人の上に立つということは、それだけ抱える責任も重くなる。
ただ脚光だけを浴びているのではない。
同時に嫉妬や攻撃も浴びているのが現実。
例えば、あなたが経営者だとして、
自分の会社が、なんらかの不祥事を起こしてしまった場合。
そして、その不祥事が、社会的に大きな責任を追及されるような
事態を引き起こしてしまった場合。
もちろん、経営者として取るべき責任は大きいだろう。
最悪の場合、辞任と言う選択肢もありえる。
しかし、経営者もまた「それは不可抗力だ」という
気持ちを抱えていたとしても、それは一人の人間として
不思議ではない。ごく当たり前の感情である。
ある現象に対して、多くの人が怒りの感情を抱いた時、
その怒りの感情は、組織の代表者である経営者個人に向かう。
物理的に「組織を責める」ということは難しい。
怒りの矛先を一点に集中させたいから、どうしても
矢面に立つ「憎まれ役」が必要なのである。
もちろん、その憎まれ役が、本当に「憎まれるべき行為」
をしていたのならば、それは憎まれて当然だろう。
だが、どんなに経営に尽力を注いでいたとしても、
経営者一人では制御しきれない問題もある。
「それでは経営者として甘い。失格だ」という声もあるだろう。
その意見も一理あるが、だからといって、
「世の中で起きている不幸な出来事が、
すべて、ある一人個人の責任である」
という理論も成立しないと、私は考える。
例えば、今、日本で起きている問題は、すべて
「小泉が悪い!」と言い切れるだろうか?
政治であれば有権者の関与。企業であれば消費者の関与。
そのような「大きな力による流れ」がもたらした現象の1つならば、
それは、私たち個人が「自分の問題」として考えなければならない
ことを意味する。
よく、交通事故においては
「加害者もまた被害者」という言葉が使われる。
この言葉の是非には賛否両論あるだろうが、
少なくとも「好きで事故を起こす人」なんて在り得ない。
誰もが「事故をゼロにしたい」という気持ちは同じなのだから。
一方で、私たちは個人的な感情に流されて、
その場しのぎでは、実に身勝手な行動をしている場合がある。
例えば、自分が急いでいる時、タクシーの運転手に
「もっと飛ばせ!」などと言う。
遅れている配送業者に対して「今すぐ持ってこい!」などと怒鳴る。
そのとき「急ぐことによって発生する事故の可能性」なんてことは
頭に無いだろう。
消費者の感情。有権者の意見。
それらが積み重なって、企業経営や政治を動かしているとするならば、
その「動きの方向性」を決めているのは、私たち自身。
だからこそ「トップの人間」だけを責めるのではなく、
私たち一人ひとりが、自分の問題として考え直すことが
大切なのである。そうしなければ、どんな問題でも根本的に
解決させることは難しい。そのような意味では、
全員が「トップ」としての自覚を持つべきなのである。
サラリーマンの場合、企業内では、たとえいち社員であっても、
「トップが悪い。俺には関係ない」と考えるのではなく、
「自分がトップだったら」と置き換えて考えてみる。
そのとき、自分にはどんな対応、責任が求められるのか?
それを意識することで、企業内の方向性は、限りなく良い方向に近づく。
また、他業界の失敗を教訓として、自分の業界に当てはめてみる視点も大切だ。
失敗から教訓を得ることによって再発を防止する。
それが「経営者も社員も消費者もみな幸せになる」ための方法なのだから。
(次回につづく。)
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