生を
歩むことができるのである。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 14:28Comments(1)TrackBack(0)

2005年06月01日

人の心を数値化できる時代が来ている

「目に見えないものを数値化したい」という願い。
それを叶えるビジネスは、今後も増えつづけることだろう。

例えば、テレビが普及した時代、
「この番組を見ている人は何人ぐらいいるのだろうか?」
という「目に見えない情報」を、視聴率という形で
データ化したビジネス。それがビデオリサーチ。

インターネットでも、メルマガやブログの閲覧率、精読率は、
クリック数やアクセス数などから、大まかには把握できる時代。
その「見えない情報を数値化する機能」に対して、私たちは
お金を払う。アクセス解析や、サーバーレンタルなどがそれだ。

「人の心を読む」という行為は、超能力でも使わない限り、
現実には不可能である。
ただ、人の心が「試聴」や「クリック」という行動を
引き起こしているのだとすれば、その行動プロセスを
分析することで、ある程度、人の心、感情が見えるように
なってきたとも考えられる。
「気持ち」という目に見えない情報を数値化する技術。
これらは、ビジネスやマーケティングの世界を通じて、
今後益々、私たちの生活に浸透してくるだろう。

数値化することのメリットは、
「漠然としていて良く分からないもの」を
客観的に見ることが出来る点にある。
「多い、少ない、なんとなく」というような
曖昧な表現ではなく、
きちんとしたデータで示されれば、
納得せざるを得ない。

つまり、データとは「人を納得させるためのツール」として
使えるのものなのである。
もちろん、他人を納得させるだけではなく、
自分自身を納得させるのにも利用できる。

例えば、サラリーマンは、会社から「給料以外のメリット」
をたくさん得ているわけだが、それらを数値化した
データとして客観的に眺めてみると、そのメリットは
より強調されるはずである。

安定性、福利厚生、人脈、組織力、ブランド。
明日も仕事がある、席があるという安心感。
これらの「心理面での影響度」を、数値あるいは
金額に換算してみると、どうなるか?

自分を納得させるためなら、その数値の妥当性は、
他人に説明する必要は無い。
仮に「自分が今勤めている会社の人脈には1億円の価値がある」
と本人が思ったとすれば、それは誰も否定できない。

目に見えないものの価値。
インターネットが普及し、あらゆる情報が電子データ化すれば、
そこには物理的な価値つまり「目に見える価値」は存在しなくなる。
すべては「信頼と感性」によって支えられる、心の中あるいは
頭の中に存在している価値にすぎない。

私たちの周りに「目に見えない価値」が氾濫することで、
私たちは「目に見えないものについて真剣に考える機会」
を与えられた。心の問題もしかり。
精神の安定が、どれほどの価値を持っているのか?
「モノから心の時代へ」とは、よく言われることだが、
これからは、本当の意味での「価値とは何か?」を
大いに議論する時代が来ることは間違いないだろう。

(次回につづく。)

presented by 幸せなサラリーマンになる方法
※この記事は、人気メールマガジン《幸せなサラリーマンになる方法−気づきの視点と発想力》の著者により提供されています。(C) Copyright 2005 無断転載を禁止します。コメント、トラックバック等はご自由にどうぞ。
  
Posted by shiawase3 at 13:49Comments(1)TrackBack(0)