2005年04月27日

企業の不祥事は経営者一人だけの責任なのか?

人の上に立つということは、それだけ抱える責任も重くなる。
ただ脚光だけを浴びているのではない。
同時に嫉妬や攻撃も浴びているのが現実。

例えば、あなたが経営者だとして、
自分の会社が、なんらかの不祥事を起こしてしまった場合。
そして、その不祥事が、社会的に大きな責任を追及されるような
事態を引き起こしてしまった場合。

もちろん、経営者として取るべき責任は大きいだろう。
最悪の場合、辞任と言う選択肢もありえる。
しかし、経営者もまた「それは不可抗力だ」という
気持ちを抱えていたとしても、それは一人の人間として
不思議ではない。ごく当たり前の感情である。

ある現象に対して、多くの人が怒りの感情を抱いた時、
その怒りの感情は、組織の代表者である経営者個人に向かう。
物理的に「組織を責める」ということは難しい。
怒りの矛先を一点に集中させたいから、どうしても
矢面に立つ「憎まれ役」が必要なのである。

もちろん、その憎まれ役が、本当に「憎まれるべき行為」
をしていたのならば、それは憎まれて当然だろう。
だが、どんなに経営に尽力を注いでいたとしても、
経営者一人では制御しきれない問題もある。

「それでは経営者として甘い。失格だ」という声もあるだろう。
その意見も一理あるが、だからといって、
「世の中で起きている不幸な出来事が、
すべて、ある一人個人の責任である」
という理論も成立しないと、私は考える。

例えば、今、日本で起きている問題は、すべて
「小泉が悪い!」と言い切れるだろうか?
政治であれば有権者の関与。企業であれば消費者の関与。
そのような「大きな力による流れ」がもたらした現象の1つならば、
それは、私たち個人が「自分の問題」として考えなければならない
ことを意味する。

よく、交通事故においては
「加害者もまた被害者」という言葉が使われる。
この言葉の是非には賛否両論あるだろうが、
少なくとも「好きで事故を起こす人」なんて在り得ない。
誰もが「事故をゼロにしたい」という気持ちは同じなのだから。

一方で、私たちは個人的な感情に流されて、
その場しのぎでは、実に身勝手な行動をしている場合がある。
例えば、自分が急いでいる時、タクシーの運転手に
「もっと飛ばせ!」などと言う。
遅れている配送業者に対して「今すぐ持ってこい!」などと怒鳴る。
そのとき「急ぐことによって発生する事故の可能性」なんてことは
頭に無いだろう。

消費者の感情。有権者の意見。
それらが積み重なって、企業経営や政治を動かしているとするならば、
その「動きの方向性」を決めているのは、私たち自身。

だからこそ「トップの人間」だけを責めるのではなく、
私たち一人ひとりが、自分の問題として考え直すことが
大切なのである。そうしなければ、どんな問題でも根本的に
解決させることは難しい。そのような意味では、
全員が「トップ」としての自覚を持つべきなのである。

サラリーマンの場合、企業内では、たとえいち社員であっても、
「トップが悪い。俺には関係ない」と考えるのではなく、
「自分がトップだったら」と置き換えて考えてみる。
そのとき、自分にはどんな対応、責任が求められるのか?
それを意識することで、企業内の方向性は、限りなく良い方向に近づく。
また、他業界の失敗を教訓として、自分の業界に当てはめてみる視点も大切だ。
失敗から教訓を得ることによって再発を防止する。
それが「経営者も社員も消費者もみな幸せになる」ための方法なのだから。

(次回につづく。)

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2005年04月25日

通勤ルートは貴重なデータベース

先日、サラリーマンの「通勤時間」について、
次のような内容が番組で放映されていた。

日本の通勤時間は過酷だが、
タイの通勤時間はさらに過酷。

車なら渋滞、電車なら混雑。
このように「サラリーマン=通勤が大変な職業」
というマイナスイメージは、根強く浸透している。

その影響もあり「通勤地獄から開放されるために
会社を辞める」という選択肢もまた浮上しているのも事実。

だが、そのように「通勤のデメリット」にばかり
目を奪われるのも、また視野の狭い考え方だと言えよう。

たしかに、朝のラッシュ時、満員電車に潰されそうになる
サラリーマンは、その時間帯、苦痛であるかもしれない。
だが、少し出勤時間を早くするなど、多少なりとも
自分で改善できる余地はある。

また、電車の中でもできることはいろいろある。
何かを聴く、考える、メモする、本を読む。
マーケティングの視点で電車内を見れば、
中吊り広告には使えるフレーズが目白押しだ。
時代をリアルに感じ取ることができる空間とも言える。
性別、職業、世代を超えた人たちが密集するからこそ
集まる貴重な情報だってあるのだ。

そして、通勤距離が長いということは、すなわち
「行動範囲の拡大化」を意味する。
例えば、急に病院を探すことになった時、
私たちは、自宅の近く、もしくは、職場側の駅の
近くにおいて、行きつけの病院を探すケースが多い。

だが、これは「探す」というよりも、毎日の通勤のなかで
「そう言えば、あそこに病院があったような気がする」
という記憶を辿っているのだ。つまり、
繰り返し、同じ場所を行ったり来たりすることによって、
自然とその場所の風景、町並み、どんな店があるか?
という情報が、記憶の中に蓄積される。

そして、いざそのお店を探さなければならない状況に
なったときに、それまで蓄積された記憶は、
強力なデータベースとして威力を発揮するのだ。

このように「町並みを記憶する」という観点において、
通勤ルートを再確認してみると、まだ自分が気づいていない
魅力的な施設や商店街が、数多く存在しているはずだ。
それらの情報を積極的に集め、そして活用する。
そうすれば、ただなんとなく通勤しているルートは、
まさに、あなたの「庭」になるのだ。

他にも、不動産関連の情報もまた重要である。
駅周辺のマンションの相場。どの地域はいくらぐらいなのか?
それを意識的にも知っておくことで、将来的に
自分が引っ越すことになった時の判断材料になる。

もし、その地域、その駅が、通勤ルートに含まれていなければ、
「何処に何があるかを覚えるほど」まで、毎日通い詰めることが
あるだろうか? きっと無いだろう。

通勤ルートとして毎日通うからこそ、覚えることが出来る貴重なデータ。
それをどう活かすか?は本人の意識次第。
ただ電車の中で嫌々うずくまっているだけでなく、
ちょっと窓の外を眺めてみる。情報を取り入れる視点を
持ってみる。それだけで、朝の通勤地獄が天国に変わることは間違い無い。

(次回につづく。)

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2005年04月22日

「時代の流れを読むこと」の本当の意味

最近「インプロ」という言葉が流行っている。
インプロとは「即興」という意味であるが、
ある状況に応じて、アドリブの連続で芝居を
組み立てていくこと。それがインプロの定義。

そして、このインプロのスキルを鍛えることで、
それをビジネスにも応用し、役立てようという考え方が広まりつつある。
つまり「どんな予想外の状況に直面しても、それを乗り切る素早い判断力」
が身に付くのだという考え方。

ビジネスとは、まさに「筋書きの無いドラマ」であり、
「台本が無ければ何も話せない」という経営者は生き残れない時代。
だからこそ、アドリブの力を鍛えることが求められている。

しかし、インプロの面白さは、単なる即興性だけにあるわけではない。
インプロは究極の「プラス思考」において展開される。
どのような厳しい状況においても、それを前向きに考える姿勢が求められるのだ。

この考え方は、ブレーンストーミングにも近いものがある。
ブレストの原則は「絶対に相手の意見を批判しないこと」である。
できない理由、無理な理由を述べるのではなく、
『どうすればそれを実現できるか?』という方向でのみ
話しを膨らませる。その原則が守られなければ、その話し合いは
単なる会議であり、ブレストではない。

もちろん、あまりにも非現実的な要求やアイデアは、
現実問題としては受け入れられない。
だが、ブレストの目的は、あくまでも「アイデアを出すこと」
である。質より量。とりあえず沢山出して、その上で、
冷静になって「どれが一番良いか?」をじっくり検討すればいい。
まずはアイデアを出す。実行の現実性を考えるのはその次。

ブレストも、インプロも、ビジネスにおいて「アイデアを
ブレークスルーさせる」とか「ピンチをチャンスに転化させる」
という意味では、とても有効な手法である。

そして、このような概念は、個人レベルでの生活スタイルにおいても、
十分に適用できる、とても利用価値の高いメソッドになり得る。

普段の日常生活においても、物事をマイナスにしか捉えられない人は、
どんな状況においても「私はつらい。自分は不幸」としか考えられない。

例えば、会社で新しい仕事を任されたとする。
ある人は「やった、ついに認められた!」と喜び、
ある人は「また押し付けられた。こき使われた」と悲しむ。
その両者にあるのは「状況の違い」ではなく「捉え方の違い」。

この「解釈の方向性」を変えることには、
ブレストやインプロの原点と通じるものがある。
それに気づくことができれば、意識せずとも、
勝手に物事が「良い方向」に進んでいくことは間違い無い。

マネーの虎で有名な、生活倉庫の堀ノ内社長の言葉で、
次のようなものがある。

『お金を儲けるために必要なのは「努力」ではなく「考え方」』

考え方を変えれば、努力は不要。
あらゆる努力を「楽しみ」と解釈できる人は、苦も無く成功する。

インプロやブレストに共通するメッセージ。
それは「捉え方を変えてみよう」という姿勢。
不況と呼ばれる時代。この状況をどのように解釈するかで
人生の方向がプラスにもなったり、マイナスにもなったりする。
捉え方が重要なのであれば、あらゆる成功論において、時代の流れは
さほど重要ではない。それに気づいた人間だけが、時代を読むことができる。
時代を読むとは「時代の流れをプラスに解釈できる人」なのだから。

(次回につづく。)

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2005年04月20日

あらゆる現象は、自分が関与してきた結果である

制度への不満。ルールへの反発。
いつの時代も「自分が納得できない存在への抵抗」は
繰り返される。

最近、中国における反日デモの模様が多く放映されている。
あの映像を見て「日本の外交は、今まで何をやっていたんだ?」
という疑問を抱く人も多いだろう。
「仲良かったんじゃないの?」という驚き。

私は、歴史問題についてとやかく言うつもりは無いが、
ここで「日本と中国がもめているのは外務省だけの責任である」
という考え方には、少し疑問がある。

と言うのは、外務省がどのような交渉を行なってきたにせよ、
それらを監視し、また外交官を選ぶべき立場にあったのは
私たち国民だからだ。

ここであえて、このような大きな問題を取り上げたのは、
この視点を、社内での考え方にも活かしてほしいからである。

例えば、成果主義の問題。
「こんな評価制度には納得できない」と言って、会社を辞める人。
たしかに、不満があれば辞めればいいし、残るかどうかは本人の自由。
ただ、忘れてはならないのは「そのような会社を選んだのも自分である」
という事実。

なぜ、制度やルールに対して「自分たちもその制定に
関わってきた」という感覚がもてないのだろうか?
直接的、間接的にも、今の状況を生み出しているのは、
少なからず「自分の判断や選択」が影響しているはずなのである。

国の責任。会社の責任。
このような責任転嫁的な考え方に浸りたい時は
誰にでもあるだろう。
「自分は悪くない」という考え方。

たしかに、一時的な感情の不満を解消するためには
有効な考え方かもしれない。
だが、それで長期的な問題が解決するかと言えば、
必ずしもそうとは言い切れない。

歴史というものは、長い年月をかけて蓄積されてきたもの。
それは企業文化においても同じ。
創業年数の長い会社ほど、その制度やルールが
創り上げられるまでには、長い時間を要した。

就職の場合「すでに出来上がっている制度に納得して入社する」
というのが前提なのであるが、いつの間にか、会社の風土に
慣れてしまうと、少しずつ不満が出てくるようになる。
そして、納得して入ったにも関わらず「この会社の制度はおかしい」
などと文句を言い出すのだ。

たしかに、入社時に提示された条件と大きく実態が異なる場合などは、
法律的な解釈も含めて、きちんと白黒をつけるべきときもあるだろう。
だが、単に「社員自信の欲望が入社時よりエスカレートしているだけ」
の場合、それは会社側の責任ではなく、本人が何とかすべき問題。

人は、原則として、産まれた時に国籍が決まっている。
だから国を選ぶことは難しい。しかし、会社を選ぶこと、
仕事を選ぶことならできる。
つまり、会社の制度が気に入らなければ、他の選択肢を選ぶことは
許されているわけだ。

それでも、その会社から抜け出せないのは、
やはり何らかの魅力を感じているからに他ならない。
口では「嫌いだ」といいながらも、本当は好きなのである。

認めることより、不平不満を言うことの方が簡単だ。
だが、それでは自分の感情を一時的に発散することしかできない。
本当に大切なことは「その現状に対して、自分がどのように
関与していけるのか?」を見きわめることだけである。
抜けるもよし、認めるもよし、自ら「制度を変える努力をする」もよし。
何らかの行動を起こすこと。それが出来ない人間は、
一生「不平不満を言いつづける人生」で終わるのである。

(次回につづく。)

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2005年04月18日

主役の存在感は脇役によって支えられている

「適材適所」という言葉がある。
どんなに優れた人材でも、その人に与えられる
仕事の内容や環境に問題があると、本来の実力を
発揮できないという考え方。

たしかに、そのような面もある。
しかし「適材適所」という言葉の意味を取り違えると、
自己の成長を妨げることにも繋がるので注意が必要だ。

例えば「今の自分が成長できないのは、適切な仕事を
環境を与えていない会社側の責任だ!」という考え。
たしかに、それも一理あるかもしれないが、
そこで文句を言いつづけたところで、現状が変わらなければ
意味は無い。ただ不幸な毎日を歩むだけだ。

では、どうすればよいのだろうか?
一番大切なことは「適材適所の本当の意味」を
考えることである。

優れた人材というものは、どのようなポジションに
付いたとしても、そこで最大限の能力を発揮する。
言わば「万能包丁」なのである。何でも切れる。どこでも使える。

となると、もう万能包丁以外の刃物は必要なくなるのだ。
それが「どこでも通用する人材になる」ということ。

しかし、この考え方に対して
『人間は万能ではないのだから、包丁のように
なんでもかんでも切れるような能力を身に付けられない』
という反論をする人もいるだろう。たしかにそのとおり。
人間は万能にはなれない。

だが「万能になること」の前提にある基礎的なスキルは
業種、業界を問わず変わらないのが現実だ。
例えば刃物なら「刃が丈夫である」とか「持ちやすい」などだ。
これは、果物ナイフであろうが、出刃包丁であろうが、
求められる基本機能。

スポーツ選手の場合、走力、筋力、持久力などは、
競技種目を問わず、必要とされるスキル。
同じように、ビジネスにおいても、交渉力、営業力、
文章力など、求められる基礎スキルは限られてくる。

このような基本を押さえているからこそ、彼らは万能
になれる可能性を秘めているのだ。そして、基本性能を高めるならば、
適材適所に拘らなくても、どんな仕事でもいいのである。
走力を鍛えたければ、マラソン以外にも、サッカーでも、
野球でも、いろいろ方法はある。

会社という組織において、1つのビジネスを創り上げていく喜び。
それはまるで、舞台の上で、それぞれの役割を演じる俳優のように。

そして、忘れてはならないのは「主役の存在感は脇役によって
支えられている」という事実。逆に「脇役の存在感も、主役によっ
て引き立つ」とも言える。

テレビドラマにおいては、大御所の俳優よりも、若手俳優の主役のほうが
出演シーンも台詞も多い。だが、ギャラは大物俳優のほうが多かったりする。
たくさん話すことがすべてじゃない。多く映ることだけがすべてじゃない。
大御所と呼ばれる人たちは、ほんの少し話すだけで、多くのギャラを手にする。

その分「わずかな出演において、強い存在感を与える」という
能力が要求される。つまり、過去に蓄積された経験があってこそ、
短時間で深い演技ができるのである。

そして、ベテランの助演俳優ほど「主演を引き立たせることの大切さ」
を知っている。その役割が自分に求められていることを良く知っているからだ。
自分の立場を理解し、全体として成功に向かう方向に導く姿勢。
それが、本当の意味での「プロの姿」なのである。

サラリーマンの場合、与えられた仕事に必ずしも
満足できないケースは多いだろう。
だが、その地味な仕事が、結果として、チーム全体を
成功へと導くための脇役として欠かせないものならば、
その役割は、自信を持って演じるべきなのだ。

本当のプロとは何か? 本当の意味でのベテラン、大御所とはどんな姿なのか?
それを、もう1度自分に問い直してみた時に、仕事への取り組み方が
大きく変わることは間違い無いだろう。

(次回につづく。)

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2005年04月15日

会社の影響力を利用して、社会に貢献する姿勢

直接的な貢献と、間接的な貢献。
どちらにも価値があるが、大切なことは
「今の自分なら、どちらのほうが
より大きな価値を提供できるか?」
である。

先日、朝の通勤時間帯、途中の駅で乗ってこようとした
「白い杖」を持った人が、ドアの入り口付近のホームで
小銭を落とした。

その人は、目が悪く、落としたことに気づかなかったようだが、
ホームにいた周りの人間は気づいていたかもしれない。
だが、誰一人として拾おうとはしなかった。

私自身も、そのときは電車内にいたが、
無理をすれば、ホームまで下りていって
拾うこともできた。でも、そこまではできなかった。
そんな自分に対して、多少なりとも、罪悪感のようなものを感じた。

このような光景は、誰もが一度は体験したことがあるだろう。
「今、自分の助けが求められているのではないか?」と
思わせるような出来事に出会う瞬間。でも、何も出来ない時。
私たちは、自分のおろかさに罪悪感を抱くべきなのだろうか?

ボランティアという言葉。自分の労働力、スキルを提供することで
社会に貢献する。その精神はすばらしいことだし、行動することも
大切なことであるのは間違い無い。

だが「目に見える直接的な手助け」だけが、社会貢献ではない
という事実も、また忘れてはならない。

特に「社会的に大きな偉業」を成し遂げたいと思うのならば、
それは、個人の力では到底不可能。
例えば「日本中のタバコのポイ捨てゴミをきれいにしたい」
という理念があるとしよう。

そのとき、自分一人が日本中を歩き回って、
1つずつ、吸殻を拾うこともできる。
だが、その行為が、はたしてどれだけのゴミを
拾うことにつながるのだろうか?
人間一人の力なんて、たかが知れている。

だとすれば、大きな問題に対しては、
大きな組織と技術で対向するという方法もまた、
意義のある社会貢献なのだ。

例えば、あなたが機械メーカーに勤務しているとすれば、
「自動で歩き回って吸殻を拾ってくれるロボットを開発できないか?」
という視点で、仕事に取り組んでみる。

他にも、製紙会社に勤めている人なら
「雨水で溶けて無害なタバコの包み紙の開発」
という切り口で考えてみても良いだろう。

自分が直接、その行為をすることだけが社会貢献ではない。
会社、組織、サービス、商品を通じて、間接的に社会に貢献する。
そのほうが、結果として大きな影響力を与えることができる場合があるのだ。

先ほどの障害者の例にしても、
建築業界関係者ならば
「目の不自由な人でも使いやすいホームの構造は?」
という視点で、あらゆる設備の設計を考えれば、
おのずと、そのような問題は解決する方向に向かう。

私たちは、サラリーマンであると同時に、
一人の人間である。その「一人であるがゆえの無力さ」
や「何も出来なかったことの罪悪感」を感じたときは、
その反動を利用して「会社を通じて大きな社会貢献が
できないか?」を考えてみるのだ。
そうすれば、会社で仕事をすることの本当の意味、
そして、自分という社員がいることの存在意義を
実感することができるのである。

(次回につづく。)

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2005年04月13日

経営者と従業員は、なぜすれ違うのか?

先日「おしゃれイズム」という番組に出演していた岩城滉一氏が、
『(趣味の射撃で)どんなときに集中できませんか?』という質問に対して、
次のように答えていた。

「月末に従業員に払う給料のことを考えているとき」

経営者には、経営者なりの悩みがある。
お金をもらいながら仕事をする従業員。
一方で、お金を払いながら仕事をする経営者。

この両者には、越えられない壁があることは事実。
特に、大企業においては、社員の利益と、会社の利益が
直結していないケースが多い。

社員は効率の悪い作業でも残業代を稼ぐことができる。
だが、経営者からしてみれは、それは赤字を生む原因に過ぎない。
しかし、労働基準法上、残業代は割り増しで支払うことになっている。

もちろん、残業して生み出した価値が、残業代よりも多ければ何ら問題ない。
だが、その価値は本当に「残業をしなければ生み出せなかったものなのか?」
を考えてみると、必ずしもそうとは言い切れない。

経営者は、そのことを理解しているが、かと言って
「最高に効率の良い仕事をしてくれる社員なんて、
そう簡単に集まらないという現実」も、よく理解している。
もし、そんな優秀な社員がいたら、よその大企業に取られているか、
もしくは、その社員自身が、すでに社員ではない(独立している)からだ。

だからこそ「多少、効率の悪い面があったとしても、それでも
手伝ってもらったほうが、結果として総合的に生み出す利益は大きい」
という割り切りにおいて、社員を雇っているのだ。

以前、ライブドアの堀江社長が、人材の確保について、
次のように語っていた。

「(人材が)多少ヤバくても欲しい。だからヤバい人材も取ってしまう」

採用に関して、自分で把握せずに、事業部長に任せていたとき、
慌てて取った社員は、入社後、何らかの問題を起こしやすいのだと言う。
それでも「いないよりはマシ」という割り切りで、人を取らざるを得ない状況もある。
これは、雇う側にしか分からない悩みの1つである。

では、サラリーマンという「雇われる側」にとって、
この「自分の利益と会社の利益のギャップ」については、
どのように考えていけばよいのだろうか?

まず、ビジネスの性質上「お金を払う側の利益と、お金を貰う側の利益は
必ずしも一致しないケースがある」ということを理解しなければならない。

例えば、英会話スクールに入会金を払う。
その生徒の英語が上達しても、しなくても、
入会金は同じ。この時点で、払ったお金と得られた価値は一致していない。
同じ金額でも「上達」という価値を得られる人と、得られない人がいる。
だからと言って「上達しなかったから入会金を返せ!」というのは認められない。

同様に、会社が社員AとB、二人に同じ給料を払ったとしても、
そのどちらが社内で活躍するかはギャンブルみたいなもの。
それでも「お金を払った時点」でビジネスは成立する。
「お前は役に立たないからクビだ」とは言えない。それは違法である。

では、英会話スクールの例において、その生徒が上達しなかった理由は、
「教え方が悪かったから」なのか、それとも「本人のやる気がなかったから」なのか?
この判断は非常に難しい。双方の言い分があるから、明確な答えなど出せない。

社員が会社で「役に立たない」というのも同じ考え方が適用できる。
本人がまじめに働いていないだけなのか? それとも、
本人のスキルに見合った(実力が発揮できる)仕事が与えられていないだけなのか?
これも白黒つけるのは難しいだろう。

このように、あらゆる商取引においては、常にグレーゾーンが存在し、
曖昧でギャンブル的な要素が含まれている。
だからこそ、両者の間で金銭的または感情的なギャップが発生するのは
自然の摂理であり、当然のことなのだ。だからそれに悩む必要などない。

大切なことは「お金を払った時点(雇われた時点)で、すでに
商取引は成立しているという事実」を認めること。
どんな商品でも、買ってから100%満足できることなんて無いのである。

いずれせによ、経営者と従業員、両者の間にギャップがあるということは、
両者とも「悩みを抱えている」ということである。
経営者には経営者の悩み。従業員には従業員の悩み。
立場が違うだけで、悩みの本質は変わらない。
その「お互いの悩みを解決するバランス点」を探りながら
それでも前に進んでいく組織。それが会社の本質であり、企業の実態なのである。

(次回につづく。)

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2005年04月11日

「教える力」を鍛えるためには、どうするか?

人に何かを教えるという仕事。
教職のみならず、サラリーマンという仕事においても、
経営者の世界においても、常に教育という課題は
ついてまわるもの。

しかし、教えるという仕事のレベルもまた、さまざま。
教わる側のレベルに応じて、教える方もまた、
的確な教え方をしなければ、組織全体としての
能力は向上しない。

教職においては、
中学校の教員免許よりも、小学校の教員免許のほうが
取得が難しいとされているが、
それは単に「教える科目数が多い」という意味だけではなく
「子供にも分かりやすく教える技術」が問われている。

大人の考え方や一般的な常識が通用しない小学生に対して、
いかに分かりやすく伝え、相手を納得させられるか?
その「教える技術」は、大人に教える技術よりも
はるかに高いレベルが要求される。

サラリーマンを長く続けていると、
新人に対して『なぜそんな当たり前のことができないのか』
という感情を抱くケースは多い。

同じように、専門技術職の場合、その分野の
素人に対して「なぜ、こんな基本的なところから
説明しないといけないのか?」という面倒さを
感じることもあるだろう。たとえ相手がお客様で
あろうとも。

だが、相手の知識レベルが不足している状態において、
それでも分かりやすく、短時間で、簡潔に説明できる人間こそ、
本当の教育者であり「教え上手」な存在といえる。

つまり「自分と同じレベルもしくは、少し下のレベル」
の相手だけにモノを教えていたのでは、自分自身が成長しない。
自分の「教える力」が鍛えられないのである。

では、この「教える力」が衰退すると、どうなるのか?
1つのデメリットとして「ゼロから人を育てられなくなる」
ということが挙げられる。

現在、サラリーマンの人でも、将来は独立して、
自分で組織を作り、経営をしたいと考えている人も
いるだろう。だが、そのときに必要とされるスキルは、
まさに「教える力」である。

自分が集めた人材に対して、自分が考えている
ビジネスモデルを理解させ、実行に移させる。
そこで、少しでも誤解や説明不足な点があれば、
それは即、組織の崩壊と無駄な人件費を生む原因になる。

だとすれば、私たちは、つねに「教える力」を鍛えつづけることを
意識しなければならない。では、具体的に、
教える力を鍛え続けるには、どうすればよいのだろうか?

まず1つは「新人や初心者と積極的に話す」ということがある。
この時期、どの会社にも新入社員が入ってきているだろうが、
職場に配属されたあと、彼らの質問、疑問に積極的に
答えてあげることで、自分の「教える力」が鍛えられることは
間違い無い。

そしてもう1つ。それは「自分も初心者でありつづけること」だ。
自分が何か新しいことを始めるとき。仕事でも、趣味でも
なんでもいい。得意分野とはちがう、初めての体験を積極的に
取り入れる。

音楽が好きなら、週末に音楽スクールに通うのもいいだろう。
そこでは、自分は「教えられる側」になる。
相手の先生がどんな説明をするのか?

初心者の自分には分かり難い表現を使うかもしれない。
「なんでそんな簡単なことができないのか?」
というような態度を取られるかもしれない。

だが、そのような立場を体験してみることで、
「思うように出来ない人の立場」を再認識できる。
その気持ちを、今度は「自分が教える側に立った時」
の場面にフィードバックすればいいのだ。

教えるために教わる。指導者であり、生徒であるという謙虚な姿勢。
それを日々、体験してこそ、本当の意味での「教える力」が
鍛えられるのである。

(次回につづく。)

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2005年04月08日

専門的スキルと普遍的スキルのバランスを保つ姿勢

サラリーマンが身に付けるべきスキルは2種類。
1つは、専門的なスキル。もう1つは、普遍的なスキル。

例えば、IT技術者の場合、コンピューターや
ネットワーク、システムに関する知識が専門的なスキル。

金融関係なら、財務の知識、株取引に関する情報などが
それにあたるだろう。

だが、業種、職種を問わず、
・仕事を計画的に進めるスキル
・交渉能力
などは、幅広く問われるスキル。これらが普遍的なスキルである。

順序で言えば、まずは普遍的なスキルを身につけた上で、
次に専門的なスキルを身に付けるという考え方が一般的だ。
そもそも、学校教育自体が、そのような土台で構築されている。
幼少期は基礎学力の構築。そして、中学、高校と
年齢が進むにつれて、専門科目も増えてくる。

だが、教育の現場と、仕事の現場は違う。
社内においては「普遍的なスキルがあること」を
前提として、すべての社員が扱われるからだ。

仕事を計画どおりに進めるとか、電話での対応を
スムーズに行なうとか、そのようなスキルは
「一般常識のレベル」として扱われる。
つまり「今さらそのようなことで悩む社員などいない」
ということが前提として仕事を進めようとしている
職場が非常に多い。

だが、どんな社員でも入社後、専門スキルと一般スキルを
同時に鍛えていくのが普通だ。
専門性を生かしながら、でもその専門性を本当に
効果的に使うためには、普遍的なスキルの土台が
欠かせないことに気づく。

だとするならば、普遍的な教育についても、
会社および個人が、もっと真剣に取り組んでいかなければ
ならないのだが、とくにIT業界においては、
そのような教育が一般化していないのが現状だ。
だから「技術はあるがコミュニケーションが下手」な
人材ばかりが育つという悪循環になる。
そのような上司のもとでは、同じような部下しか育たない。

しかし、指導熱心な上司が部下に対して
「電話の対応が悪い」とか「仕事の段取りが下手だ」
などと指導すると、それは説教として捉えられてしまう。
だから上司も指導しなくなる。

では、指導を受ける側が、謙虚に自分の普遍的スキルを
磨いていくためには、どうすればよいのだろうか?

大切なことは「普遍的なスキルを身に付けることが
最大のリスクヘッジにつながること」を自覚することである。
なぜなら、普遍的なスキルを身に付けていれば、
そのスキルは、専門分野と違って、他業種、他業界でも
大いに通用するからだ。

昨今、1つの事業モデルの寿命、サイクルが短くなっている。
そのような状況において、将来、自分が今まで経験を積んできた
分野とはまったく違った業界で勝負しなければならない
状況に追いやられるかもしれない。

しかし、そのときに、たとえ従来の専門スキルを捨てたとしても、
これまで培ってきた普遍的なスキルは、何よりも大きな財産になる。
人とのコミュニケーション能力、仕事の段取り、チームをまとめる力。
そのような力こそ、どんなビジネスにも通用する、万能包丁になり得るのだ。

(次回につづく。)

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2005年04月06日

専門化と同時に考えるべきリスクヘッジ

これからは「選択と集中の時代」とは良く言われることだ。
専門家、差別化し、得意な分野を伸ばしていく戦略。
それが「選ばれる存在」になるということ。
SEO的に言えば、検索結果でつねに1位に表示される
絶対的な存在。

小売業で言えば、デパートよりも専門店が好まれる。
「何でもそろっています」はもやは「何もそろっていません」と同義。
それよりも、限られた分野で、徹底的に極めていく。
ネットショップはその究極の形であろう。
インターネットでデパートをやっても儲からないが、
一方で、個人がマニアックな商材を売っているサイトは
なぜか長期的に安定したアクセスを誇っている。

このような時代の流れに伴い、
学校教育においても「ある特定の分野に特化して
専門的に教育する」という風潮が進みつつある。
義務教育段階での選択科目を増やすなど、
あらゆる方向から、その試みが検討されているとも言える。

そもそも「ゆとり教育」で「学校以外の時間」を確保することが、
専門分野を伸ばす手助けにもなっている。
学校が休みのとき、何を学ぶか、学ばせるか?
経済的な格差が、教育機会の格差につながっているという意見も
あるが、それはさておき「選択肢が増えた」というのは
まぎれもない事実である。

そして、私たちサラリーマンも「専門家」として
成長していくことになる。給料は「時価」で評価され、
誰もが個人事業主的に、自分の給料を短期間契約で交渉できる時代。
そうなると、その競争で勝つためには、一人ひとりが
個人としての「コアスキル」を磨かなければならない。

「あなたは何ができますか?」と聞かれ
『何でもできます!なんでもやります!頑張ります!』
と言えば通用する時代は終わった。
「何でも出来ます!」は「何も出来ない」のと同じ。
他者に勝つだけの圧倒的アドバンテージが見出せないのと同じ。
それに気づいたとき、人は自分の中に「絶対的な専門分野」を
構築しようと努力するのだ。

だが、一方で「専門分野に特化しすぎることのリスク」もまた、
同時に認識しておかなければならない。
なぜなら、あらゆる市場における「技術の旬」が
短くなりつつあるからだ。

正確には「短くなっている」と言うよりも「サイクルが早くなっている」
と言った方がいい。
1年前までは最新だった技術が、数ヵ月後には「誰でもできる技術」になる。
それぐらい「情報の相互伝達スピード」が上がっているのだ。

となると、1つの専門分野だけに執着していては、
リスクが高まってしまう。情報やノウハウが分散し、
自分以外にも「出来る人」が増えてきたら、その時点で
すでに「専門家」ではなくなる。

では、このようなリスクに対して、
具体的には、どのような対策を立てていけばいいのだろうか?
一番大切なことは「3本の柱を同時に持つ」という姿勢である。

端的に言えば「得意な分野を3つ持つ」という考え方。
しかし、その3つが、必ずしも「最高の技術」でなくてもいい。

1.絶対に自信があるもの
2.多少は自信があるもの
3.人よりちょっと進んでいるレベル

このような3つの柱があれば、
たとえ1つ目が倒れたとしても、
まだ2つめ、3つめに広げられる可能性が残る。
そうすれば、ビジネスチャンスはいくらでも広がる。

先日、アナウンサーの草野仁氏が、レスリングで
芸能人ナンバー1になるという番組が放映されていた。
アナウンサーとしても優秀だが、レスラーとしても優秀な人材。

誰もが「本業以外の得意分野」を持っているはずだ。必ず1つか2つは。
その分野は、本来「趣味の領域」かもしれないが、それでも、
その趣味を極めておけば、第二、第三の柱に育つ可能性は十分にある。

つまり、同時に複数の柱を持つことが最大のリスクヘッジになる。
それを理解しておかなければ、1つの市場が崩壊した時に
焦ることになるのだ。

だからこそ、サラリーマンは、本業以外にも、
趣味、週末起業、自己啓発など、幅広い活動に
取り組むべきなのであり、本業だけにエネルギーを
奪われる必要など無い。

大企業が、リスクを分散させるために、複数の事業を同時に回す。
同じように、個人もまた、複数の柱を同時に育てていく姿勢が大切。
専門化も大切だが、同時にリスクヘッジも考えていく。
それでこそ専門化した分野が生きてくるのである。そのことを忘れてはならない。

(次回につづく。)

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2005年04月04日

効率化を求めればこそ「個人の売り」が重要になる時代

効率を上げる。この追求は、ある意味、無限であり、
終わり無き追求である。

別の言い方をすれば、人類の歴史こそ、
まさにこの「効率アップ」を目的として
作りあげられてきたと言っても過言ではない。

これまで、私たちは「古いもの」から「新しいもの」
への変化を感じる中で、いつも効率化と共に
時間短縮の技術と取り入れてきた。
それはまず、家事から始まる。

炊飯器、電子レンジ、温水器。
これまで「火をおこす」というところから
始めていた作業を、どれだけ短縮化できただろうか?
そして、作業を短縮したことによって、時間に
余裕が生まれ、新たなゆとりやアイデアが生まれた。
それが、さらに文化的な生活を支えてきた。

つまり、企業が生み出す便利な製品は、
いつも「効率化を追求している」のである。
消費者からすれば、効率アップのためにお金を払うことには
惜しいとは思わない。それが戦後の経済を支えてきた。


そして、最近、インターネットの世界においても、
効率化の波はものすごいスピードで進んでいる。
例えば、ホームページとブログの比較。

以前、インターネットそのものが普及する前ならば、
自らが発したい情報を不特定多数に配信するためには、
紙媒体にして配るなど、物理的な時間と労力が必要とされた。
だが、ホームページの登場により、個人による情報発信は
もはや常識となった。

そして、ブログの登場。
ブログは、情報配信における「土台作り」の
プロセスを省略できる、究極の効率化だともいえる。
これまで、画面レイアウトやデザインなどを
各個人が考えなければならなかったホームページとはちがい、
ブログ管理者は、ただ「伝えたい文章」だけを
考えればいいようになった。

そうすることで、文章執筆に集中できる時間が増えるから、
インターネット全体のコンテンツボリュームも増えるし、
クオリティーも向上する。
料理で言えば、もう火をおこす必要は無くなった。
ただ料理のレシピだけに専念できるようになった。
皿洗いも必要無い。自動で洗ってくれるからだ。

このような便利な仕組みを利用することは、
「桶は桶屋」という考え方が前提となっている。
ブログの場合、プロのデザイナーが構築した
スタイルを利用し、枠だけ使わせてもらう。
画面デザインはプロに任せるほうがいいという考え方。

つまり、効率化とは
・業務プロセスを細分化すること
・細分化した一部を専門業者に任せること
によって成立するものである。分担作業。

家電において、自動○○と名のつくものは、
すべて「機械にできることは機械にやらせよう」
というアウトソーシング的発想が根源である。

ならば、効率化には「組織による作業分担」が欠かせない
という結論に達する。
そこで、会社組織のあり方、存在意義を再度考えてみると
どうなるか?

なぜ、高い人件費を払い、社員を雇うのか?
派遣社員を呼ぶのか?

そして、BtoBの取引においては、
なぜ自社部門を持たずに、外部の専門業者に委託するのか?
結論として「その方が効率が良い」ということを知っているからだ。
もし、自社内で完結したほうが早いと考えれば、きっとアウトソーシング
ビジネスや代行ビジネスは成立しないはず。

この考え方は、個人にもあてはまる。
原則として、会社員の場合、その与えられた専門分野の
仕事に特化して集中することができる。
例えば、技術職の人間は、総務にタッチしないから、
自分の給与計算や納税については、まったく気にしなくていい。

今後、サラリーマンが個人事業主として
多くの会社と短期契約を結ぶようなケース
(つまり、終身雇用ではなく「時価」で判断される評価)
が主流となった場合、たしかに、一時的な賃金は
高い報酬が得られるかもしれない。

だが、終身雇用ならば前提となっていた福利厚生や
総務、経理関連の関節業務についても、
すべて個人の責任となれば、それだけ個人の時間的
および能力的負担も増える。

その「今まで意識しなかったコスト」に見合うだけの上乗せの
報酬が支払われたとして、今度は、そのお金を使って、
アウトソーシング先を自分で見つけなければならない。
いわば個人事業者向けの「関節業務代行業者」が求められる時代。

いずれにせよ「桶は桶屋にまかせて、自分は本来の
得意分野に集中する」というモデルが個人レベルにまで
深く浸透すれば、もはや「9教科すべてで平均点を取る」
という教育システムは無意味になる。

サラリーマンにおいても、自分の売り、強みを
明確に打ち出せなければ、他のパートナーから
選ばれる存在にはなれない。
つまり、これからは個人レベルでのUSP(Unique Selling Point)
が求められる時代であることは間違い無い。

(次回につづく。)

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2005年04月01日

新人には効率性よりも確実性を重視させる

どんな仕事にせよ「効率を上げること」は大切な課題の1つ。
これは、業界・業種を問わず、永遠のテーマであり、共通の悩みでもある。
だからこそ、上司は部下に対して「もっと効率のいい仕事のやり方をしろ」
などと、檄を飛ばすのだ。

そして、新人ほど、仕事になれていないせいか、
効率の悪い仕事の進め方をしてしまう傾向がある。
そんな姿をみて「新人だから仕方ないか」と思う面もあるだろうが、
配属後、ある程度の期間がたってくると、その効率の悪さに
腹を立てる上司や先輩も増えてくる。

だが、ここで注意しなければならないことが1つ。
新人のうちは、どんなに優秀な人間でも、
仕事の全体象や、細かいルールを覚えるのに必死だ。
だから、そのような時期においては、効率の良さよりも
確実性を求めた方が、本人は成長できるもの。

つまり、効率化の前提にあるものは「確実性」なのである。
逆に言えば、確実性という土台ができていなければ、
どんなに効率を上げようとしても、それは業務上意味をなさない。

例えば、初めて上京した人にしてみれば、
東京の路線図、特に地下鉄については、まったく意味不明の
巨大迷路に見えることだろう。私もそのような経験があった。

乗り換えの概念が分からずに、わざわざ経過駅で降りて
改札を出て、また切符を買いなおすなどの無駄な行動を
繰り返したこともあった。効率という意味で言えば、まさに
最悪に効率が悪い方法である。

また、急行があるのに、鈍行に乗ったり、
近い路線があるのに、わざわざ遠回りしたり、
山手線を逆回りに乗ったり。

だが、このような行為は「確実性」を重視しているからに
他ならない。効率化を重視するなら、スピードは優先事項だが、
それよりも、初めての場合は、遅かろうが、早かろうが、
確実に「目的地に着くこと」のほうが、重要なのである。

時間を意識するがあまり、急行に飛び乗って、
本来下りるべき駅を通過してしまうという間違い。
乗ったことがない急行に乗る場合「停まるか停まらないか」
の判断ができなければ、やはり鈍行を選ぶ。そのほうが確実だと考えるからだ。

もちろん、駅員に聞くなどの行為も重要だが、
タイミングによっては、そのような余裕が無く
いきなり目の前に急行が表れることがある。
それを見逃すかどうかの判断。乗ってから間違いに気づいても遅い。

だが、一度鈍行に乗って「それがいかに無駄か?」を
実体験すると、次からは急行に乗るようになるし、
事前に「急行が目的駅に停まるか?」も調べるようになる。
それが効率化の始まり。

次のような言葉がある。

『効率を求めたければ、非効率から入れ。』

いきなり便利なものを使わない。
不便さを体験する。無駄を実感する。
それでこそ、便利なもの、早いもののありがたみを感じ、
そのメリットを最大限に享受・利用できるという考え方。

携帯もその1つ。かつては、外出先の相手に連絡を
取るのは大変だった。今では何の問題も無い。
不便さをしっていればこそ、便利さの本質を理解できる。

仕事においても、いきなり効率化を最優先して、
なんでもスピードを第一に考えてしまうと、
思わぬミスや事故を引き起こす原因になる。
特に、新人の場合、スピードよりも確実性を
重視したほうが、結果としてスピードも速くなるのだ。

効率化よりも、まずは確実性。
それがたとえ、第三者から見て非効率だったとしても、
その非効率こそが、将来的に効率化の芽を大きく育ててくれるのだから。

(次回につづく。)

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