2005年02月28日

起業で支配欲を満たそうとしてはいけない

人間なら誰でも「所有欲」を持っている。
あれも欲しい、これも欲しい。
目に見えるすべての物理的なものを「欲しい」
と思う。自分で独占したいと思う。

サラリーマンの場合、仕事において、
組織を統率したいという思いは
「組織を所有したい」という思いに繋がる。
つまり、部下や人員、設備など、すべてのリソースを
独占し、自分の思い通りに動かしたいと願うのだ。
しかし、雇われている以上、その願いは残念ながら叶わない。

では、独立して会社を興し、経営者になった場合、
その「所有欲」は完全に満たされるだろうか?
そんなことは無い。

組織が大きくなればなるほど、そこには中間管理職つまり
マネージャーの存在が必要になる。となると、
そのマネージャーの層で、自分の意志が屈折して
最下部に伝わる。そうなると、自分で思い通りに
組織を動かしているつもりでも、実際にはそうならない。

また、株式会社の場合、やはり株主の存在を無視した経営はできない。
つまり「自分の思い通りにはできない」のである。
経営者でありながら、それは株主から見れば
「経営という業務を担当している一社員」に過ぎない。

では、株主になれば、組織を思い通りに動かせるのだろうか?
確かに、会社の経営方針を決めることはできるだろう。
しかし、その会社の業務の「専門性」を理解していない場合、
やはり、実務レベルでの支持はできない。「お金は出しても、
細かいことまで口を出すだけの知識は無い」という状態。

大きな組織では、社員、マネージャー、経営者、株主など、
多くの人間の意識が交じり合い、お互いの思惑が絡み合う。
そのような複雑な状況では、もはや一人の人間がすべてを
支配することなど不可能。政治の世界でさえ、総理大臣一人が
何でも思い通りにできるわけではない。最終的には「調整役」に
ならざるを得ない場合もある。

その会社の事業が、公共性の高い事業(通信、電気、交通など)
を行なっている場合、経営者の意識は、ますます組織を動かし難い
ものにする。公共の目、世間の目、法的な規制が重くのしかかるからだ。

公共性の高い事業は、社会に対する影響力も大きい。
だから、その組織を動かす経営者の影響力も自然と大きいものに
なりがちだ。しかし、それが影響して暴走してしまうこともあるだろう。
だから、暴走を防ぐために、あらゆる「足かせ」を準備しようとする
周りの人間がいる。そのおかげで、健全な経営を保っていられる。

影響力の大きい企業ほど、経営者個人の裁量には影響されない作りになっている。
それが世の中のバランスを保っている。だとすれば、本当に、100%、完璧に
自分の思い通りに支配したい組織を作るためには、どうすればいいのか?

それは「規模の小さい=社会的影響力の少ないビジネス」を立ち上げるしかない。
そうなると、もはや個人事業主のレベルかもしれない。
法人化しても、有限会社のレベルだろう。
でも、その組織の中では、自分の思い通りに支配力を誇示することができる。
たとえ、世の中に対する支配力や影響力が無かったとしても。

どんなに優秀な経営者であろうとも、政治家であろうとも、
その個人が、社会的に大きな影響力を持つことは許されない。
そのような仕組みが成り立たないように、日本の法律は作られている。
だとすれば、たとえ会社を辞めて独立しても「世の中を支配するほどの
大きなビジネス」なんて、立ち上げられないのだ。
大企業の経営者になったからといって、その大企業をすべて
自分の思い通りに動かせるわけではないのだから。所有欲は満たされない。

となると、自己の支配欲や所有欲を満たすための独立は無意味になる。
それよりも「社会にどんなメリットを提供できるのか?」を考える方が現実的である。

世の中に提供したいメリットが明確ならば、
それを自分以外の誰かが提供しても、目的は達成される。
つまり、自分のビジョンに賛同してくれる社員、協力企業、株主の
意向を尊重した経営ができる。
そこには「支配欲」は必要ない。ただビジョンを実現させたい想いがあるだけだ。

所有欲や支配欲を満たすための起業は、結果として成功しない。
一方、ビジョンに賛同することなら、サラリーマンでもできる。
勤務先の会社の方向性やビジョンを理解した上で、担当業務に
専念すればよいのだから。

「何を欲するか?」ではなく「何を与えたいか?」が経営の本質。
その精神は、サラリーマンであろうが、経営者であろうが、持つべき精神。
自分が提供できる価値を、世の中に提供する。それが結果として富を生み出し、
自分にも還元されるのだから。

(次回につづく。)

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2005年02月25日

サラリーマンの視点と、経営者の視点

サラリーマンと経営者の、大きな違い。
それは、年収や精神力だけではない。
考え方、視点が違う。つまり、世の中の見え方が違う。

本当の意味で「経営者」になるというのは、どういうことか?
それは「経営者としての視点」を身に付けることである。
経営とは何か? という考え方を、しっかりと確立しておかなければ
ならない。ただ法人を設立して「肩書きだけの経営者」を名乗っても
意味はない。

金融業界の大御所、木村剛氏は、次のように語る。

「お金を貰いながら仕事をする人(サラリーマン)と、
お金を払いながら仕事をする人(経営者)との間には
越えられない一線がある。」


誰だって、ビジネスに「自分の身銭」がかかっているとすれば、
必死になって、それを取り戻そうとするだろう。
投資に見合うだけのリターンを期待する。

ところが、サラリーマンと経営者では、
お金に関して言えば、必ずしも利害が一致しない場合があるのだ。
例えば、残業代。

「生活残業」という言葉があるが、
サラリーマンは「残業をすれば残業代が儲かる」
という常識があるから、それによって、ある意味「小遣い稼ぎ」
が可能だ。そして、残業手当は、時給換算すると、
通常の時給よりも高くなる。だからおいしい。

しかし、経営者の立場で考えると、どうか?
社員の残業が増えれば、当然、人件費が余計にかかるわけだから、
経営を圧迫する。ただでさえ、社員の給料が払えるかどうか
毎月不安を感じている経営者にとって、残業代は頭の痛い問題だろう。

もちろん、残業行為が会社に利益を与えていれば問題は無い。
だが、事実上は「定時間内の効率の悪さを補っているだけ」かもしれない。
そうなると、やはり経営者にしてみれば、定時間内に効率良く
仕事を終わらせて欲しいと思うはず。
その時点で、サラリーマンと経営者の利害は一致しない。
それが「お金を貰う側」と「払う側」の違い。


では、サラリーマンが経営者の視点で、
自分の勤務先を眺めてみると、どうなるか?
「今、自分が行なっている業務は、本当に会社に利益を
もたらしているか?」
「もしかしたら、単なる自己満足に終わっているかもしれない」
そのような自問自答を、日々の業務の中で自分で感じることができれば、
それは「経営者的視点が身に付き始めた証拠」でもある。

また「経営者の視点」とは、必ずしも、金銭的な意味だけを
示すものではない。「人生とは何か?」という哲学的な
意味も含んでいる。つまり「生きがい」である。

サラリーマンは、原則として、経営者から支持された方向に
進むための仕事をこなす。つまり「進み方、進む方法」は
実践できるが、進む方向は決められない。

一方、経営者の場合、進む方向は、完全に自由に、
自分で決めることができる。360度、どちらに進んでもいい。
自分が何をやりたいか? を100%、自分の責任で決めることができる。

その場合、方向を決めるための指標、よりどころは、
自分自身の中に求めるしかない。他人に求めることはできない。
ビジネスの方向性を他人に求めるのならば、それは経営者ではなく
サラリーマンという雇用形態で生きていくべきだろう。

つまり、自分が一人のビジネスマンとして、
どのような人生を歩みたいのか?
というのを、毎日、真剣に考えつづける。
それが「経営者の視点」なのである。

サラリーマンには、実際に「人生の方向性を決める」
という課題は、難しく感じるだろう。
もし、それを明確に決めるだけのナレッジと精神力、
先見性を持っているならば、その人はすでに独立しているはずだ。

だが、会社を辞めなくても「与えられた方向性を前提とした、
自分だけの新たな方向性」を見つけることは可能。

就職している以上、担当する仕事は「会社の経営方針」
に従う方向に進めなければならない。
しかし、その方向にありながら、自分自身で、
さらに細かい方向性を見出していくことはできる。
担当業務に自分の存在価値を感じられるかどうか?
それを真剣に考えることが「経営者の視点」を
身に付ける訓練になるのだ。

優秀な経営者になりたければ、優秀な「経営者の視点」を
身に付けなければならない。
そのために、まずは今与えられている方向性の中で、独自の
方向性を見出してみる。その姿勢でサラリーマンの仕事に
取り組めば、会社が今までとは違った見え方になってくるはずだ。

(次回につづく。)

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2005年02月23日

器よりも、器に入れる料理を先に作る

日本人は、良くも悪くも、形から入ろうとする習慣がある。
例えば、ゴルフを始める場合、最初からフルセットを購入したりする。

たしかに、形から入ることは大切だ。
気分も盛り上がるし「やらなきゃ」という決意表明にもなる。
しかし、起業・独立に関しては、その法則が当てはまるとは限らない。

何かやりたいことがあるとして、まずは現状のまま、
出来る範囲内でこなしていく。それが可能であるかを
検証もせず、いきなり「形から入ろうとする」から失敗する。
高いオフィスを借り、名刺を作り、会社を作る。

法人化は手段であり、目的ではない。
自分がやりたいことが、どうしても「法人格」でなければ
できないのならば、法人化はやむなし。

しかし、まだ利益が上がるかどうかも分からないうちから、
法人化だけを先行させても、余計な手続き費用と法人税が
かかるだけで、金銭的なメリットは無い。

会社を辞めることに関しても、同じことが言える。
退職しなくても、サラリーマンのまま、法人を設立することは可能だ。
辞めることを先行させなくても、他にやるべきことはたくさんある。
例えば、営業などの実業務。

形式的、手続き的なことばかりに目を奪われると、
実際にやるべきこと、本来、優先度の高い仕事を見失いがちになる。
自分の名前が入った「代表取締役」という名刺だけを眺めて
悦に浸っているうちはまだいい。そのうち、何もしなければ
売り上げが無いことに気づいて焦る。名刺で仕事が取れるほど
世の中は甘くない。

ただし、会社を辞め、法人化することのメリットが1つあるとすれば、
それは「自分を背水の陣に置く」という意味で、追い詰めると言うこと。
人間は意志が弱い生き物である。追い詰められないと本気を出せない。

サラリーマンなら、上司や会社から与えられた命令を
守らなければならないという緊張感がある。だから遅刻も出来ない。
納期の遅延も許されない。

しかし、すべてを自分で決められる社長になったら、
やりたくないことは、やらなくてもいい。
ただ、何もしないと、お金が手に入らないだけ。
本当に追い詰められるべき時は、今月の家賃が払えなくなったときだろう。
上司を恐れるか、家賃の支払日を恐れるか。
いずれにせよ、恐怖心が人を支配する。

会社や上司からの束縛を逃れたとしても、
今度は「固定費の支払い」や「顧客からの要望」という
新しい束縛に縛られることになる。

つまり、ビジネスをする以上、何らかの束縛からは
逃れられない。完全なる自由なんて存在しないのだ。

しかし、社長の名刺を持ち、スーツを着込み、
自由気ままに通勤する姿を見ると、あたかも
「何の束縛も無いように見える」のだ。
その姿にあこがれて形から入ろうとする起業家。
代表取締役という肩書き欲しさに、法人を設立する起業家。
そんな形だけの環境に、どんな意味があるというのだろうか。

法人の設立は「器作り」である。
ビジネスを入れておく器。その器の大きさは、
そのビジネスを運営する人間の器に比例する。
つまり、器の小さい人間が、どんなに大きな法人を
設立したとしても、運用できない。扱えないのだ。

そして、もっと大切なことがある。
それは「器に入れる料理を先に作る」ということ。
器は、しょせん器。
その中に、どんな料理を入れ、誰に食べさせたいのか?
それがビジネスモデルの確立であり、ビジョンの選定。

形から入るのが日本人の性質だとしても、
起業・独立に関しては、もっと真剣勝負で挑むべきである。
どんなに高級な器に入れた料理でも、その料理が不味ければ、
誰も食べてはくれない。それがビジネスという料理の難しさだ。

(次回につづく。)

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2005年02月21日

起業ブームに流されて会社を辞めることの副作用

他人に流される人生ほど、悲しいものは無い。
よく「自分らしく生きる方法」なんて記事が特集されていたりするが、
本来、自分らしさの定義は、第三者から教えてもらうべきものではない。
ましてや、雑誌や書籍に書かれた「自分らしさ」は、
その時点ですでに「自分らしいもの」ではなくなっている。
ただ「自分らしさ」という名のファッションを求めている若者の
一時的な欲求を満たすための目くらましに過ぎない。

会社を辞めるか、会社に残るか、という選択肢もまた、
選ぶべき人間が主体的に選んでこそ、はじめて意味のある選択肢となる。
時代の流れに翻弄されたり、第三者の意見に流されるようでは、
それははたして、本当に「自分自身の選択」と言えるのか?

「起業こそすべて」「独立こそすべて」と考えている人間は、
それを正当化するための情報だけを集めようとする。

年功序列の崩壊・・・だから起業すべき。
年金は当てにならない・・・だから起業すべき。
少子高齢化、労働人口の現象・・・だから起業すべき。

しかし、時代の流れがどうであれ、
その前に、自分が起業したいかどうか?
それが一番大切な問題であるはず。

つまり、根本的な問題は自分自身の中にあるのであって、
その信念は、決して外部要因からは影響を受けないものであるはずなのだ。
それが、起業へと駆り立てる「確固たる信念」ではなかろうか。


よく、不動産会場に行くと、マンションのセールスマンが
質問を受ける。

「家は、買ったほうがいいですか?」
「今、買い時ですか?」

結論から言えば、家に「買い時」は存在しないのだという。
欲しいとき、欲しいと思ったときが「買い時」なのだ。

何のために家を買うのか?
投資目的は別としても、本来、家の購入は
「自分の人生を、豊かなものにするため」であるはず。
賃貸では実現できない夢をかなえるために。

『今、買っておいたほうが、将来値上がりするから』
とか、時流に合わせて、欲しくも無い家を買うことが、
本当に意味のある行為なのか?

起業についても、同じことが言える。
本当に自分が何をやりたいのか?が明確になっていない状態で、
ただ、今、起業ブームだからという理由で、
時流に流されて起業することに、どんな意味があるというのだろう?

たしかに、インターネットを使えば、簡単に起業できるという
たぐいのノウハウは流出しているし、実際に成功している事例も
出てきているのは事実。

しかし「簡単なもの」はそれだけ「真似されやすい」ということ。
つまり、誰にでも出来るものは、すぐにライバルが出現するから、
長続きしない。それがビジネスの世界。

「起業しやすいから起業する」というのは、
本来、自分がやりたいことを実現させるという目的とは違う。
本当に実現させたい夢があるのなら、その方法が簡単であろうと
難しかろうと、それを実行するしかない。
時代の流れに左右されない、熱い想い。それさえあれば、
手段なんてどうでもいいのだ。

起業の時代に流されて、勢いで起業してしまった人は、
そのブームが過ぎ去った後、思い知ることになる。
本当は自分は何をやりたかったのか?その詰めが甘かったという事実に。

起業は手段であり、目的ではない。
起業することがゴールではない。
本当のゴールは、自己実現の先にあるもの。
自分にとっての自己実現が「起業」だという誤解だけは
しないように注意しなければならない。

(次回につづく。)

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2005年02月18日

会社の規模と幸せの大きさは比例するか?

ひと昔前の成功法則だと

・いい大学に入る
・大きな会社に入る
・人生安定

というお決まりのコースがあった。
だが、今は違う。
無理して大手企業に入社する必要は無い。

大切なのは、そこから何を学びたいか?だ。
誰から学びたいか?にもよる。

中小企業の場合、経営者と社員の距離が近い。
経営者が創業者の場合、社員自ら、社長から
いろんなアドバイスを受けることが可能だろうし、
経営の手法を肌で感じることができる。
将来、独立を希望している社員には嬉しい環境だろう。

一方、大手企業の場合はどうか。
社員数が数百人、数千人の規模になると、
普段の業務において、一般社員と社長が
顔をあわせることなど、ほとんどない。
経営者と社員の距離が限りなく遠いのだ。

しかも、その経営者が、創業者ではないケースが多い。
親会社から振ってきたとか、外部から入ってきた人。
だから、サラリーマン精神は持ち合わせていても、
創業マインドや起業家精神は、残念ながら期待できない。

社長だけでなく、その他重役、上司もみな、
サラリーマン精神の持ち主である。
だから、彼らに起業についてたずねたところで、
「やめておけ」という答えしか返ってこない。
話が通じないのだ。


だが、サラリーマンとして大企業で生き残る術を
身に着けたいなら、そのようなサラリーマン精神旺盛な
上司から学ぶべきことはたくさんある。
最終的には、自分自身が、どんな生き方を選ぶか次第。
大きいから幸せとか、小さいから不幸とか、そういう次元ではない。


しかし、大手企業で有利な点は、環境がそろっていると言うこと。
仕事に必要な設備、装置、道具、教育制度などがそうだ。
情報やスキルをもっている指導者、人材が揃っているという意味でも
大手は有利だと言える。

その点においては、中小企業は不利かもしれない。
だが、その不利な条件でこそ、得られる優位性もある。

中小企業の場合は、大手企業ほど設備投資ができないし、
教育に金をかけることも難しい。だから実践を通して教育するしかない。
そして、設備が無い分、アイデアで乗り切ろうとする。
だから、斬新な経費節減アイデアが生まれたりする。
恵まれない環境で育ってこそ、本当の実力が身に付くこともある。


どんなに最新の設備に囲まれて、優秀な教育プログラムを受けたとしても、
それを使ったり、受けたりする社員本人の「スキルアップに対する貪欲さ」
がなければ、その社員は成長しない。吸収力の悪いスポンジの回りに
どんなにたくさんの水を与えても、ちっとも吸い取らないのである。

一方、知識や情報に対して貪欲で、あらゆるノウハウを吸収しようと
必死になっている社員なら、ほんの少しの教育やアドバイスを与えてあげる
だけで、飛躍的に能力を伸ばす可能性がある。からからに乾いたスポンジ
に、一滴の水をしみこませるようなもの。


では、情報に対する貪欲性は、どこから生まれるのだろう?
それは「現状に満足しない気持ち」と「自己実現欲求」である。

不満があるからこそ、成長への欲望が刺激される。
もっと良くなりたいと願う気持ちが大切。
そして、社内では満たされない「自己実現欲求」を満たしたいという思い。
「自分はもっとできる。昨日の自分を越えられる」という確信。

本当に大切なことは、会社の規模ではない。
そこから何かを学び取ろうとする、社員本人の姿勢。
その姿勢さえはっきりしていれば、どこに勤めるかなんて、
もはやたいした問題ではない。

(次回につづく。)

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2005年02月16日

自分の目的を達成するために最適な規模の会社を探す

創業社長の場合、多くは、自分のビジネスに対して
人生を賭けるほどの、強い情熱と思い入れを抱いている。

だからこそ、ゼロから立ち上げるエネルギーを放出できるのだし、
そこに集ってくれた社員たち、自分の意思に賛同してくれた
お客様に対して、感謝の気持ちが生まれる。

しかし、ある程度、会社の規模が大きくなると、
創業社長は、仕事の現場から離れ、第一線を退く。
すると、次に会社を仕切ろうとするのは、
「会社が大きくなってから入った、優秀なマネージャー」
になってしまう可能性が高い。

創業期に求められるスキルと、
成長後に求められるスキルは異なる。
小さな組織を育てる能力と、大きな組織を安定飛行させる能力は
別モノなのだ。セスナの操縦は得意でも、ジャンボジェットが
操縦できるとは限らない。

となると、ジャンボジェットが操縦できる
優秀なパイロットを、社外から連れてくるという発想が生まれる。
しかし、どんなに優秀なパイロットを連れてきたとしても、
創業社長の「想い、熱意」まで伝えることは、容易ではない。


既に、ジャンボジェットほどにまで大きくなってしまった企業の場合、
仕事も「ブランド力に頼る」ことができる。
つまり、悪く言えば『そんなに優れた商品でなくとも、
社名のブランド力があれば売れる』という状況。
そこには、思い入れや情熱は皆無。
ただ純粋に、会社と株主と社員の利益を追求するのだ。

もちろん、会社として利益を追求することは大切である。
しかし、そればかりだと、社員が「飽きてくる」のだ。
『もっと新しいことにチャレンジしたい』とか
『もっとここを改善すれば、すばらしい製品になる』とか。

しかし、すでに安定飛行しているのだから、
そんな無駄なことをする必要は無い。
「改善しなくても売れているのだから、今のままでいい」
という保守的な考え方が蔓延し、やがて、誰も何も期待しなくなる。

それが、若手社員の「会社への不満」という形で現れ、
やがて、ベンチャーへの転職や、起業へと走らせることになる。


もし、創業社長のような情熱、熱意を持った経営者が、
大企業にもずっと残っていたら、どうだろうか?

かつて、自分が抱いていた熱意、わくわく感、自己実現欲求。
それと同じものを、今、自社の若手社員が抱いている。
その気持ちを、なんとか活かしてやりたい、そう考えるのではないだろうか?
セスナの操縦は、わくわく、たのしいものである。

しかし、ジャンボジェットの操縦は、楽しむものではない。
いかに安全に、乗客の命を送り届けるか。それが全てである。
だから、リスクを避けるのが最優先。

このような構造上の問題があるとすれば、
もはや、ジャンボジェットで「セスナの爽快感」を味わおうと
思うのが、無理な話。

最終的に、社員は選ぶしかない。
セスナで飛ぶか。ジャンボで飛ぶか。

大切なことは、どこに行きたいか? である。
自分の目的。人生の目的。
それを見失いさえしなければ、あなたに最適な
飛行機は、必ず見つかるに違いない。

(次回につづく。)

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2005年02月11日

能動的な部下を育てる上司こそ、理想。

『俺の若い頃は・・・』と語りだしたい上司。
その気持ちは分からないでもない。
上司は、つねに部下から「尊敬されたい」と願うもの。

「それはすごいですね」
「さすがですね」

とでも言ってもらいたいのだろう、きっと。
だが、本当に「尊敬」してもらいたいのならば、
もっと別の観点からアピールするべきではなかろうか。

「昔は良かった」と言った後、必ず自問自答するのが
「じゃあ、今はどうなんだ」という問い。
「今」も、将来「昔」になるのだから、
「昔は良かった」と言い続けるためには、今を良くしなければならない。

過去を語るのは、悪いことではない。
ただそれが、単なる自慢話にならなければ。

過去から学ぶべきことを、現在にどう生かすか?
その気づきや発見を与えるような内容を話してこそ、
本当に尊敬される、理想の上司像が出来上がるのだ。

例えば、部下が何か失敗をしたとき。
上司は自分の過去を持ち出すことがある。

A.俺の若い頃は、○○で乗り切った。
だから、お前みたいな失敗はしなかったぞ。
まったく、なっとらんな。
(だからお前は無能。俺のほうが偉い)

B.俺の若い頃も、同じ失敗があった。
だが○○で乗り切った。
今は、○○はできなくても、それに近い△△
というやり方なら、その失敗は防げただろう。
今後は、注意してほしい。


Bのように、自分の過去の経験を、さらにステップアップさせて
部下自ら考えさせる方向に向かわせる。
それが理想の上司像であり、そのほうが結果として
上司も楽になる。部下が自ら考え、行動するようになるからだ。

「世話好きの上司」は、いつまでも「頼りにされたい」
という思いが強い。その心理が根底にあるから
『俺はすごい、俺は偉い』と言い続けなければ気がすまない。

だが、それでは会社としての組織的業務は機能しない。
組織化は分業化。あくまでも理想は「部下が上司に依存しないスタイル」
であることに変わりは無い。

アドバイスは求めても、最終的に考えるのは自分自身。
行動するのも自分。そのような部下を、どうやって育てていくのか?
それを常に考えている上司こそが、本当の意味で部下から尊敬される
「理想の上司」なのである。

(次回につづく。)

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2005年02月09日

若い頃の情熱を失わないために必要な視点

なぜ、競争は永遠に続くのか?
その理由は「成功者は常に上を見続ける」からである。

自分より一段上にいる人間を目指し、
良い意味での「ライバルとしての闘争心」を燃やすことが出来れば、
人間として、ビジネスマンとして、常に成長し続けることは間違いない。

それは、サラリーマンというビジネスにおいても、例外ではない。
単に出世を目指すと言う意味ではなく、社内で「本当に尊敬できるスキル」
を持っている人間を目指す。

仮に、自分にとって「上司」が尊敬できない人間ならば、
その上司を目指す必要は無い。部下や同僚、協力会社、
関連会社、取引先など、あらゆる場所において、
尊敬できる人間は、たくさん存在しているはずだ。老若男女を問わず。

もちろん、年功は尊敬に値する条件ではある。
だが、ある特定の専門分野に限って言うならば、
大切なことは「その分野にどれだけ集中してきたか」であり、
単なる「勤続年数」だけで、その能力レベルを判断できるはずはない。

教えることによって、教わることもある。
年上の人間は、常に年下の人間からも学び続けているのだ。
忘れかけていた初心を思い出させてくれることもある。
傲慢になっているときこそ、初心に帰ることが大切。
それが、自己を成長させるための原点を明確にしてくれるからだ。

問題は、年が上か、ではない。
役職が上か、勤続年数が上か、でもない。
人間として、ビジネスマンとして尊敬できるか?
それが全てである。

イチロー選手よりも年上の選手はたくさんいる。
宮里藍選手よりも年上のゴルファーはたくさんいる。

自分自身の人生を振り返ってみても
「あの頃(若い頃)のほうが、必死だった」
という思い。誰もが抱いているはずだ。

それは「若いからこそ」できる「突っ走り」なのかもしれない。
勢いがあったからこそ、できたのかもしれない。
でも、それをやっていたのは、他の誰でもなく「自分自身」であったことを
忘れてはならない。

若さゆえの無謀さと謙虚さ。
傲慢で臆病な姿勢では、何も得ることはできない。
むしろ、何も恐れず突っ走り、貪欲に情報を吸収しようとする姿勢。
それが「成長」を生み出すスパイスになる。

会社組織においては、上に行くほど「ぬるい温度」に浸ることができる。
だが、下層部の冷たい水の中で、必死にもがいていた頃の自分を
思い出せば、そのころが懐かしくもあり、また「本気の気持ち」を
取り戻すこともできる。


上司や周りの社員に、必死に追いつこうとする若手社員や後輩を見て
「昔の自分のようだ」と思えれば、当時の必死さが、リアルに感じられるはず。
そのときの情熱を忘れなければ、人間はいくつになっても、成長し続けることができる。

(次回につづく。)

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2005年02月07日

社外で待ち受ける過酷な競争

社内でのライバル同士の争いというのは、
成果主義に始まったことではない。
いつの時代も、常に競争は存在する。

例えば、学生時代。
同じクラスの仲間でも、いざ、テストの順位争いとなれば、
そこには競争が発生するわけであり、必ず勝ち負けを
決めなければならない。全員が1位になることはできない。

競争において不平不満が生まれるかどうか?
は、その競争がフェアであるかどうかで決まる。
テストの点数は、昨年の問題用紙を先輩から
効率よく入手できるかによって、大きく異なる。
それをフェアと呼べるかどうかは疑問だが。

社内の競争においても、上司との関係や、
与えられた仕事の難易度など、必ずしも
本人の実力と評価がマッチしていない場合がある。
つまり、完全にフェアなフィールドを作り出すことは難しい。

どんなフィールドでも、その場に与えられたルールを
生かし、自分に最適なように解釈し、利用する。
そのスキルが無ければ、社外に出ても成成功することはできない。

特に、独立して勝負しようと思えば、そのフィールド上には、
既に「早い者勝ちの陣取り」をした連中が、たくさん存在する。
後から入ってくる業者をいかに排除するか? 敷居を高くするか?
それが、自分たちが生き残るための手段だからだ。

それをアンフェアと呼ぶならば、新しい風を起こすことは不可能。
すでに出来上がったシステムを壊すことは、社内でも、社外でも
相当な労力を必要とする大仕事なのだ。

その競争に付随する、合法的な破壊行為を、いかに躊躇無く実現できるか。
今まで「成功者」と呼ばれてきた人たちはみな、業界の常識を
打ち破ってきた人たちだ。

そこには、多くの抵抗勢力や、妨害があったはずだ。
だが、それを乗り越える精神力が無ければ、成功を掴むことはできない。

社内での競争を恐れ、社外に飛び出したとしても、
そこには、もっと過酷な競争が待っている。
つまり、私たちは生きている限り、永遠に競争から逃れることはできない。
たとえ、ライバルのいない市場を開拓したとしても、
そこにはすぐに別のライバルが参入してくるだろう。

新しい市場を開拓し、常にライバルの追従を許さない戦略もまた競争。
だが、そこには「トップを走るマラソンランナー」のようなプレッシャーが
存在し続ける。

だとすれば、ライバルの存在を否定的に考えることは無い。
むしろ、自己のスキルを高めるための存在だと考えればよい。
ライバルがいるからこそ「負けたくない」という意識が高まり、
前に進み続けるエネルギーを生み出してくれるのだから。

(次回につづく。)

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2005年02月04日

認めたい気持ちと、認めたくない気持ち

自分より優秀な人間を見たとき、
誰もが「憧れの気持ち」と「劣等感」を
同時に抱く。

例えば、友人の結婚式で、心から祝福できないケース。
自分には恋人がいない場合、友人への嫉妬心は、さらに増大する。

その気持ち自体は、否定することはできない。
嫉妬心や劣等感によって、人間は成長することもできるからだ。
集団社会において、競争意識を完全に消し去ることは不可能。


この心理は、男女間、友人間だけでなく、
上司と部下の間にも存在する。

優秀な部下を持ちたいと言う反面、
自分の能力は超えられたくないと思う上司。
どこかで「負けたくない」という競争心が芽生える。

もちろん、同じ会社の人間として考えれば、
会社に利益をもたらしてくれる「優秀な人材」は、
自分にとってもプラスになる、嬉しい存在であるはず。

しかし、会社の利害が、社員個人の利害と
必ずしも一致するわけではない。
個人としてのプライドは、時として、会社の利益よりも
優先されるべきケースがある。

だとすると「個人的プライドを傷付けられたくない上司」
に対して、部下はどのような対応をしていけばいいのか?

最も安全な方法としては、どんなに成果が上がったとしても
それは「上司、あなたのおかげです」という姿勢を崩さないこと。
しかし、それには「手柄を横取りされたかのような不満」に
耐える精神力が必要になる。

だが、それに耐えたことによって、あなたは
「本当の実力」を手に入れることができる。
上司にしてみれば「自分の手柄はすべて部下がやったこと」
だと知っていても、それを公にすることはできない。

つまり、事実上の主導権は部下にあるのだ。
その状態をキープできれば、上司を思い通りに操ることなどた易い。

注意すべき点としては、上司を逆ギレさせないこと。
あまり噛み付きすぎると、何をしでかすか分からない。
だからこそ、慎重な対応がのぞまれる。

いずれにせよ、会社組織において、自分の実力を
見せ付けすぎることは、周囲からの嫉妬を買うというリスクを
背負う事になる。それを自覚し『どうするのが一番、自分にとって有利か?』
を考えていれば、安全かつ理想的な人間関係を構築することは、
それほど難しくは無い。あえて実力を低くみせると言う行為も、
組織の中で生き抜くためには、必要なスキルであると言えよう。

(次回につづく。)

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2005年02月02日

なぜ部下は、思い通りに動いてくれないのか?

上司と部下の関係。その人間関係の悪化こそが、
「会社における悩み」の、すべての根源と言っていい。

だが、人と人との関係というのは、どこまで行っても
「完成形」にはならない。
なぜなら、人間の視点や価値観は、常に変化しつづけるからだ。
それは、親子関係でも、夫婦関係でも同じ。

ましてや、上司と部下なんて、赤の他人なのだから、
100%良好な人間関係など、築けるはずがない。
となると、大切なことは「お互いの共通点」を見つけ出す視点。


例えば、夫婦仲が悪くても、子供のイベントには、夫婦で参加する。
それは「子供を喜ばせたい」という共通の目的を達成するためだ。
つまり「一緒にいたくない」という感情よりも
「子供を喜ばせたい」という目的のほうが優先されるわけである。

部分的に、利害が一致している状態。
1つでも「同じ目的」が存在している状態ならば、
そこは、とりあえず協力するしかない。
そのほうがお互いの利益になるからだ。

政治において、政党間の争いは、必ずしも
「相手のすべてを否定」しているわけではない。
一部は賛成。だが、その他は反対、など、
各陣営の思惑、利害関係が、複雑に絡み合っている。

会社組織でも同じことが言える。
本来「会社の利益」という意味では、全社員の利害は
一致しているはずだ。会社の利益を追求するのが、会社の目的。

だが、社員には「個人の利害」も重視する権利がある。
会社の利益が、必ずしも自分個人の利益に反映去れない場合、
それはつまり「会社の利益と自分の利益が一致しない」という状態を
引き起こす。

会社が儲かっても、その利益が自分に回ってこないことを知ったとき、
社員は、会社の利益を追求することよりも、自分が楽をすることを
追求するだろう。「金銭面」での利益よりも「楽をする」という
利益を追求しようとするからだ。

このように、社内においても、その役職、評価、ポジションの違いによって、
必ずしも利益が一致しない状態にある社員同士。
そのような社員同士の間には、共通の利害が発生しにくいのも事実。
利害が一致しないから、意見が食い違い、行動が抑制できなくなる。

例えば「部下が思い通りに動かない」と悩んでいる上司。
それは「部下にとって、何が利益なのか?」を理解していないから。
給料アップなのか、褒めることなのか、責任を与えることなのか、
休みを与えることなのか、信頼することなのか。

人それぞれ、働く目的は違う。
各人が何を「利益」だと考えるのか。
その本質、本心を見抜けない管理者には、
部下を思い通りに扱うことなど不可能なのである。

(次回につづく。)

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