2004年12月27日

「自分には何ができるのか?」を真剣に考える

会社を辞めることと、職を辞めることは違う。
職は、その本人が、どのような組織に所属していようとも、
永遠に、その本人の中に存在し続ける「スキル」だからだ。

例えば、看護師という職業がある。
看護師は、どのような病院に所属していても、
看護師であることに変わりは無い。

そして、今所属している病院が無くなっても、
また別の病院に移れば、ずっと看護師であり続けることができるし、
たとえ病院に勤めなくても、看護師であることに変わりは無い。

他にも、美容師など「師」と名の付くもの、あるいは
弁護士などの、いわゆる「士業」と呼ばれる職業も同様である。

では、サラリーマンの場合、どうだろうか?
「部長」とか「課長」という役職は、職ではない。
つまり、それ自体は、その組織(会社)を去れば、消えてしまうものだから、
本人に帰属している能力ではない。

中高年の再就職にまつわる話として
よく取り上げられる、次のような笑い話がある。

----------------------------------------------

職安の人「あなたは何ができますか?」

求職者「部長ができます。」

職安の人「・・・・・。」

----------------------------------------------

自分は何者なのか? 何が出来るのか? 売りは何なのか?
それを理解していなければ、自分を売り込むことはできない。
つまり、自分の市場価値をアピールできないから、
就職先も見つからない。


では、例えば「部長ができます」と言わずに、
次のような言い方をすれば、どうだろうか?


・人のマネジメントができます。
・組織の問題を見極め、改善させることができます。
・全体のスケジュールを管理し、把握することができます。


「部長」に求められているものは何なのか?
「管理職」がやるべきことは、何なのか?
そして自分は、その要求に応えられるだけのスキルを
持っているだろうか?

そのことを、常に自問自答していれば、
自分の得意なスキルは、すぐに見えてくるはずである。

優秀なマネージャーを欲しがっている企業は多い。
だから、本当に優秀な管理能力があるのならば、
それをアピールすることさえできれば、自分の自称価値を
世の中に認めさせることは、それほど難しくはないはずだ。

だが、それがアピールできずに、また、真剣に考えることもせず、
ただ「部長であることが、自分の仕事だ」と思って、日々を過ごしていると、
徐々に能力が低下していき、やがて会社からも見限られ、
職安に行くハメになるのだ。

すべてのサラリーマンは、年齢や役職を問わず、
常に自分のスキルを磨き続け、そして、アピールポイントを
整理しておかなければならない。

若手には若手の売り方、年配者には年配者の売り方がある。
それは、芸能界を見ていればすぐ分かる。

プロ野球でも、現役の寿命は短いが、引退後に芸能界に入ったり、
コーチになったり、あるいは解説者になるなど、いくらでも
第二の人生を生きる術はある。
それは「自分には何ができるのか?」を真剣に考えてこそ、
やっと掴むことができる、第二の成功。

第一の成功が消えないうちに、第二の成功を考えておく。
そのことを常に意識しておけば、今の世界だけに執着する必要は無い。

(次回につづく。)

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2004年12月24日

「退社」しても「退職」しなければいい

「退職」という言葉は、「職」を「退(しりぞ)く」と書く。
しかし、会社を辞めても、職から退くというケースは、事実上は少ない。

定年退職でない場合、多くのサラリーマンは、再就職という道を選ぶ。
その場合、所属先の会社は変わるだろうが、それまでの業務経験や
スキルを活かせる企業に就職しようと考えたら、
やはり、同業社である確率が非常に高い。

つまり、会社は変わっても、職が変わらなければ、
それは「職を退いた」ことにはならない。

そのような意味では「退職」と「退社」は、まったく異なるものだ。
サラリーマン時代に培った技術で独立開業しようと思ったら、
それは退社であり、退職ではない。
職は続くが、会社は退いた。ただそれだけのことだ。


よく「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれて
『○○に勤めています』と答える人がいる。
特に、大企業のブランドを持っている人は、
その傾向が強い。

しかし本来、仕事とは「会社に勤めること」ではない。
その会社で、どんな業務を担当しているのか?
それこそが、本当の意味での「職」なのである。

これからの時代、もっと職業は細分化、専門家される方向に進む。
その場合、世の中のサラリーマンのことを、単に「会社員」という
カテゴリでまとめることは難しくなる。

サラリーマンは、職業ではない。
雇用形態の1つの方式に過ぎない。
だから、サラリーマンという言葉だけでは、
その仕事の本質を示すことができないのだ。


豊かな社会になり、価値観が多様化しているということは、
それと同じ数だけ、人々の「仕事に対する姿勢」が存在する。
たとえサラリーマンであっても、その根底には、
別の肩書きが存在しているのだ。

それは、単なる「部長」とか「課長」のような役職名ではない。
『自分は○○である』という、存在価値や、自己重要感。

自分が作っているもの、サービス、商品の存在価値は何か?
自分の仕事が、世の中に対して、どのような影響力を持っているのか?
それを考えながら、日々の作業をこなせる社員は、
ビジネスを長期的な視点と、広い視野で眺めることができる。

本当に自分がやりたいこと、夢、それらが実現できるのならば、
あまり形式は関係ない。サラリーマンでも、個人事業者でも、
最終的な目的は「自分の人生を楽しむこと」なのだから。

あなたが今、会社を辞めたいとして、それは、
「職」を退きたいのか? それとも、単に「物理的な職場」を
退きたいのか? それはどちらだろうか?

もし、前者ならば、本当に自分がやりたいことを、再度見つめなおし、
人生の棚卸をしてみることが大切である。

一方、後者の場合は、同じ業種で独立するか、または
同業他社に再就職すればいい。その職が好きなのならば、
遠慮せずに、環境を変えて続ければいい。

辞める前に、まず、退職と退社を区別する。
そこから「あなたが本当に目指すべき選択肢」が見えてくるだろう。

(次回につづく。)

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2004年12月22日

人数の多さと生産性は必ずしも比例しない

組織が大きくなると、そこには必ず「マネジメントの問題」が発生する。
それは、業種・業界を問わず、あらゆる企業に共通する悩みでもある。

一般には、人数が増えれば増えるほど、作業効率は向上すると
考えられているが、実際にはそうではない。
例えば、4人のチームが、40人に増えたとしても、
その生産性が10倍になるとは言えないのである。

なぜ、チームの生産性は、人数に比例しないのか?
その理由は2つある。

1つは、意思疎通の問題。
そしてもう1つは、社会的手抜きの問題。

まず、意思疎通の問題だが、
テレビでよく「伝言ゲーム」というのがある。
10人ぐらい一列に並び、一番右の人が聞いたことを、
一番左の人まで伝えるというゲームだ。

しかし、最後の人に行き着くまでには、
情報は各人の、都合の良いように解釈され、
加工される。つまり、原型をとどめていない。

これと同じことが、ピラミッド式の組織でも起きる。
上層管理者の意向が、必ずしも末端の社員に伝わらないのは
このためだ。
そしてこれは、横のつながり(社員同士の連絡)においても
同じことが起こる。

情報が二転三転するケースでは、古い情報を前提に
進めていた作業が、すべて無駄になるという場合も
少なくない。それらの根本的な原因は、情報が正しく伝わらない
ことにある。決して、各社員個人の能力が低いからではない。
そして、当然、社員の数が増えれば、それだけ情報伝達や
情報共有、あるいは価値観の共有が難しくなる。

次に、2.の「社会的手抜き」について。
これは「集団の中で、個人は手抜きをする」という心理状態。
例えば、綱引きで、各個人の能力の合計値が必ず発揮されないのは、
各個人が「自分ひとりぐらいは大丈夫」と思って、力を抜くから。
つまり、本気を出していないということ。

この心理は、集団の母体数が大きくなればなるほど、強くなる。
だから、組織の人員が増えると「本気を出せなくなる社員」が増える。

だが、このような問題を解決するために、管理職すなわち
マネジメントの存在がある。チーム内の情報伝達を円滑にし、
かつ、各担当者の作業分担を明確にする。
そうすれば、たとえ各個人が100%の力を出せなくても、
8割ぐらい出せれば十分にチームは回せる。

あるチームで問題が発生している場合、
その問題は、必ずしも「人を増やすこと」だけでは
解決しない可能性がある。なぜなら、人を増やす前に
「マネジメントはうまくいっているか?」という
根本的な部分を見直さなければ、本質的な解決には
つながらないからだ。

(次回につづく。)

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2004年12月20日

サラリーマンが売っているものは労働力

成果主義に必要なのは「明確な評価基準」である。
どんな社員でも、その評価が、ある基準に基づいて
決められているものならば、納得せざるを得ないからだ。

給与体系にしても、金額の低さより「不公平感」のほうが、
社員のモチベーションを下げる原因になる。
「みんな下がっている」のならば、それほど大きな不満や
怒りは発生しない。

しかし、多くの社員は「自分だけが下げられたのではないか?」
とか「あいつの給料は、俺より多いのだろうか?」などの
疑心暗鬼の気持ちを持ってしまい、それが、不満や怒りに
繋がっているのである。

そして、そのような状況を放置しておくと、やがて
「だったらもう協力しない」と考えるような社員が増える。
非協力的になり、チームワークが乱れ、組織が崩壊するのだ。
スポーツ選手が、チームの勝利よりも、個人プレーで目立つことに
エネルギーを注ぐのと同じ現象が、社内でも起こる。


だが、評価の基準を明確に設定しておけば、
自分の評価が「その判断基準にのっとっているか?」
を判断の材料にできるので、それほど大きな不満は発生しない。
つまり、社員一人ひとりの市場価値を、主観ではなく、
客観で決めるような仕組みづくり。それが大切なのだ。

個人事業主の場合、例えばA店とB店があって、
A店の売上げのほうが、B店よりも多かったとする。
すると、B店の店主は「A店は立地が良いから有利」
だと考えるだろう。

しかし、そもそも、立地が良い場所を押さえることが
できたのは、A店の働きによるものであり、それを
否定することはできない。

つまり、いくらB店がA店を羨ましがったところで、
B店には何のメリットも無いし、そのことをB店自身が
一番よく分かっている。そして、最終的には
「どうすればお客が増えるか?」を考えた方がよいことに気づく。

個人商店の場合、お客が商品を買わなければ、ビジネスは
成立しない。そして、お客が増えないすべての責任は、本人に発生する。

だが、サラリーマンの場合、仕事があろうが無かろうが、
毎月の給料は発生しているから、お客が少なくなった事に対して、
社員は責任を感じない。どうせ給料は貰えるのだから問題ないと考えてしまう。
そこに、経営者側との利害が一致していないポイントがあるのだ。

その問題を解決するためには、責任分担の明確化と、
作業プロセスの細分化が欠かせない。

若手社員の場合、まだ経営に口を出せる立場ではないし、
そのような広い視野を持ち合わせてはいない。
だから、経営の方向性や、将来予測が間違っていたことによる
経営悪化の責任を、若手社員にも背負わせるのは筋違いである。

一方、担当業務を適切にこなせていない社員には、
いくら会社の業績が上がっても、ボーナスを増やす必要は無い。
それぐらいシビアに責任分担を明確にするという行為も、
これからは考慮されるべきである。

忘れてはならないのは、若手も管理職も、すべての社員は
「自分の労働力」という商品を売っているビジネスを展開している
という点。だから、常に「自分の労働力」を値踏みしなければならない。
そして、適切な価格で買ってくれるところと交渉する。
それが商売の本質である。

戦後の高度成長期は、社員は一度入社すれば、そんなことは考えなくても済んだ。
しかし、今ほどビジネスサイクルが短くなっている時代では、
サラリーマン自身も、もう一度、商売の原点に戻って、
自分の人生を見つめ直さなければならない。

労働力は商品である。その商品をいくらで売るか? いくらで買うか?
は、市場の原理に基づき、適正に決められるべきなのだ。
そこには本来、いかなる理由があろうとも、上司の個人的主観は
介入できないのである。

(次回につづく。)

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2004年12月17日

肉体労働と頭脳労働における「評価概念」の違い

体を使う仕事、頭を使う仕事。
どちらが楽だとか、どちらが簡単だとか、
そのような判断はできない。
どちらにも、それにりにつらい面がある。

一般に過酷と呼ばれる労働は、誰もが肉体労働を
思い浮かべるだろう。
たしかに、重い荷物を背負ったり、工事を担当する
労働者は、体力的には、かなり過酷な重労働を強いられる。

しかし、そのような重労働は、ある時刻を過ぎたら、
完全に開放される。つまり、自宅に帰ったら、
もう、その仕事を心配する必要は無い。

一方、頭脳職の場合、どうだろうか?
例えば、明日の朝の会議までに、具体的な売り上げアップの
対策を考え、報告しなければならないとする。
このような仕事は、体力的には、あまり過酷ではない。
しかし、精神面では、プレッシャーも大きく、過酷なのだ。

さらに、厄介な点は、その労働は、自宅に帰っても
頭の中を支配しつづけるということ。
すでに明確なアイデアがまとまっていれば問題ないが、
もし、まとまらないまま退社した場合、
帰宅途中の電車の中でも、入浴中も、ずっと、
その問題、心配事が、あたまの中から消えることはない。
最悪の場合、夢の中にまで出てくる可能性もある。

つまり、頭脳労働は、24時間解放されない場合がある。
そのような意味では、肉体労働よりも過酷な一面がある。

そして、頭脳職は、あくまでも、頭の中で進められるものだから、
外から見た人間が、その仕事の進捗を客観的に判断できない。
それも厄介な点だ。

肉体労働の場合、重い荷物を運んでいる人を見たら、
多くの人は『重そうだな、大変そうだな』と思う。
つまり、仕事の過酷さが、見てすぐ分かる。

しかし、頭脳職の場合、その過酷さ、あるいは
精神面でのプレッシャーについて、第三者が客観的に
見た目だけで判断することは難しい。
特に、精神面での問題は、うつ病や自殺など、
最悪の形に変化してからでないと認知されない。
それが恐ろしいところなのだ。

仕事の進捗や大変さを、第三者からみて容易に判断できない
頭脳職の場合、その評価制度も、かなり難しい。
つまり「頭脳職の成果主義」だからこそ、問題を生み出しているのだ。

「荷物を5つ運んだ人より、10個運んだ人のほうが頑張りました。」
このような単純なものさしでは計測できない。それが頭脳職評価の難しさ。

頭脳職で、結果を重視すると言っても、多くの場合、
組織における結果とは、そのプロセスに多くの人間が
関わっているから、その成果が、本当に「ある特定の個人」
の功績によるものかどうか?の判断が非常に難しい。

極論を言えば「たまたま景気が良かった」などという
かわしは避けられない。言い方によって、いくらでも逃げ道はある。
それは、逆に言えば「かかわっていなくても、あたかも関わったかのように
見せかけることが可能」とういうこと。


頭脳職の評価は難しい。それは当然のこと。
なぜなら、頭脳職自体が「頭を使う仕事」だからだ。
だから、その仕事を評価する側の人間も、
さらに「もっと頭を使うこと」を怠ってはならない。
評価される側が悩んでいるのだから、評価する側も、
もっと悩むべき。そうやって、お互いに、成果主義の問題点を
改善していく方向に動いていくのが理想なのだ。

(次回につづく。)

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2004年12月15日

さらに続く、成果主義は是か非か?

成果主義の問題点は、その運用方式にあるのだが、
現場で正しく運用されない根本的な原因は、
「評価の基準が曖昧であること」に尽きる。

つまり、「何を持って高い評価とするのか?」が、
評価する側も、される側も、よく分かっていない。
評価基準が、お互いに分からないような状態で、
どうやって、成果主義を正しく運用せよと言うのか?
土台無理な話なのである。

これを、学校の評価で考えてみよう。
学校では「テストの点数」という、極めて客観的な評価
システムを採用している。これは、誰もが文句の言いようが
無く、点数の高いものが勝つようになっているランキングだ。

しかし、そのテストも、突っ込み出せば、キリが無い。
テストの点数が高い生徒が、必ずしも優秀な生徒だとは限らない。
エジソンやアインシュタインは、学校の成績は悪かった・・・
などと語りだせば、テストの点数による評価制度は、
いくらでも批判することができる。

しかし、公平性という意味では、
それが「本当に公平であるかどうか?」
は別としても、その点数を見せられたら
「納得せざるを得ない」という公平感はあった。
だから、点数の低いものは、その結果を認めるしかなかった。

では、会社組織という「ビジネスの現場」では、
どうすればよいのだろうか?
学校のように、試験をやるわけにもいかない。

究極的には「いくら稼げるか?」が全てなのだが、
個人の能力でカバー出来る範囲を超えている、
運の悪い職場(仕事が取りにくいエリアの営業など)
で仕事をしている人間は、不利な立場であるとしか
言いようが無い。

となると、単純な売上げ金額だけでは、
その社員の評価を判断しきれないところもある。
短期的に見れば、利益を上げているところでも、
そこは「今、一番オイシイ『刈り取り』の時期」
なだけかもしれない。
それよりも、中・長期的な視点で経営を判断した場合、
今は「種まきだから儲からない」という時期でも、
それはとても重要な仕事であり、その仕事を担当している
社員を「今、利益が出ていないから」という理由だけで
低く評価することなどできない。そんなことをしたら、
企業として、長期的な発展を期待することは難しくなる。

特に、サラリーマンという職種の場合、
プロジェクトごと、チームごとに仕事をこなす
ケースが非常に多いから、どうしても、個人プレーよりは
チームプレーが重視される傾向がある。

その場合、やはりチーム内で重宝される人材というのは、
評価が高いのだ。それは必ずしも、仕事の能力だけでなく、
もっと端的に言えば「この人と一緒に仕事がしたい」と
思わせるだけの、人間的な魅力。

組織で働くことを前提とする以上、
チームプレイは必須。
どんなに個人技が上手い選手でも、
周りの選手から信頼されていないようでは、
チームとしては勝つことは難しい。

サラリーマンが「自分の労働力」を売るビジネスだとしたら、
やはり、そこにも、究極的には「需要と供給の関係」が成立する。
そして、より「需要の高い人間」が、高い評価を受ける。
そのような意味では、上司、同僚、部下を問わず
「モテる社員」というのが、最終的には、成果主義で勝ち残っていく
ことは言うまでもない。

だからこそ、技術的、知識的なスキルはもちろん、それ以外にも、
人間的な魅力を磨いておく必要がある。
具体的には、謙虚さとか、感謝の気持ち、あるいは、場の空気を
読む力など。心理学のスキル、コーチング、マネジメント能力、
遊び心なども、重要な要素なのだ。


(次回につづく。)

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2004年12月13日

続・成果主義は是か非か?

経営者の本来の目的は「成果主義を導入すること」ではない。
成果主義の導入は「手段」であり、目的は『経営状態を良くすること』
である。

つまり、成果主義の導入が、結果として、社員の
モチベーションを高め、職場のやる気を活性化させるのならば、
それは、導入すべき制度であることは間違いない。

しかし、各企業が、成果主義を導入し、実際に運用してみて、
その運用の難しさや問題点を、現場レベルでも実感し始めている。
そして、そのような風潮を見据えたかのように、
各種、成果主義関連の暴露情報が流出し始めた。
それはまるで『こうなることは初めから分かっていた』と言わんばかりに。

成果主義の導入が、事実上の「賃下げ」になり、
一時的な業績回復を可能にした企業は、数年後、
間違いなく、そのツケを払わされることになる。
賃下げをすれば利益は上がるが、その代償として、
社員のモチベーションの低下、および人材の流出は
避けられない事実。賃下げはまさに「諸刃の剣」なのだ。

経営者はまるで、成果主義という剣を、
なんでも叶えてくれる「魔法の剣」とでも
考えていたのだろうか。

賃金のベースダウンをしながら、同時に、
社員のモチベーションも高めていく。
そのような「魔法」が使えるはずは無い。

まだ「諸刃の剣」ならば、救いようがある。
しかし、それが、何のメリットも無い「自爆の剣」
だとしたら、はたして、その制度自体を、
いつまで続ける意味があるのだろうか?

『こんなことなら、以前の給与制度のまま、
単に「ベースダウン宣言」をしたほうが、
まだ傷は浅かったかもしれない』と後悔している
「成果主義導入失敗組」の企業の嘆きが聞こえてくるようだ。

成果主義と言う言葉は、いわゆる「できる社員」に、
過剰な期待を抱かせてしまった。なぜなら、
できる社員にとっては「やっと、自分をアピールする
ステージが出来上がった」と思うからだ。

一方、いわゆる「ダメ社員」にしてみれば、
「ヤバイ」とは思うだろうが、かといって、何をするわけでもない。
『まだ大丈夫だろう。組合もあるし』という、甘い依存心を
抱いたまま、会社に居座るのが関の山。
それが、優秀な社員の流出を、さらに加速させると言う悪循環。


成果主義は、必ずしも「自爆の剣」ではない。
しかし、その使い方一つで、その剣は「魔法の剣」から
「自爆の剣」へと変化してしまう。
ここで言う「使い方」とは、「いかに運用するか?」に尽きる。

どんなに優れた制度でも、その運用を間違えば、
その制度自体の存在意義がなくなることは言うまでも無い。
本当に否定すべきことは「成果主義」というツールではなく、
そのツールを上手く活用しきれなかった経営者側にあると言っても
過言ではないのだ。

そして、事実「優秀な人材の流出」という「自爆」を
味わった企業の経営者たちは、いよいよ、
「本当に有効な成果主義の運用方法」について、
考えさせられることになる。
なぜなら、それを考えなければ、業界を問わず、
生き残りは不可能だからだ。

つまり、これまでの成果主義は、
「まやかし」という第一段階に過ぎなかった。
そして今、次のステージである「第二段階」に進もうとしている。
ちょうど、その過渡期であると言えるのだ。

成果主義と言う制度は、これからも生物のように「進化」する。
その時代の変化を冷静に見極めながら、私たちサラリーマンは、
会社との付き合い方を、微妙にコントロールしていかなければならない。

(次回につづく。)

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2004年12月10日

成果主義は是か非か?

2000年に入り、各企業で「成果主義」が叫ばれ始めてから4年。
富士通の暴露本がヒットを飛ばすなど、成果主義を取り巻く世論、
環境も、少しずつ変化しつつある時代だといえる。

成果主義という制度自体は、正しく運用すれば、
それなりに経営を改善するための起爆剤になるはずだった。

しかし、運用方法を正しく理解しないまま、
勢いで(親会社の風潮に流されて)導入してしまった
中小企業、関連企業の場合、それが「失敗だったかもしれない」
という事実に、少しずつ経営者サイドも気づき始めている。

そして「成果主義」という言葉の響き、感じ方、捉え方についても、
同じ会社内で、必ずしも統一した思想が保たれているわけではない。

世代、年代、勤続年数やポジションに応じて、その捉え方は
人それぞれ。特に、管理する側とされる側、具体的に言えば、
組合員と、非組合員。その両者の間に存在する「溝」は、
残念ながら、成果主義の導入で「埋まる」という方向には
進まなかった。むしろ「以前より溝を広くした」とも言えよう。

そもそも、同一社内(同一組織内)において、利害が一致していない
状態で、成果主義の統一的な運用を図ろうとすること自体が、
無理のある方針なのかもしれない。
なぜなら、ある制度が導入された瞬間、それを、
プラスの方向に解釈するか? それともマイナスの方向に解釈するか?
は、完全に「個人の判断」に委ねられるからだ。

となると、
「プラス解釈組」と「マイナス解釈組」
の間で、論争、食違い、意見の対立が発生することは
さけられない事実。

そして、このような対立は、成果主義に限ったことではない。
例えば、法律や憲法の問題。
「言論の自由」という言葉があるが、
これを、小説家や政治家に当てはめてみれば
「自分の主張を、堂々と(例えば宗教的な制約などを気にせずに)
発言することができる」という解釈になる。

しかし、マスコミに当てはめてみれば、
暴露系の記事を書いたり、プライバシーを侵害するという
行為に対しても「言論の自由」という解釈を盾にすれば、
それは「都合の良い解釈をされている」に過ぎない。

一つの会社組織の中で、それぞれの社員が、
自分に都合の良いように「成果主義」を解釈する。

例えば、実力派の若手社員の場合
「これからは若くても、実力されあれば、いくらでも
給料は上がる! 青天井だ」という解釈をすることもあるだろう。

一方、管理職、経営者の視点から見れば
「年功による無条件の給料アップをしなくて済む」
という「ベースダウンの言い訳」として利用することも可能。

成果主義で「上がること」を期待している社員。
成果主義で「人件費削減」を期待している経営者。

この両者が「成果主義」という舞台で対立することは、
どう考えても、避けられない事実なのである。

そして、その対立は「強い方に有利」な方向に進む。
つまり、経営者側に有利な判断、解釈がなされたときに、
社員の不満は一気に爆発する。それが、転職、起業、独立への
意欲を増大させることになる。優秀な社員ほど、自己顕示欲が
強いから、その矛先を社外に向けようとする。
そして、優秀な人材の流出が始まる。
富士通の失敗の原因は、そこにもあった。


さて、私たち社員が、これから「成果主義」を
どのように解釈していけばいいのか?
についてだが、一つだけ言えることは
「自分に都合のいいようにだけ、解釈すると不満が溜まる」
ということ。

社員の視点。経営者の視点。
その両方の視点で、バランスよく「成果主義」という制度を分析する。
冷静に判断すれば、その「成果主義」という”道具”は、
私たちを「守る鎧」にもなるし、反対に「傷つける剣」にもなる。
その事実だけは、忘れてはならない。

(次回につづく。)

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2004年12月08日

会社組織のルールを把握したものが成功できる

ギャンブルの世界で、次のような言葉がある。

勝ちたければ、ルールを理解しろ。

これは、当たり前のことなのだが、ビジネスの世界や
現実の世界では、以外にも、軽視されがちである。

ポーカーと麻雀のルールは全く異なるのだから、
ポーカーの達人が、何も知らずに雀荘に行っても、
勝てるはずが無い。

まずはルールをしっかりと把握し、その上で、
ルールにあわせた、最適な戦略を考える。
それが、勝つための秘訣。


これを、ビジネスの世界におきかえて考えてみると、
どうなるか?

当然、ビジネスと一言に言っても、その分野、ジャンルには
様々な種類が存在している。
飲食、IT、不動産、金融、衣料、建築。
それぞれの世界のルールを知らなければ、成功することは難しい。

そして忘れてはならないことがある。
それは「経営者」として成功するためのルールと、
「サラリーマン」として成功するためのルールは
まったく違うという事実。

「雇われる側」も「自分の労働力を販売している」というビジネス
と考えれば、そこには「自分を売り込むためのスキル」が求められる。
ただし、その「売り込み」は、会社の面接スタイルに応じて変えなければ
ならない。

そして、一度会社に入った後は、必要以上に「自分を売り込む」
という必要は無くなる。むしろ、上司に逆らわない「従順さ」が
求められたりする。そこには「自己主張」などというものは不要。


サラリーマンとして成功したければ、まずは
会社組織の風土を理解し、それにあわせた戦略を立てなければならない。
その組織が「何を重視しているか?」を、冷静に見極めるのである。

ビジネスセンスとは「市場の方向性を見極める能力」のことである。
同じように、サラリーマンに求められるビジネスセンスとは
「社内の風潮を見極める能力」のことなのだ。


仮に、あなたが勤める企業が、大手上場企業で、学歴や資格を
重視する風潮があるとする。だとするならば、個人的には「不要」
だと感じていても、時として「社内での評価を高めるために資格を取る」
という行為も、求められるのだ。

逆に「資格や学歴よりも実績」を重んじるような会社ならば、
とことん、その実績を追求し、結果を残せばいい。そちらのほうが
フェアであるとも言える。

ビジネスで勝ち残るためには「変化」に対応しなければならない。
最終的に生き残れるのは、強い者でもなく、賢い者でもなく、
変化できる者、なのである。

となると、時代の流れや、風潮を敏感に読み取って、
「これが求められているのでは?」という直感を頼りに、
商品やサービスを開発していったほうが、成功する確率は高くなる。

サラリーマンには、サラリーマンの攻略法がある。
そして、会社ごとに、戦略を変えなければ、これからのサラリーマンは
生き残れない。

そして、戦略を立てる前提として「ルールを把握すること」は、必須である。
ルールとは、社風、文化、そして「評価の仕組み」である。
どうすれば勝てるのか? はつまり「何をすれば高く評価されるのか?」なのだ。

だが、サラリーマンとして成功できた人間が、
必ずしも、起業家として成功できるとは限らない。
なぜなら、サラリーマンの世界と、起業家の世界とでは
勝つためのルールがまったく異なるからだ。
それは、ポーカーと麻雀の違いのように。

麻雀で勝つためには、麻雀のルールを勉強しなければならない。
しかし、ポーカーでの経験が、麻雀でまったく役に立たないか?
といえば、そうでもない。

大金を賭ける度胸や、不利な立場でも同様しない精神力などは、
ポーカーで鍛えたものが、そのまま麻雀でも役に立つだろう。
しかし、それだけでは勝てない。でも、自信のあるギャンブラーは、
自分の力を過信するのだ。
「俺はポーカーの世界では最強だ。だから麻雀でも勝てる」と。


サラリーマンの世界で成功できなかった人間が、
いきなり起業の世界に踏み出すのは危険である。

しかし、サラリーマンの世界で成功できたからと言って、
起業の世界でも成功できると思い込むのも、やはり危険なのだ。

そこが、どんな世界であろうとも、まずは「ルールを把握すること」が最優先。
それを忘れてしまったギャンブラーに残された道は、借金地獄。それ以外に道は無
い。


(次回につづく。)

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Posted by shiawase3 at 13:13Comments(0)TrackBack(0)

2004年12月06日

人数の多さと、その組織の能力は必ずしも比例しない

「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がある。
一人より二人、二人より三人。
人数が多ければ多いほど、その力も比例して大きくなるという
考え方だ。

しかし、実際の会社組織においては、必ずしも、
この法則が当てはまるとは言えない。

例えば、私のような技術系SEが関わっているプロジェクトの場合、
そのプロジェクトに関わる人数が増えるに従い、
全体の開発工数は、二乗に比例して増えていくことになる。
この現象は、具体的に言えば、

8人のプロジェクト:管理工数 8時間

だとすれば、

16人のプロジェクト:管理工数 64時間

という計算になる。
これは極端な例だが、いずれにせよ、
16人だから16時間
という、単純な計算は成り立たない。
それが、巨大組織を管理するということの難しさだ。

プロジェクトに関わる人数が増えると言うことは、
人間一人に対して、関わってくる他のメンバーとの
意思疎通にかかる時間も、何倍にも膨れ上がると言うこと。

例えば会議。5人でやる会議、10人でやる会議、20人でやる会議。
会議に参加する人数が多ければ多いほど、議論に収集がつかなくなり、
何時間も無駄な時間が経過したという経験は無いだろうか?

しかも、その会議に出席している大半の社員は、
「自分とは直接関係が無い話し」で議題が進んでいるとき、
なにもやることがなく、ただボーっと聞いているフリをするだけ。
そのような「無駄な時間」が大量に発生してしまうから、
作業効率が大幅に落ちてしまう。それが大規模プロジェクトの
落とし穴なのだ。


さらに、やっかいなことは、人間は誰しも
「自分がやらなくても、他のだれかがやるだろう」
という、どこか「他人任せ」的な感情を持っている。
これは、心理学的に言えば「社会的手抜き」と呼ばれる。

例えば、綱引きのようなスポーツをやると、
各個人が持っている能力の合計よりも、少ない腕力しか出ない。
これは、本来、一人ひとりが持っている能力をすべて発揮
できていないという証拠である。
「自分一人が力を抜いてもバレない」という安心感から、
つい力をゆるめてしまうのだ。

おなじように、誰かに呼びかけるとき
「誰か!助けてください!」
とか
「みなさん、聞いてください」
というと、多くの人は
『自分じゃなくてもいい』
と思うので、真剣に聞いてもらえないケースが多い。
だから、そのような場合は
「○○さん、助けてください」
のように、個人名を直接名指ししたほうが
効果があるのだ。

このように、誰もが持っている「社会的手抜き」
の精神が、集団組織における「作業効率の悪さ」
を生み出す原因になってしまう。
だから、チーム全体の進捗が悪い時に、
『じゃあ、人を増やせばいいのか』と安直に判断して、
単なる増員だけでその場をしのごうとしても、
うまくいかないケースがあるのだ。

では、どうすればいいのか?
最も大切なことは、現在、プロジェクトに参加している
各メンバーの責任範囲を明確にし、その内容をオープンにして
お互いに把握することだ。

「社会的手抜き」を起こさせないためには
「自分だけ手をぬていもバレない」という安心感を
排除しなければならない。そのためにも、各個人の分担と
責任範囲を明確にすることが、人員を増やすことよりも
最優先されなければならない。

そして、それがうまく機能するかどうかは、
そのプロジェクトの管理者の手腕が問われるところである。
将棋で言えば「遊び駒」を探す能力。

どこかに「遊び駒」的な社員が存在していると、
周りの社員のモチベーションも下げてしまうという
悪循環を引き起こす。

本来、人数が十分に足りているはずなのに、
それでも「人員の不足」を訴えるような社員が出てきた場合、
それは、各個人の担当、あるいは責任の分担、管理方式に
問題がると考えるのが自然なのだ。

それを考えずに、むやみに人員を増員しても、
現場の社員のモチベーションは上がらないし、
逆に「社会的手抜き」を増徴させる危険性もある。
まさに「火に油を注ぐ」とはこのことだ。

それを踏まえた上で、十分に人員配置を検討しなければ、
無駄な人件費ばかりがかさみ、社員にとっても、会社にとっても、
何のメリットも無い浪費になってしまう。それだけは避けなければならない。

(次回につづく。)

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Posted by shiawase3 at 13:49Comments(0)TrackBack(0)