2005年01月31日

会社がイヤになる本当の原因は、仕事の内容とは限らない

会社の中で、何らかの矛盾、理不尽さを感じた場合、
誰もが感情的になりがちである。
しかし、その怒りの根本的な原因は何なのか?
をかんがえなければ、根本的な問題解決にはならない。
自分と真剣に向き合うことが大切なのである。

例えば、あなたが担当している業務に、
遅れが発生し、あなたはプライベートのスケジュールを
犠牲にして、休日出勤を強いられたとする。

その怒りの原因は何なのか?を、冷静に分析してみるのだ。
たとえば、
「プライベートが犠牲になったこと」
に対して、もっとも怒りを感じているのならば、
それは、仕事そのものに対する怒りではない。

つまり、その仕事自体は好きで、作業にやりがいも感じている。
しかし、たまたまプライベートが犠牲にされたおかげで、
その怒りが「仕事の内容が悪い」という怒りに転化されていないか?
ということを、自分自身で把握しなければならない。

仮に、その怒りが爆発して、会社を辞めてしまったとしよう。
すると、プライベートの時間は充実するから、その面での
不満は解消される。

しかし、もともと「それほどキライでなかった仕事」を
失ってしまったという、別の不満が湧き上がってくるのだ。
冷静に考えると、仕事の内容はそれなりに楽しかったということに気づく。


となると、怒りの原因は、あくまでも「プライベートの犠牲」であり、
仕事の内容や業界、業種が嫌いなわけではない。
だとすれば、もっと根本的な原因は何なのか?

それは、仕事のスケジュール調整をきちんとできなかったという
プロジェクトマネージメントに問題があると考えるべきだろう。
だとするならば、そのプロジェクトマネージメントの責任者に
対する怒りだともいえる。

一見、その仕事が好きな社員が、なぜか辞めていく、あるいは
モチベーションを下げる。その原因は、仕事の内容よりも、
むしろ、プライベートとの調整など、外的要因がからむケースが多い。
それをきちんと把握できてこそ、有能なマネージャーと言えるのではないか。

(次回につづく。)

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2005年01月28日

会社を辞めるかどうか迷ったら、どうするか?

多くのサラリーマンは、自分の人生について
真剣に考えたとき、

・会社を辞めるか?
・会社に残るか?

の選択で、迷うことが多い。
辞めることのメリット、残ることのメリットを比較し、
どちらも魅力的に感じながら、どちらも選べない。
どちらも捨てられない、捨てがたい。

本来、双方にメリットがあるのだから、
その両方を手に入れようとするのは難しい。
安定を求めるか、わくわくを求めるか。
ジェットコースターに乗りたい気持ちと、
でも怖いと思う気持ち。

しかし、忘れてはならないことが一つ。
それは「辞めるか?/辞めないか?」の選択肢で
迷うことは、実はそれほど重要では無いという事実。

なぜなら、その前に考えるべきことがあるからだ。
それは「自分は何をやりたいのか?」である。

会社を辞められない原因を考えたときに、
真っ先に頭に浮かぶのは「経済的問題」とか「世間体」だろう。
しかし、辞められない理由は、他にもある。
単純に言えば「辞めたくない」のだ。
つまり、今の会社、今の仕事に、どこか魅力を感じているということ。
だから、捨てられない。


例えば、恋愛においても、どんなに好きな相手の中にも、
キライな部分は多少ある。もちろん、それも含めて愛することが
できれば問題ないのだが、それが「嫌いな部分」であることは
間違いない。

あるデメリットが、その他のメリットに包まれている場合、
そのデメリットだけを取り出して捨てることはできない。
メリットごと捨てるしかない。それが出来るかどうか?
そして、それをやりたいかどうか?


日本人は「モノを捨てるのがヘタな人種」だと言われている。
ただでさえ狭い国土で、狭い部屋に、モノが溢れている現実。
思い出とか「いつか使うかも」という思いが、捨てられない原因。

しかし、それでも強く「捨てたい」と思うときが来る。
それは「それを捨てないと、欲しいものが置けない」と気づいたとき。

では、今あるものを捨ててでも「欲しいもの」とは何か?
それが見つからないまま、今あるものだけを捨てようと考えるから
捨てられない。

「欲しいもの」が見つからないのならば、無理して
捨てる必要などない。そのままにしておけばいいだけ。
いつか必ず「捨てたくなるときが来る」のだとしたら、
そのときを待っていればいいのだ。

もしかしたら、一生捨てないまま終わるかもしれない。
だが、それはそれで正解なのである。
なぜなら「それ以上に欲しいもの」を見つけられなかったのだから。
ということは「今あるもの」が、一番欲しいものに違いないのである。


辞めるべきか/残るべきか。
この選択で迷っているうちは、まだ「本当に辞める必要性」を
自分自身が感じていない証拠。だったら、その迷い自体に意味は無い。

本当に辞めるべきときが来たら、その迷いは、一瞬で消え去るはず。
つまり、「辞めるべき時」とは「迷いが完全に消えたとき」なのである。

だから、迷いが消えるまでは、他人の意見や風潮に流されてはいけない。
そして、迷いが消えたとしても、常識や世間体に流されてはいけない。
決めるのは、誰がなんと言おうとも、あなた自身なのだから。

(次回につづく。)

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2005年01月26日

会社と社員の利害を一致させることの重要性

これからの大企業が生き残るために必要なこと。
それは「社員と会社の利害を一致させること」に他ならない。

会社が儲かれば、社員も儲かる。
会社が損をすれば、社員も損をする。
それが、本来あるべき、自然な姿。

しかし、大手企業に勤める社員の多くは、
そのように考えてない。会社が儲かろうが、損をしようが、
もらえる給料はたいして変わらない。だから適当に仕事をする。
つまり、誰も本気で『会社を儲けさせよう』などと
考えたりはしない構造なのだ。

逆に、どれだけ会社が損をしようとも、
社員にとっては、いたくもかゆくもない。
だから、会社のお金ならば、湯水のように使う。
できるだけ多く使おうとする。それが自然な行動だ。

「どうせ会社のお金だから」
「どうせ会社が払ってくれるから」

このような言葉は、社員の間では、日常茶飯事。
これでは、会社と社員の利害が一致する日は
永遠に来ないだろう。


では、企業ではなく、政治の世界で考えてみるとどうなるか?
政治家の利害と、国民の利害は、必ずしも一致しない。
誰だって、立場が変われば、自分がおいしいほうに向かう。
自分から見て「右」でも、相手から見たら「左」になる。
立ち位置の違いは、考え方の方向も180度違う方向に向かわせるのだ。

となると、すべての人間の利害を一致させることは不可能なのだろう。
なぜなら、すべての人間の立場を同一にすることはできないのだから。

その場合、企業内での多少の対立は仕方の無いことだ。
しかし、最終的なベクトをどこに向かわせるのか?
については、しっかりと経営者がそれを見据えていなければ、
いずれ組織は崩壊してしまう。

それを防ぐためには、小さなところで利害を一致させていくしかない。
まずは、局所化された範囲内で、会社と社員の利害を一致させる。
その作業が大切なのである。

例えば、会社は人件費を削減したいから、社員の給料を減らしたい。
一方、社員は自分の給料を上げたいと思う。そこで利害の不一致が生じる。
その場合「無駄な会議を減らす」とか「無駄な出張を減らす」という
行動は、会社にも、社員にも、どちらにもメリットを与える行動。
会社としては、コスト削減になるし、社員としても、自分の貴重な
時間を無駄に浪費しなくて済む。

社員にしてみれば、お金をもらうことと同じぐらい「時間をもらうこと」
には価値がある。とすれば、無駄な時間を節約できるということは、
時間をもらうことと同じであり、それはつまり、お金を貰うことなのだ。

双方が得をするポイントを探す。Win-Winの関係とはよく言われるが、
会社と社員の関係においても Win-Winの関係を目指し、利害の一致を
図っていく。それができない企業は、いずれ社員から見放され、
崩壊するであろうことは間違いない。

(次回につづく。)

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2005年01月24日

本当に価値のある仕事を生み出すために必要なこと

「これからのサラリーマンは、与えられた仕事だけを
していては駄目だ。自ら仕事を生み出す人材でなければ
ならない」

最近、よく言われる言葉だ。
部下の評価を上げない理由としても、上手く利用される。

「評価を上げようと思うなら、
言われたことだけでなく、それ以上の
結果を出したまえ」


たしかに、それは正論であり、誰も反発できない。
しかし「仕事を生み出す」ことが出来る人間は、
もはや「雇われる側」ではなく「雇う側」になれる
素質を持っているともいえる。

ある社員が、本当に自分で仕事をゼロから生み出せるようになったら、
『もう自分で食べていけるので辞めます』と言うに違いない。
会社側は、それを望んでいるというのか?

仕事を生み出すということは、価値の創造である。
つまり、利益を生み出すということ。
その「美味しい部分」を生み出すことを、社員に期待し、
一方で、その美味しい部分は、会社に還元しなさい
という理論。明らかに矛盾していると感じる社員が
多いのも無理は無い。

その本質を、管理者が理解しないまま、
ただ闇雲に「仕事を作れ」と言うと、
社員は、どんどんと「無駄な作業」を生み出してしまう。
つまり、余計な残業を発生させて、その残業代で稼ごうと
考えるのだ。

例えば、もしあなたが、青色ダイオードに匹敵する
大発明をしたとして、その手柄を会社の人間に
奪われたくないと考えたら、その知識を持って、
そのまま独立するに違いない。
つまり「本当に価値のある仕事を生み出した社員」は、
もはや社内には残れないのである。

もし、そのような優秀な社員の流出を
防ぎたいのならば、企業側も、価値を生み出した社員に
メリットを与えることを、はっきりと明示しなければならない。

普通の安定志向、ぶら下がりサラリーマン的な考えで言えば、
仕事なんて、生み出さないほうがいいに決まっている。
忙しくなれば、自分で自分の首を絞めることになる。自爆だ。
だから、仕事を生み出そうと考えるはずが無い。
仕事があっても、無くても、クビにさえならなければ、
給料はもらえるのだから。

部下に、本当に価値のある仕事を生み出させたいのならば、
ただ言葉で「生み出せ」と言い聞かせても駄目。
それよりも「仕組み」を作ることが大切。
本当に価値のある仕事を生み出した社員が、
本当に価値のある利益を受けることができる仕組み。
そのルールを作れない企業は、もはや生き残れないだろう。

(次回につづく。)

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2005年01月21日

サラリーマンの「雇用契約」について考える

組織における「人数の増加」と「効率の良さ」は、
必ずしも比例しない。
人数が増えれば増えるほど、そこには「社会的手抜き」という
心理面での影響があるからだ。

「社会的手抜き」とは、つなひきで「自分ぐらいは力を抜いてもいいだろう」
という甘え。1対1の腕相撲では本気を出す人が、必ずしも、5対5のつなひきで
本気を出すとは限らないのである。

そのような手抜きが発生する原因は、
「手を抜いたことによる責任」を、個人が追求されないからである。
つなひきで、誰が力を抜いていたか? を調べることは不可能。
「私は全力で頑張りました。」と言っておけば、誰も責めたり出来ない。


同様に、会社組織において、チームで仕事をする場合、
各担当者の責任範囲を明確にしておかなければ、
誰も全力を発揮しなくなる。それが、チーム全体の効率を下げ、
進捗に遅れを発生させる原因の1つになるのだ。

人は、誰もが『自分こそが一番』だと思っているし、思いたい。
つまり「このチームを支えているのは自分だ」と、誰もが信じている。
それは、裏を返せば「自分以外の人間は、自分よりも頑張っていない」
という不信感につながる。


組織内の問題が複雑化すればするほど、その責任の原因が
そもそも誰にあるのか? を追求することは困難になる。
政治的な問題、国際的な問題は、特にその傾向が強い。
そして「罪を憎んで、人を憎まず」など、さらに曖昧にされるのがオチだ。


この問題を、根本的に解決しようとしたら、組織を細分化していく
ことになる。最終的には、すべてのサラリーマンは、個人事業主的な
観点で、自分の責任範囲と、取り分(報酬)を、明確に定義しなければ
ならない。そのような「シビアな線引き」も、これからは必要になる。

仕事量と報酬額の線引きをクリアにしようと思ったら、
「何を、いつまでに、どの程度までやるのか?」を、
当事者同士で、明確に打ち合わせなければならない。

サラリーマンが、自分自身の労働力に対する「見積書」を出すのだ。
それによって、自分のスキルレベルをアピールすることにもなるし、
自分を守ることにもなる。曖昧なまま請け負ってしまうと、なんでも
かんでも押し付けられ、便利に利用されるリスクがあるからだ。

最近読んだ本で「ニッポン型上司が会社を滅ぼす」というのがあった。
年功序列、終身雇用を前提として成り立ってきた日本の企業で、
成果主義の意味が取り違えられているという指摘。

「ニッポン型」に対比して「アメリカ型」という観点で、
これからのサラリーマンの働き方を考えてみると、どうなるか?
私のようなエンジニアの業界でも、アメリカのエンジニアは、自分たちの
作業分担範囲を明確にし、それを超える範囲については、一切タッチしない
という傾向がある。それが当然だという文化。

しかし、日本のエンジニアの場合、義理で「申し訳ない、ついでにこれも頼む」
などと言われると、つい引き受けてしまう。そこの考え方は、海外とは
根本的に異なる。

アメリカは訴訟大国と言われるが、タレントの契約でも、
かなり分厚い契約書が用意され、弁護士付きで、詳細まで
詰めて議論されるのだという。もし契約タレントが1キロ太ったら、
ギャラをいくら減らす、などの、ごく詳細なことまで、明確に。

そのような風潮を「堅苦しい」と考えるか、
あるいは「それが本来のビジネスのやり方だ」と考えるか、
その違いによって、日本型になるか、アメリカ型になるかが決まる。

やるべきことはちゃんとやるが、譲れないところは譲らない。
会社側がシビアな対応をすればするほど、それに対抗して、
社員もシビアな態度を取る。ルールの決定は、堅苦しいものだが、
自分を守るための道具にもなる。

契約とは何なのか? サラリーマンの「雇用契約」の意味を、
今、真剣に考え直さなければならない時期に来ているのではないか。
物理的にフリーになる前に、まずは考え方をフリーに変えてみる。
そうすれば、現在の雇用契約における矛盾点が浮き彫りになって
見えてくるはずだ。

(次回につづく。)

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2005年01月19日

「権限」と「責任」のバランスを考える

組織を細分化し、その規模を小さくすることで、
与えられた責任と、その分担、範囲を明確にすることは、
仕事を与える側、受ける側にとって、メリットが大きい。

大手企業の関連会社、子会社、グループ会社と呼ばれる企業は、
グループ外の企業と比較して、仕事が取りやすいとか、
優遇されるというメリットはあるが、原則として、
その採算性は、各企業の独自の経営にゆだねられる。


アメリカでは、高校生の子供に、ある程度まとまった
お金を与えて、それを自分で運用させるという
教育が盛んだという。若いうちから投資のスキルを
鍛えさせようという考え方だ。

例えば、日本の子供に、一年分の小遣いを全額前払いしたとする。
それを、ギャンブルで増やすもよし、貯めるもよし、
全部使ってしまうもよし。その判断は、子供自身にゆだねる。

はたして、長期的な視点で、計画的に
資金を運用できる子供が、どれくらいいるだろうか?
お金は「もらう」だけでなく「増やす」こともできると知る。
その教育が、日本はアメリカと比べて、欠如している傾向があるのだ。
だから、ビジネス感覚も育たない。

ロバート・キヨサキ氏の著書「金持ち父さん、貧乏父さん」に
代表されるように、今、親たちの「投資」に対する意識が、
少しずつ変わりつつある。その考え方が、次の世代、つまり
子供たちに伝わるまでには、もうしばらく時間がかかりそうだ。


子会社が、独自の運営方針を考え、採算が取れる仕事の
進め方を検討していく。場合によっては、親会社だけに
頼らず、自ら新しい市場を開拓していく営業力も必要になる。
「自分たちで何とかするしかない」という状況に追い込まれて、
はじめて、そのありかたを真剣に考えるのだ。投資も、ビジネスも。


組織が肥大化すると、誰もが手抜きになる。
心理学的には「社会的手抜き」と呼ばれる。
つまり『こんなに大勢いるのだから、自分ひとりぐらい』
という感情だ。選挙に行かないのも、この心理。

ではもし、自分の一票で、自分の将来が決まるとしたら、どうだろう?
もっと真剣に、どうするべきか? 誰を選ぶべきか? を
国民一人ひとりが、真剣に考えるに違いない。

社員に「真剣さ」を取り戻させるためには、
「権限」と「責任」を与えるしかない。
自分で決めていいが、失敗したら責任を取れ、という
単純な図式。

このバランスが崩れると、組織のバランスも崩れる。
特に、日本の組織においては、責任分担を明確にしない傾向がある。
とりあえずグレーにしておく。連帯責任、みんなで頑張ろう!みたいな。

だから、管理者が直接、責任を問われるケースは少なく、
責任が問われないから、決定に対して慎重さを失う。

「権限」と「責任」のバランスをうまく調整すること、
その究極の方法が、分社化つまり
「独立して、勝手にやりなさい。仕事は回すから」
という考え方。


最近になって、サラリーマンの雇用形態も、大きく変わりつつある。
すべてのサラリーマンが、個人事業主として法人化し、
今までのような雇用契約ではなく、受託契約に切り替えるという考え方。
簡単に言えば、みんなフリーになるということ。

自分の値段は自分で決める。
ただし、自分の仕事は、自分で取る。
「権限」と「責任」。「うまみ」と「リスク」。
社員一人ひとりが「分社化」することよにって、
活力の落ちた「ぶらさがり社員」の目を覚ますことができると
期待している。

(次回につづく。)

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2005年01月17日

仕事を依頼する側が、依頼先を真剣に選ぶという基本

プロジェクト全体の規模、各作業の見積もりを
正確に行なえないと、遅れが発生するばかりでなく、
その遅れを取り戻そうとして作業が乱雑になり、
結果として、思わぬミスや問題を引き起こす。

その問題の原因は、決して作業者の能力に
依存するものではなく、そもそもスケジュールに
無理があるという事実を、管理者は認めなければならない。

作業の見積もりというのは、早ければよいとは限らない。
多少遅くても、正確さを要求されるような作業の場合は、
あえて時間を多めに確保するなど、事前の考慮が必要なのだ。

例えば、あなたの自宅の浴槽が壊れて、水漏れが発生し、
その修理を、リフォーム業者に発注する場合、
A業者とB業者、どちらに依頼するか?
それをしっかりと比較、検討するはずである。

仮に、A業者は安くて早い、
一方、B業者は高くて遅い、
という特徴があったとする。

ここで、どちらの業者を選ぶか?
は、状況次第で、どちらも「正解」であり「不正解」にも
なるのだ。

とにかく急いで浴槽を直させたい場合は、
A業者に頼むしかない。しかし、急ぐことによって
丁寧さが失われると、数ヵ月後、また同じ問題が
引き起こされる可能性もある。

だから、同じ問題が起きないように、これを機会に
しっかりと修繕しておきたい場合、
あえてB業者に委託するというのも、正しい選択なのだ。


自分の部下に、仕事を振るときに、
正確さを求めるのか、速さを求めるのか、
それとも、その両方のバランスを求めるのか?

それは、与える仕事の内容によっても、
まったく変わってくる。

例えば、今日の午後までに、社内会議用の資料を作りたい場合、
それは丁寧さ(体裁)よりも、スピードが重視される。
だから、多少雑でも、早く仕上げられる部下に頼むべき。

一方、来週頭に、顧客に提出する資料の場合、
まだ時間的余裕があるのだから、それにはスピードよりも
正確さ(丁寧さ、体裁)が求められる。

その使い分け、仕事の振り分けが正確にできるかどうか?
は、部下の特性をしっかりと見極めているかどうかで決まる。

誰でも、自分の身銭を切って、業者を選ぶときは、
必死になって、見積もりを比較、検討するはずだ。
しかし、自分の部下に仕事を振るときは、そこまで真剣に
考えてから振る管理者は、それほど多くない。

自分の部下を、最も効率よく動かしたければ、
最適な仕事を、最適な部下に振る、これに限る。
その見極めこそが「マネジメント」であり、
それが出来てこその、優秀な管理者と言える。

(次回につづく。)

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2005年01月14日

管理者に求められるスキルは「次の一手」

業種に関係なく、多くのプロジェクトは、
当初の予定通りには進まないものである。
作業に必要な時間を正確に見積もるのは、意外と難しい。
その仕事の内容だけでなく、担当者のスキル、チームの
協調性、職場環境など、あらゆる方面から検討し、
過去の実績も含めて、的確なスケジュールを立てるのは
至難の業である。

当然、見積もりが甘いと、スケジュールの後半で
時間が足りなくなり、その穴埋めは、末端の担当社員の
残業という形で補われる。

しかし、その残業の発生原因が、
スケジュールの甘さだけではなく、
スケジュール決定後の「詰めの甘さ」によって
引き起こされるという事実も、忘れてはならない。

神様でも無い限り、最初から未来を予測して、
完璧なスケジュールを立てることなど不可能。
つまり、最初は不完全なスケジュールでも仕方ない。
だが、徐々にプロジェクトが進んでいく上で、
その実際の進捗が、当初の予定に対して、
どのような進み具合なのか? を常に把握し、
微調整していくことは、必要不可欠。

それをやらない管理者の下で働いている社員は悲惨である。
また、作業の遅れの本質を、管理者の「詰めの甘さ」にあることを
自覚できない管理者自信も、また悲惨である。

管理者の「次の一手」が、チーム内の社員の作業量に、
どれだけの影響を与えるのか? それを自覚できていない管理者は、
ただ「忙しい」を連発するだけで、その忙しさの根本的な原因
が自分の「詰めの甘さ」にあることには、永遠に気づけない。

具体的に考えてみよう。例えば、あなたの会社が
「弁当を作っている」とする。あなたは、その弁当に
おかずを詰めて、包装する作業を担当している。

あなたは「から揚げ弁当を500個作ってくれ」と頼まれた。
一日100個作れるから、5日で終わる。
しかし、3日目、300個作ったところで、上司から
「とんかつ弁当に変更して」と言われた。

あなたが「今からでは無理です」というと、上司は
「から揚げをとんかつに入れ替えるだけだろう。
おかずが変わるだけなんだから、そんなに時間はかからない。」

たしかに、そうかもしれないと、あなたは思う。
しかし、4日目になって、重大な事実に気づく。
からあげがを入れていたスペースには、とんかつを
そのまま入れることができない。つまり、包丁でカットする
という作業が必要になった。そのための時間は、残業でカバーするしかない。

そして、なんとか5日目。さらに致命的な問題が発生。
包装紙に「からあげ」と記述してある。これをすべて「とんかつ」
に書き換えなければならない。あなたは、さらに休日出勤をして、
「とんかつ」というラベルを作り、500個の弁当に貼り付ける。


このように「それぐらい、たいしたことないはず」と上司が考えていても、
いざ、現場で、その作業をやってみると、予想外の問題が次々と起こるのだ。
それを事前にすべて予測することは不可能なのだから、常に
現場との連絡を取らなければならないのだが、最終的には
「もう時間が無いんだ。残業してやってもらうしかない」
という結論に至る。これでは、現場社員の負担は増えるばかり。

そして、慌てるから、ミスも増える。
「とんかつ」のラベルを貼り忘れて「からあげ」のまま
ダンボールに詰めてしまった。さあ大変だ。
もう一度、ダンボールを開封し、張り忘れの弁当を探すしかない。

これを、社員は「自分のミスのせいだ」と思い込む。
だから、仕方なく、サービス残業でまかなう。

しかし、そもそもの根本的な原因は
「からあげ」が「とんかつ」に変更になったことだ。
では、なぜその変更を、事前に知ることができなかったのか?

もし、責任者が、電話一本、あるいはメール1つで
再確認していれば、もっと早く分かったかもしれない。
その、たった1つの「次の一手」を怠ったばかりに、
末端社員に、どれだけの作業負担を強いることになるか?
それを自覚できていない管理者は、もはや管理者としての
資格を失っている。

これからは、管理者とは、ただ年齢が高いとか、そういう基準だけで
選ばれるべきものではない。将棋の棋士のように「的確な次の一手」
が出せる人間。そのスキルこそが、管理者に求められる本当のスキルなのだ。

(次回につづく。)

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2005年01月12日

今起きている組織の問題は、必ず繰り返される。

ライブドア堀江社長の著書に、次のようなことが書かれている。

「会社が小さなままだと安定しない」

創業期は小さな会社でも、少しずつ社員を増やし、
大きくしていくという目標を、経営者は抱いている。
しかし、創業期の社員は、必ずしも、その考え方に賛同しない。

社員が10名以下の小さな組織の場合、
それはまるで、家族のような親密な付き合いになる。
だから、居心地がいい。

しかし、30名、100名と、少しずつその規模が
拡大するにつれて、内部でまたグループが細分化する。
意見の統率が難しくなり、派閥ができる。

「家業から企業へ」という言葉があるが、
組織を拡大することによって、家業を領域を脱するためには、
それなりのダメージもまた、背負い込むことになる。
車体の大きな車ほど、優れた運転技術が要求されるからだ。

だが、それでも、組織の規模を大きくしたほうが、
事業は安定する。規模が大きくなれば、社会的な認知も
高まるし、信用力も付くからだ。
そして、社員を雇い、雇用を生み出すという、社会的な存在意義も
認められる。

本来「大きくすること」自体は、目的ではない。
大きくしなければできない事業をやるためとか、
何らかの「大きくする理由」が、必ず存在する。
その1つに「事業を安定させたい」という理由も含まれる。

自分の会社の社員に愛情を感じるほど、
その社員に対して、長期的な安定と保障を与えてあげたいと思う。
創業期の頃、無名な自分の会社に就職してくれた社員のことは、
経営者なら誰もが、家族あるいは息子同然のように感じるに違いない。

だが、組織が巨大化すると、末端の社員には、
その経営者の「想い」が届かなくなる。
経営者と、末端社員との間には、大きな「管理職」という壁が
できるからだ。

実際に仕事を回すグループの単位は細分化され、
数人から十数人のグループが、社内にいくつも作られる。
大きな会社の中にいながら、実際にやるべき仕事は、
もっと小さな組織単位で実行する。
当然、そのような小さなところまで、創業経営者の
目は行き届かなくなる。

すると、末端社員の不満はまず、その小さな組織内で
発生する。その不満の矛先が、最終的には「会社」に
対して向けられるのだ。『うちの会社は最悪だ』と。

しかし、その社員が、本当に「最悪だ」と思っているのは、
会社そのものではなく、今、自分が所属している組織あるいは
派閥にすぎない。その小さな問題を、会社全体の問題という
大きな問題にすりかえて、自分の問題がいかに大きな問題であるか?
ということを、自分自身で納得したいだけなのだ。

小さな組織では、必ず不満が起こる。
その不満を乗り越えて、組織は拡大されてきた。
そして、その拡大された組織の中でまた、
複数の「小さな組織」が生まれる。
やがて、その小さな組織の中で、また新たな不満が発生する。
この繰り返しだ。

この無限に繰り返される「不満ループ」からは、
社員であろうとも、経営者であろうとも、永遠に抜け出せない。
経営者になれば、不満を「言う側」から「聞く側」になるだけ。
その問題への根本的な対策は、考え続けなければならない。

今、社内で起きている問題から開放されたくて
会社を辞める場合、もし自分が将来、自分が組織を作ったときに、
その組織のメンバーの中で、また同じ問題が必ず起こる。

大切なのは、問題から逃げることではなく、
その問題に対して、どのような対応をするか?
どのような考え方で乗り切るか? なのである。
その原則は、会社に残っても、会社を去っても、変わることは無い。

(次回につづく。)

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2005年01月10日

社内規則は「拘束」なのか? それとも…

車体の大きな車ほど、加速には時間がかかるし、
小回りも効かない。しかし、ある程度スピードに乗れば、
あとは安定した走行が保証される。

同様に、会社組織についても、その組織が大きくなればなるほど、
小回りが効かなくなる。しかし、長期的な安定走行が
保障される。

社員が数百人、数千人規模の会社になると、
社員一人の力では、そう簡単には、会社の方向性を
大きく変えるような革命を起こすことは難しい。
それは、一般社員であっても、管理職であっても同じ。
たとえ管理職であろうとも、一個人では、単なる社員に過ぎない。

そして、経営者もまた、株主との関係や、社会的責任などが
重くのしかかり、自分の思うように、会社を操作できなくなる
時期がある。大きな会社には宿命的に、そのような時期が
必ず訪れるのだ。


一方、フリーランサーや個人事業者の場合、
それはまるで、軽自動車や原付のように、
いつでも方向転換できるし、運転も気楽だ。
しかし、長距離の高速走行では安定しないし、
車体も貧弱なので、事故では即死。

安定を求めるか? 機動性を求めるか?
そのどちらを選ぶかによって、組織の作り方も
大きく違ってくる。

そして、多くの人が誤解しているのは、
例えば、大企業の幹部になれば、
大型トラックを軽自動車のように、自在に
乗り回せるようになるかもしれない、ということ。
そんなはずはない。なぜなら、根本的に構造が違うから。

大きなものは、簡単には動かせない。
その「動かせない」ことが、逆に「動かない」という安定を
保障しているのだ。世間の荒波にも「動じない」という安定。

動かない、動けないとう事実を、
「安定」と見るか、「拘束」と見るか、
その違いで、組織を窮屈にも感じるし、
防火扉にも感じる。

大手企業ほど、きめ細かな社内規則が決められており、
それを社員たちは「自由が無い」と感じる。
しかし、規則で「動きづらくしていること」が、
逆に「簡単に動けない」という安定を生み出している。

シートベルトは、乗客の安全を守るためのものであり、
社内に拘束するための道具ではない。
それを「拘束」と感じるのならば、その車を降りるしかないのだが、
最終的には、自分の命は自分で守らなければならないという
事実には、何ら変わりは無い。

軽自動車を自分で運転するときも、シートベルトは締める。
バイクに乗るときも、ヘルメットはかぶる。
それは、拘束ではなく、自分を守るために。
守りながら攻める。それがビジネスの基本である。

(次回につづく。)

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2005年01月07日

すべての問題は、解決されるために発生する。

すべての問題は、解決されるために発生する。
逆に言えば、解決されない問題はない。
なぜなら、すべての「問題」には、それを解決するための
提案つまりソリューションが、ビジネスとして成立するための
ネタが含まれているからだ。

例えば、コンピューターの2000年問題というのがあった。
エンジニアのみならず、多くの人たちが不安を感じ、
影響を受けただろうが、実際には、大きな問題が起きる前に
解決された。

「レスキュー2000」と呼ばれる、2000問題対策専門の
企業が登場し、危機を救ったりした。

本来、ビジネスのタイプを大きく2つに分けると、
次のように分類できる。

1.付加価値を与える

2.問題を解決する

高級ホテルのサービスなどは、1に該当し、
医薬品などは2に該当する。
1と2の両方に該当するビジネスもあるだろう。
例えばマッサージのようなもの。
快楽を与えながら、肩こりという問題も同時に解決する。

人が、カネを追い求め、ビジネスでの成功を願い続けるなら、
その目は、常に「人間の不満や問題点」を探している。
何か問題が発生したら、それを解決するビジネスをやれば儲かるからだ。

だとすれば、すべての問題は、見方によっては「金のなる木」なのである。
そのゴールドラッシュに群がる人間がいるかぎり、あらゆる問題は
自然に解決される方向に向かうのが当然の流れ。

現在、日本が抱えている大きな問題として、
少子化があるが、もし、日本政府が本気で
それを改善しようと思ったら、いくらでも方法はある。
女性が子供を産みやすい環境を整備すればいいだけ。

そのためには、企業の協力が必要不可欠。
育児年休に寛大な姿勢を取るなど、経営者が理解ある
行動をしなければ、社員も子育てに真剣に取り組もうとはしない。
そして、経営者の行動を変えさせる力をもっているのは税務署。

例えば、社内託児所を設置した企業の法人税を安くするとか、
金銭面の優遇措置を実施すれば、簡単に経営者の意識を
改善させることができる。良くも悪くも、人は金で動く。

同様に、定職に付かない若者をサラリーマン化させたいならば、
サラリーマンに優遇措置を与えればいい。そうすれば、
若者たちも「フリーターは損、サラリーマンは得」と感じるようになり、
自然と、就職する方向に向かうのだ。

世の中に、解決しない問題など無い。
あとは時間の問題。ゆっくりだが、少しずつ、
地盤プレートのように、じわじわと動いている。

その動きを監視しつつ、それが正しい方向に動いていくように、
私たち有権者が、しっかりとした意識を持っていれば、
日本は必ず、良い方向に進むことは間違いない。


(次回につづく。)

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2005年01月05日

なぜ「サラリーマン」は悲しみの代名詞になったのか?

「サラリーマン」は、職業ではなく、働き方つまり
雇用形態の1つに過ぎない。
だが、サラリーマンという響きは、どことなく
マイナスのイメージが付きまとっている。

よく「サラリーマンの人生で終わる」という言い方をするが、
それはあたかも、サラリーマンという雇用形態では、
何も自己実現ができないかのような言い方だ。
しかしそれは、大きな誤解である。

本当に問題なのは「依存体質」であり、
サラリーマンという雇用形態そのものではない。
依存体質が、自己啓発への意欲を低下させ、
なんとなく、モチベーションの低い生活を生み出す。
それが、サラリーマンの暗いイメージを作り出している。

確かに『定年まで面倒見ます。退職金も出します。』と
言われたら、多くの社員は「このまま安泰で」と願う。
その「危機感の無さ」が、やる気の無さに見えているだけ。

一方、起業家やフリーランサーの場合、
常に、明日の仕事を取るために必死になって
走っているイメージがある。獲物を追いかける野生の
一匹狼のように。だから若者が憧れるし、カッコいい。

だが、その「必死さ」は、本来、雇用形態に関係なく、
個人に備わっているべきものである。
つまり、会社に勤めていようが、常に「野性的な貪欲さ」
を忘れなければ、それは、組織の中を生き抜く、一匹狼なのだ。

サラリーマンを経て独立し、会社の経営者になった人は、
よく、セミナーで次のようなことを言っている。

「前の会社に勤めていたときは、ぶっちゃけ、
その会社の社長になろうと思っていました。」

組織の中にいる一匹狼は、常に、その組織の中で上位を目指す。
その貪欲さが、組織内で消化しきれなくなったとき、
そのエネルギーは、社外にあふれ出す。つまり起業である。

大切なのは「飼いならされない」という気持ち。
その気持ちがあれば、組織の中で「刺激の無い日々」
に甘んじることは無い。

「サラリーマン」という大きな枠組みの中では、
すべての雇用形態を明確に表現することはできない。
正社員もいれば、契約社員もいる。組合員も、年俸制の社員も。
極端な言い方をすれば「サラリーマン」という言い方は、
その範囲が広すぎて、どのような雇用形態も、明確には
言い表せない。

そのため、言い訳として使われる、マイナスの「代名詞」に
なっている傾向がある。

・サラリーマンだから出来ない。
・サラリーマンには買えない。
・サラリーマンは不幸。

自分の人生、趣味、ビジネスが上手くいかないことの
すべての責任を「サラリーマン」という雇用形態に
押し付けては、何も解決しない。
そのような「悲しいイメージ」を世間に植えつけているのは、
他の誰でもなく、私たちサラリーマン自身なのだから。
まずは、その意識を変えていくことが大切である。

(次回につづく。)

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