2005年05月30日

企業もサラリーマンもクレームで成長する

どんなビジネスでも、顧客からのクレームに
どのように対応するか? は難しい課題である。

書店に行けば、クレーム対応手法の本は数多く売られている。
「すべてのお客様の立場になって親身なる」という意見。
「わがままな客は相手にせずに、優良客だけと付き合う」という意見。
どちらも一理ある。

理想を言えば、顧客満足度100%で、
すべてのビジネスを展開できれば、
それに越したことはない。

だが、どんな商品にも欠点はあるし、
完璧な商品などこの世には存在しない。
世界中で売れているWindowsでさえ、
たまに固まることがある。

商売をする上では、ある程度のクレームは
覚悟する勇気は必要である。
ブランド力のある企業でも、
担当した社員がたまたま新人だった場合、
局所的に品質が下がることはよくある。
だが、新人を育てていくのも企業としての使命。
ある程度は、お客様にも協力してもらいながら、
自社の商品、人材のクオリティーを高めていくしかない。

週末起業のレベルでも、時としてクレームが発生
することがある。
相手が商品やサービスに過剰な期待をしている
場合は、特に要注意だ。
例えば、私たちがホテルに行って、多少サービスが
悪かったとしても『まぁ、そんなもんか』
と割り切るケースが多い。
よほどのことがなければ、支配人を呼んで
説教するなどということは無いだろう。

だが、そのような不満を抱えた人は
そのまま黙って家に帰り「もう二度と来ない」
と思う。そして、その感情を周囲に漏らす。
その悪循環を放置しておくと、長期的には
企業にとって、大きなダメージになる。

もちろん、すべてのクレームに対して、
過剰に恐れたり、敏感になることは無いだろう。
だが、ある種のクレームが発生したことをきっかけに、
自社の商品やサービスをより良いものに改善していこう
という姿勢は、忘れてはならない。

誰もが、クレームは避けて通りたいと思う。
だが、ビジネスをやる以上、クレームをゼロにすることは
不可能なのだ。
もし「クレームゼロだ」と思っていても、
それは本人だけがそう思っているに過ぎない。
万人を完璧に満足させられる商品など、
この世には存在しないのだから。

だとすれば、私たちは、クレームを避けることよりも、
「どうやって、そのクレームから改善点を見出すか?」
を真剣に考えるべきなのである。

そしてこれは、起業家/サラリーマンを問わず、
どんなビジネスにも適用される考え方だ。

サラリーマンの場合、上司からの指摘や、
部下からの不満は、自分という商品に対する
クレームの1つである。
そのクレームを、いかに謙虚に受け止められるか?
すべてを受け入れる必要は無いが「相手にも一理ある」
と言う部分を少しでも見つけ出し、それを改善のきっかけに
できるかどうか?
それが、ビジネスマンとして成長するための
重要なポイントであることは間違い無いだろう。

(次回につづく。)

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2005年05月27日

客観的な評価システムを作ることが経営者の急務

ビジネスを大きくするためには、
人を雇うしかない。
だが、雇う社員の数が増えれば増えるほど、
その人間関係、管理体制におていは、
さまざまな問題を引き起こし、ビジネスの前進を妨げる。
これは、経営者にとって、どうしようもないジレンマ。

SEの世界においても、次のような言葉がある。

----------------------------
プロジェクトの効率は、
メンバーの数に比例して上がるものではない。
----------------------------

例えば、4人のチームが、8人になったとする。
そうすれば、作業能力が2倍に増えるか?
といえば、それは違う。
人数が増えれば、それに伴うメンバー間の意見調整や
対立、作業分担などが複雑になる。
そのような「人間関係の調整」に時間を割かれて、
本来、開発すべき案件に着手できないという悪循環は、
多くのプロジェクト管理者が経験しているはず。

事実、巨大化しすぎた大企業は、
分社化したり、事業部を増やすなどして、
組織の単位を小さくするのが王道。

1万人の組織を1つ持つより、
1千人の組織を10個持つ方が、
それぞれのビジネスが効率よく回る。

つまり、大切なことは
「細分化した組織を独立採算制にすること」
である。
小さな組織が、それぞれ自分たちの責任において
行動せざるを得ない状況に追い込まれた時、
社員はやっと本気になって仕事に取り組もうとするのだ。

この状況は、心理学的に言えば、
「社会的手抜き」と呼ばれる。

「自分一人ぐらい手抜きをしてもいいだろう」という甘え。
5対5のつなひきよりも、1対1のつなひきのほうが、
選手個人は本気を出すという意味だ。
5人の選手の中には、本気を出さない選手が必ず混ざっている。
疲れている選手もいるだろう。

組織を構成する人員が増えれば増えるほど、
社会的手抜きをする人間の割合も増える。
バブル期に大量の社員を囲い込み、今、
身動きが取れないほどの贅肉を付けてしまった企業。
ダイエットのためには「組織の細分化」を選ぶしかなかった。

しかし、すべてのビジネスを、1対1のつなひきに
することは難しいのも事実。
5対5、50対50、500対500で戦わざるを得ない
巨大市場をターゲットにしている企業の場合、
無理に組織を細分化すると、もうその市場で戦えなくなってしまう
恐れがある。

では、どうすれば、チームでの結束を高めながら、
それぞれの選手が、最大限の能力を発揮できる環境を
作ることができるのだろうか?
それは「成果が客観的に計測できる仕組みを作ること」である。

これは、経営者つまり「評価する側」にとって、とても難しい仕事。
だが、これをやらない限り、絶対に試合には勝てない。

例えば、5対5のつなひき試合においては、
5人の選手それぞれが「試合中、平均何キロの力で引っ張っているか?」
を数値化する装置をつけてから、つなひきをさせる。
そうすれば、全員の合計値だけでなく、各選手の個別能力も
平等に計測できるから、試合への貢献度に応じて、
賞金を分配すれば、他の選手からのクレームも発生しない。

もちろん、実際のビジネスにおいて、このような明確な数値化を
実現させる仕組みを考えることはかなり難しいだろう。
だが、いずれにせよ「客観的な評価」が無ければ、社員は納得しない。
給料が安いか、高いかではなく「本人が納得するかどうか?」の問題。
そして「納得させるための客観的なデータ」が提示できない経営者の
もとからは、優秀な人材が容赦なく去っていく。そんな時代が来る。

(次回につづく。)

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2005年05月25日

社内での自己表現が強すぎると失敗する

自分を表現する場所は、どこにあるのか?
答えは「無限にある」である。
だが、残念なことに、その「無限にある世界」が
見えていないがゆえに、悲しい人生を歩んでいる人がいる。

例えば、暴走族。
都会に住んでいる人なら、誰もがその騒音の被害に
悩まされた経験があるだろう。

また、本格的?な暴走族でなくとも、
若者が改造バイクで爆音を立てて走っている光景は
誰もが見たことがあるはずだ。
マフラーに穴をあけ「音で自分を表現」している人たち。

彼らは「自己表現の手段」として、音を立てることを
「カッコいい」と感じている。だからそれをやる。
しかし、もし彼らが、他に「自分を表現する場所」を
見つけることができたら、もう「うるさい音を立てて
街を迷惑に走り回る行為」なんて、馬鹿ばかしいと思うに
違いない。

そう、彼らはただ「自己表現の場所を探し求めているだけ」なのだ。
ただ、残念ながら、そのエネルギーを発散する正しい方法を
誰からも教わらなかった。だから「騒音」という形でしか、
そのパワーを排出できない。悲しい人生である。

彼らのことを笑うのは簡単だろう。
だが、私たち社会人は、彼らの行動を見て、
その教訓を、自分の仕事にも生かす必要がある。
自分もまた、彼らと同じように、今の職場で
「うるさいだけの騒音」を立てていないだろうか?と。

誰だって「自分はこの職場に無くてはならない存在だ」と思いたい。
「俺が!俺が!俺が!」そんな自己主張が強すぎる社員は、
どんな職場にも存在している。

もちろん、頑張って仕事に取り組む姿は美しい。
だが、その「俺は頑張ってるぜ!」的なイメージを
必要以上に植え付けようとして、大声を張り上げているとしたら、
それは、周囲の人間にしてみれば、騒音にしか聞こえない迷惑な話し。

例えば、会議においては、往々にして「声の大きい社員」の
意見が通る確率が高い。
たしかに「自分の意見を堂々と述べること」は大切である。
だが、目的はあくまでも「チーム全体のプラスになる提案をすること」
であり、決して自分の実力を誇示することではない。

では、なぜこのような「暴走族的自己主張社員」が生まれるのか?
問題は、彼らが「職場以外で自分を表現する場所」を持っていないことにある。
趣味、家庭、週末起業。会社の仕事以外でも、何らかの「自己表現の手段」
を持っている人間なら、社内でそれほど大声を出さなくてもストレスは溜まらない。

会社の仕事が上手くいっている人は、たいてい、趣味や副業が充実しているものだ。
スポーツを趣味としている人の場合、サッカーチームや野球チームなどで
自分の存在感を実感できれば、仕事で多少目立たなくても、生きがいを
見失うことは無い。

また、副業で自分のビジネスを所有している人は、
会社の仕事で多少地味な仕事を担当させられたとしても、
「副業の資金が稼げる」程度にしか考えない。
結果として、バランスの良い人生を生きることができる。

例えば、暴走族の若者にしても、
本当にバイクが好きなら、バイクの改造パーツや
修理を請け負うビジネスを始めることだってできるし、
その結果、褒められたり、お金を得られたりすれば、
それが、新たな生きがいとなるはず。

自己表現の場所は、会社以外にも、学校以外にも
無限に存在している。その見つけ方のコツさえ分かれば、
あとは勝手に自分で開拓することができるのだ。
世界は1つではない。それに気づいた人間だけが、
次々と新しい自己表現の方法を吸収しながら成長していくのである。

(次回につづく。)

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2005年05月23日

自分の会社を褒めることができない本当の理由

不思議なことに、サラリーマンはみな、自分が勤めている会社を
褒めるという行為に対して、どこか抵抗感を感じている。

例えば、久しぶりに会った学生時代の友達から
『お前の会社、最近どう?』と聞かれたとき、
『いやあ、ぜんぜんダメだよ、もうすぐ潰れるね、きっと』
などと、批判的な意見を述べたりする。

もちろん「自慢している」と思われたくないという
遠慮もあるのだろう。だが、自社批判は、サラリーマンにとって
ストレス解消法の1つであり、自社を悪く言うことが、
給料や待遇、上司への不満を解消しているのも事実。

しかし、1つだけ「良い」と自覚している点がある。
それは、社内における「自分自身の存在」である。
つまり「会社は最悪。でもその社員である自分は最高」という
理論だ。だが、この理論は、そもそも成立しない。

なぜなら「良い会社」の定義は「良い社員がいる会社」
だからだ。逆に言えば「悪い会社」にいる社員は「悪い社員」
なのであり、自社のことを悪く言う人間は、そもそも
自分自身が「悪い社員」であることを認めているのだ。

これは、会社と社員の関係に限らず、
あらゆる人間関係に言えることである。
友達のことを悪く言う人間は「そのような悪い友達を
呼び寄せている自分自身の悪さ」に気づく必要がある。
恋人同士や夫婦間についても、同じ事が言える。

人間に限らず、製品についても同様だ。
自分が使っている商品について「使いづらい商品」
だと文句を言うのは簡単だろう。だが、そのような商品に
お金を出してしまった自分自身は「良い消費者」と言えるのか?


会社に対する不満の本質は
「そのような会社を選んでしまった自分の不覚さに対する不満」
なのである。だが、それを認めたくないがために
「自分は最高。会社は最悪」という理論を展開したい。
だから「俺はこんなに頑張っている。でも会社は評価してくれない」
という主張を正当化しようとする。その理論はやがて
「評価の方法が悪い」という結論に至るのだ。
裏を返せば「自分は悪くない」という意味。

でも、本当は自分自身も「本当に心から良いと思える会社に勤めたい」
と願っている。つまり「自社のことを堂々と褒めたい」のである。

・うちの会社は最高!
・評価制度もフェア!
・将来性も抜群!

しかし、それを言うためには、同時に
「自分自身が会社に抱いている不満の原因が、
会社側には一切無い」ということも認めなければならない。

良い会社ならば、そもそも不満の種は無いはず。
それでも不満を抱いているならば、それは自分自身の責任であり、
会社側に落ち度は無い。

それを素直に認められるかどうか?
すべての不満を、自分の中でクリアにすることができるか?
それができる社員だけが、自社のことを堂々と褒めることができる。
会社に責任を転嫁するのではなく、自分で責任を取れる人間。

つまり、自分の会社を褒めることができる人間は、
素直であり、責任感のある人間なのだ。
逆に言えば、そのような理想的な人間になるためには、
「堂々と自社を褒めること」が出来る人間を目指す必要がある。

褒めることに抵抗感を抱いている人間は、それ以上成長しない。
一方、会社も、友達も、恋人も、積極的に褒めることができる人間は、
結果として「恵まれた環境」を呼び寄せ、構築することができる。
物事のあらゆる「良い面」が見えるようになるので、
仕事もプライベートもうまくいくようになる。
自分以外の存在を褒めることができる人間だけが、
最終的に自分自身のことも褒めることができるようになるのだから。

(次回につづく。)

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2005年05月20日

最後は自分の目と耳で、現実をたしかめる。

「安全の中にある危険を楽しむ」という言葉。
これは『テレビゲーム世代の若者たち』の心理について
あるコメンテーターが語った言葉だ。

私自身、1977年生まれであり、幼少時代はファミコン漬けだった。
間違いなく、テレビゲーム世代である。

コンピュータ画面の中では、世界中を冒険したり、
F1レーサーになったり、戦争をしたり、人を殺したりできる。
でも、それらはいつでもリセットボタンでクリアできる。
それが「安全の中にある危険」を楽しむという意味。


私たちは「安全でありたい」と願うと同時に、
「ドキドキ、ハラハラしたい」という気持ちも持っている。
その欲求を抑えきれないからこそ「安全な遊園地」で
絶叫マシーンに乗りたいと思うのだ。

「作られたスリル」と「現実のスリル」は違うし、
現実のスリルは、もっと恐ろしいものであると言う事実は、
誰もが理解している。だから、レースゲームが上手くても、
本当に命をかけてF1レーサーになりたいとは思わない。

ただ、一方で「レースゲームが上手な自分は、なろうと思えば
F1レーサーになれる」と勘違いしてしまう人もいる。それこそ、
最大のリスクなのだ。つまり「なれない」ではなく「なろうと思えば
なれるが、あえてならない」というスタンス。

現実の世界に存在するリスクを体験できていない人間は、
それが「バーチャルで感じている恐怖心とさほど変わらない」
と錯覚しやすい。
つまり、インターネットやテレビを通じで「一方的に与えられる
虚像の世界」を信じ込み、自分も簡単に、その世界に入れると
誤解してしまうのだ。

ビジネスの世界で脚光を浴びている人は、みな
「美しい虚像の世界」の住人である。
だが、その裏にある、もっとドロドロした人間のマイナス面を
今までメディアは語ろうとはしなかった。

しかし、社長の暴露本や、ブログの浸透で、
経営者や成功者の「本音の部分」が世の中に広まると、
いままで「夢のような世界」だと思っていた場所が、
単なる空想の世界だったという現実に気付く。

ディスプレイ上で繰り広げられる人間活劇。
その表面的な美しさだけに魅了された人が、
いざその世界に入ると、驚くほどのギャップに悩まされる。
これまで語られなかった「負の部分」が、次々と露呈される。

その悲しい現実に、絶望感を抱く人もいるかもしれない。
「想像していた世界と違う」という、悲しい気持ち。
しかし、それは入学でも、恋愛でも、就職でも、結婚でも、
今まで誰もが経験してきたギャップなのであり、
それは、ある特定の人間だけが感じるギャップではない。
人間ならば、誰もが「期待はずれ」という感情を抱いたことがあるはず。
「こんなもんか・・・」という諦めにも似ている。

いずれにせよ、自分がこれから目指すべき世界を
「美しき夢の世界」だと思っているならば、
それはもしかしたら、メディアによって作られた虚像かもしれない。

そして「自分でも簡単に出来そうだ」と思っていても、
いざ本当にやってみると、予想以上に「自分が甘かったこと」に
気付かされるだろう。

バーチャルは所詮、バーチャルなのである。
本気でその世界に入りたいならば、最後は自分の目と耳で、
美しい部分と汚い部分を同時に受け入れる。その覚悟が無ければ、
起業しても成功しないだろうし、どんな分野に転職しても満足はできないだろう。

(次回につづく。)

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2005年05月18日

「当たり前」を捨てる覚悟こそ、経営者に求められる条件。

私たちが普段「当たり前だ」と思っていること。
だが、それは状況次第で「当たり前ではない」ということも
また忘れてはならない。

先日、自宅のADSLモデムが故障した。
NTTに問い合わせたのだが、対応時間外で留守電だった。
しばらくして、担当者から折り返し連絡があった。
症状を説明すると
「それはモデムの故障ですね。明日交換に伺います」と言う。

だが、平日の昼間は仕事で家にいないので、
モデムを受け取ることができない。
しかたなく、郵送で送ってもらうことにしたのだが、
それには2日かかることになる。

その間は、とりあえずモバイルのノートPCで
なんとか乗り切ったが、もしそれが使えなかったら、
2日間、インターネットから遮断されてしまう事態になる。

もちろん「たった2日ぐらい、たいしたことない」と
考えることもできる。だが、メールチェックなどが、
すでに仕事の中で欠かせない重大なルーチンワーク化している場合、
メールを使えないことは「水道が使えない」ぐらい、
重大な問題なのである。

このように、私たちが普段の生活において
「それが24時間使える状態であること」を
前提としているライフラインが、突然使えなくなった瞬間、
私たちは「今まで毎日それが問題なく使えていたこと」に
とても大きな感謝の気持ちを覚える。

これは、手をケガしたとき、足を骨折した時と
同じような心理であるとも言える。
いつも当たり前のように使っていたのに、
いざそれが使えなくなると、どれだけ不便かを
嫌と言うほど思い知らされる。

失ってはじめて分かる、その大切さ。
会社組織においても同じ。
サラリーマンならではのメリットに気付くとき。
それは「会社を辞めたとき」なのだろう。

会社というバリアに守られていることが
当たり前だった生活。その防御壁が無くなったとき、
それでも自分は強く生きていけるだろうか?

そのことを真剣に考え、それでもなお独立する
勇気がある人だけが、起業して成功するのだろう。

ある経営者は、次のようなことを語っている。

--------------------------------------------------
優秀なサラリーマンはたくさんいるのに、
なぜ彼らは経営者になれないのか?
その理由は「捨てられないから」である。
--------------------------------------------------

これを逆に考えれば、
『起業するためには、捨てなければならない』
ということだ。

サラリーマンに与えられていた安定や保証を捨てる。
当たり前のように使えていた会社の環境を捨てる。
同僚を捨てる。部下を捨てる。上司を捨てる。

その覚悟が、創業経営者になるための必須条件なのだとしたら、
創業経営者こそ、だれよりも「会社に属することのありがたみ」
を分かっているのではないか。とくに、サラリーマンを経て
独立した経営者の場合。

私たちは、普段の生活において、どれだけ会社から
恩恵を受けているのか。それを冷静かつ客観的に
見直してみると、今まで見えていなかったたくさんの
「当たり前」が「当たり前でないこと」に気付くだろう。

(次回につづく。)

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2005年05月16日

不安なときほど、落ち着いて無口になってみる

自分の心が今、不安定な状態にあるかどうか?
それを客観的に計測するための方法がある。
それは「自分の発言数をカウントすること」である。

自信の無い人間ほど、口数は多くなるものである。
それは「他人に認めて欲しい」と思う気持ちが強くなるから。
つまり、自己主張(自我)が一時的に高まるのである。

先日、私は姉夫婦のところに遊びに行った。
私は独身だが、姉には2人の子供がいる。まだ小さい。

私が姉と、難しい話(仕事の話しなど)をすると、
子供たちは、一斉に騒ぎ出す。おもちゃを散らかし、
わめくのだ。

その現象を見ていて、私は、子供たちの
「かまってほしい」という気持ちを痛いほど実感した。
つまり、子供たちは、どんなときでも「自分が話題の中心」
でなければ落ち着かない。いつも不安だから、
常に自分のエゴを発信しつづける。それが生きるため、
成長するためのエネルギーになるからだ。

では、成人の場合、どうだろうか?
普段は口数の少ない人が、急に積極的に話すようになるケース。
あなたの職場でも、多少なりとも存在しているはずだ。
あるいは、あなた自身が、そのような気分にかられるかもしれない。

しかし、そこでいくら「自分にかまってくれ!」という
メッセージを発信しても、それがあまりにも強すぎると、
周りは自然に受け入れることができず、引いてしまう。

例えば、会議や商談において。
それらは、もちろん「話すこと」を前提とした仕事。
だが、その発言が、必要以上に「自我発散」的なものになると、
そこからは何も生み出されなくなってしまう。

発言や議論は、あくまでも建設的なものが求められるし、
また、自分にとっても、相手にとっても、メリットのある
ポイントを定めて調整していかなければならない。

だが、議論において、それ以外の目的、つまり
「自分を周囲に認めさせるための発言」が目立つような状態では、
それは、悪い意味で自分を目立たせることになってしまう。
つまり「成長していない子供」とみなされるのだ。

一方、自信がある人ほど、口数は少ない。
なぜなら、自分から何も話さなくても、何も心配するものはないし、
何も恐れることはないからだ。だから、黙っていても、周りが
無反応でも、ぜんぜん平気なのである。

そのような人は、自我を「自分の中で確定させること」ができる。
つまり、自分の存在を「周囲の関心をひきつけること」によって
確認しようとするのではなく、自らの客観的な視点によって確認することが
できるのである。

社内では、さまざまな人間関係が交錯し、
そこで心理的な衝突も起きるし、エゴのぶつかり合いも発生する。
だが、そんな時ほど、自分を冷静な立場に持っていくことが大切
なのであり、それができる人間こそが、本当の意味で、他社を
ひきつけることができるのだ。

(次回につづく。)

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2005年05月13日

優秀な社員ほど「慣れることの大切さ」を知っている

どんなに優れた社員でも、初めて経験する仕事を
いきなり初日から「完璧に理解してこなすこと」は難しい。
人間には「慣れるまでの時間」が必要不可欠だからだ。

新車でさえ「最初は慣らし運転」をするのだ。
マシンでさえ、いきなり本領を発揮するのは無理。
だとすれば、人間には、自分で考えている以上の
「慣らし期間」が必要であるとも言える。

先日、私は夜間のフライトで飛行機に乗った。
飛行機は、夜間の離着陸時、機内の照明を落として暗くする。

この行為について、私は最初
「離着陸時は電力を消費するから、バッテリーを節約するためか?」
などと思っていたが、実際にはまったく違う理由があるようだ。

離着陸時は、もっとも事故が多い時間帯でもある。
もし、夜間、着陸直前に事故が発生し、機体が海に
墜落したとしたら、どうなるか?

周りは海。照明は一切無い。飛行機の機能は停止し、
明かりはまったく点かない。そのような「真っ暗闇」の
状況で、乗客は何も見えず、パニックを起こすのだと言う。

つまり「離着陸時に機内照明を暗くしておく」ことにより、
乗客の目を「暗いところ」に慣らしておくのが目的なのだ。
そうすれば、万が一事故が発生したとしても、非常口を
すばやく見つけることができるので、パニックが起きる可能性は低くなる。

「慣れ」の度合いは、必ずしも「優秀さ」に比例するものではない。
自分の力を過信して「俺は暗闇でも見える」なんて余裕をかましていると、
いざというとき、足元をすくわれるのだ。

逆に、多少「優秀ではない」部分がある社員でも、
同じ仕事を継続的にこなしていれば、慣れてきて、
その効率は、確実に向上するのである。
「長くやっているからこそ、慣れているからこそ見える部分」
もたくさんある。慣れるまでは「慣れること」に精一杯で
視野が狭くなってしまうことがあるが、一度慣れてしまえば、
余裕が生まれ、仕事も楽しくなってくるものだ。

つまり、誰でも「いきなり暗闇が訪れるとパニックを引き起こす」
という可能性があることを認識しなければならない。
新しいプロジェクト、新しい職場、または転職先で、
予期していなかった事態に遭遇した場合。
そんなときは、焦らずに、まず「目を慣らすこと」に集中する。
そうすれば、瞳孔が自然に開き、やがて全体が見渡せるようになるのだ。

要領の悪い社員は、初めて任された仕事に対して
「これはできません。まったく見えません。私には無理」と逃げてしまう。
しかし「見えない」のは、自分が無能だからではなく、ただ
「慣れるまでには時間がかかるから」なのである。そのことを忘れてはならない。

(次回につづく。)

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2005年05月11日

不満が溜まる原因は「ポジションの不明確さ」にある

仕事に対する不満。それは
「与えられた仕事の中で完全燃焼できない自分への不満」
とも言える。

自分が達成した作業に対して満足できているのならば、
そもそも、仕事に対する不満など発生し得ない。
だが、多くのサラリーマンは「自分はもっと高い能力を
持っているのに、なぜ認められないのか?」という不満を
抱きながら毎日を過ごしている。その原因はどこにあるのか?

一番の大きな原因は「チーム内における自分のポジションを
明確に理解していない」というところにある。
自分が何者か分からないから、自分に期待されている仕事も
分からない。だから「作業の達成度」を把握することができない。
つまり達成感が得られないのである。

例えば、サッカー選手の場合。
11名の選手には、すべてポジションが明確に与えられ、
その役割が個別に定められている。
フォアードとキーパーには、求められる仕事の内容が
違うのだから、キーパーが「試合でシュートを決められなかった」
と悩むことは無意味だし、そんなことは誰も期待していない。

一方で、控え選手の中には「俺が監督なら、ぜったいに
あんな采配はしない。あの場面では・・・」などと、
「求められていない仕事」に対する妄想を強く抱く人も
いるだろう。

もちろん、各選手が「自分が監督だったらどうするか?」
という視点に立ち、大きな視野で、試合の流れを見渡せるように
なることはすばらしいことだ。それによって、各選手個人の
動作も、柔軟でチームプレーに即したものになるだろう。

だが、その「自分が監督だったら」的妄想は、
あくまでも「選手としての自分の仕事を充実化させるための思想」
でなければならない。

つまり、チームメイトも観客も、控えの選手に対して
「監督的采配」という仕事は、誰も期待していない。
それよりも、ただ、監督の指示に従い、チャンスをものにして
得点に貢献することが期待されているのだ。

監督が「俺は足が速い」とか「キープ力がある」と自慢しても
意味は無いだろう。なぜなら、監督の仕事は、自分がプレーすること
ではなく、チーム全体を動かすことだからだ。

逆に、選手も「俺を監督にすれば・・・」という発想を
持つことは求められていない。サラリーマンの場合、
入ったばかりの新人が「自分が課長なら、部長なら」
などと考えてしまうこともあるだろう。

だが、管理職に求められる仕事と、
一般作業員に求められる仕事は、
明らかに内容が異なる。
名監督になりたければ、まずは選手として実績を出す。
それが前提であることは言うまでも無い。

不幸なことに、時として仕事の現場では、
自分のポジションが明確になっていない状態で
作業を進めなければならない事態が発生する。

そんなとき「自分の守備範囲はどこなのか?」を
明確にしないまま、ただ「とりあえず走る」みたいな
ことをしていては、いつまでたってもチームに貢献できないし
勝てるはずが無い。そして、自分自身の満足感、つまり
達成感も得られないのである。

仕事への不満は「自分の立場が不明確であること」への不満。
その不満を解消するために、まずは「自分に何が期待されているのか?」
を明確にする。それが、一番最初にやるべき仕事なのである。

(次回につづく。)

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2005年05月09日

仕事の「やりがい」はどこにあるのか?

「5月病」という言葉がある。
サラリーマンにとって、なんとなくやりがいが感じられず、
今の仕事から逃げ出したくなる時期。それが5月。

特に、新卒採用で入った若手社員にとって、
連休明けのこの時期は、自分の選択を省みるための
第一の「不安の波」が訪れる時期でもある。

「この会社は、思っていたのと違う」という後悔。
だが、すぐに「辞める」という選択肢を選ぶことは事実上難しい。
だから、まずはしばらく様子を見るしかないだろう。

しかし、いずれ配属されたあとも、その「なんとなく不安」な気持ちが
満たされることは無い。なぜなら、彼らは「仕事に対するやりがい」が
既存のものであると認識しているからだ。

つまり、仕事には
・やりがいのある仕事

・やりがいのない仕事
の2種類があると思っている。
そして、そのどちらに自分が付けるか?
次第で、自分自身の「自己実現欲求」が満たされるかどうかが
決まる考えている。

だから、本当に「やりがい」を感じたければ、
まずはそのその考え方を
改めなければならない。

そもそも「やりがい」とは、最初から存在している
ものではなく、徐々に実感していくものなのである。
つまり「やりがい」とは「プロセス」であり、
はじめからどこかに「置いてあるもの」ではない。

そして「やりがい」は、仕事の規模や、
プロジェクトの大きさに比例するものではない。

もし、規模の大きさと「やりがい」が比例するのならば、
この世で最もやりがいのある仕事は「政治」になってしまう。
政治が国民に与える影響力は、企業以上に大きい。

だが、一方で、政治には「期待感が欠如している」とも言える。
なぜ若者が選挙に行かないのか? それは「誰が選ばれても同じ」
だと思っているからだ。つまり「変化への期待」が皆無。

となると、政治という仕事は
「影響力が大きすぎるがゆえ、個人一人ひとりの期待は大きくない仕事」
であるとも言える。例えば、サラリーマンにとって、総理大臣が変わる事は
それほど大きな問題ではない。それよりも、自分の直属の上司が変わる事の
ほうが、とてつもなく大きな問題だからだ。

では、ある商品を開発している企業のサラリーマンの場合、
その影響力は、政治と比べてどうだろうか?
例えば、化粧品を開発しているメーカーの場合、
その影響力は、原則として「商品を使う消費者」に
限定して到達することになる。

だが、その商品を使ってくれたお客様が
「この商品は本当にすばらしい!新作を期待している!」
と、喜びのメッセージをくれたとしたら、どうだろうか?

つまり、影響力が小さくとも、その商品やサービスに
対する個人の期待が大きければ大きいほど、開発者は
それに応えたいと願うようになる。その「応えたい!」
と思う気持ちこそが「やりがい」の正体。

だとすれば「やりがい」を感じるためには
「期待されること」が前提となる。
そして「期待を得るため」には、最初の商品でお客様に
「大満足」を味あわせなければならない。
でなければ、次の商品を期待してくれるはずなど無い。

新卒で入ったサラリーマンの場合、会社内ではゼロからのスタート。
つまり、そこには実質的な「期待」はまったく存在しない。
そのような状況でいきなり「やりがい」を求めようとするから無理がある。

やりがいは、自分自身で育てていくもの。最初はゼロから始まる。
お客様や取引先との「信頼の蓄積」において、
少しずつ生み出される期待感と喜び。それが「やりがい」なのである。

だからこそ「やりがいが無い」ではなく「まだやりがいが育っていない」
と解釈すべきであり、長期的な視点で「仕事の楽しさ」を見つけていく姿勢が
大切なのである。


(次回につづく。)

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