2004年10月29日

成果主義を否定するか、肯定するか?

最近、成果主義に対する世間の注目や関心が高くなっていることは間違い無い。
富士通の例を始め、表紙に「成果主義」と名のつく書籍も、多数見かけるようになっ
た。

このように、私たちサラリーマンの関心が高くなっていることは、
とても良い傾向だと思っている。
今まで「給料は会社から決められるもの」だという受動的な考え方から、
「自分の実力次第で給料は上げられる」という能動的な考え方に
変化するためのきっかけを作ることができるからだ。
そうやって、少しずつ全体の意識を変えていくことにより、
日本の企業全体の体質や風潮も変えていくことができるのだろう。

しかし、一方で、すべての物事や変化に対して、
否定的な意見や考え方しか持てない人が存在しているのも事実。
これはとても悲しむべきことだ。

人間は、根本的に、安定を好む生き物。
なぜなら、本能的に「安全欲求」があるから。
つまり、危険を避け、安全を求めようとする欲求。
もちろんそれ自体は、必要なことだし、生命を守るためにも
大切なことだ。

しかし、一方で、人間には「自己実現欲求」が存在しているのも事実。
これは高次元の欲求。

例えば、猿はバナナを取ろうとするが、
もし、南国に大量のバナナがあることを知っても、
決して、飛行機を作って、南国まで飛んで行こうとは考えない。
飛行機に乗って墜落して死ぬリスクを考えた時に、
それよりも、今いる安定した場所に居るほうが、
居心地が良いからだ。

私たち人間も、例えば、理髪店や美容室、病院、飲食店
など、いつも行きなれたところを、どうしても選んでしまう傾向がある。

もしかしたら、もっとサービスの良い店が、近くにあるかもしれない。
しかし、行きなれた店のほうが、恥をかくリスクも少ないし、
気を使わなくていいから、楽なのである。

つまり、人は「変わりたい!」あるい「変わらなきゃ!」
という欲求を持っている一方で、でも「変わること」に対して
抵抗するという欲求も持っている。
そういう意味では、人間は誰もが、自己矛盾を抱えて生きているとも言えるのだ。

さて、この考え方を、成果主義の導入に当てはめて考えてみると
どうなるか?

これまで慣れ親しんだ年功制度。そこから成果主義という
新しい風潮に変化しようとしている時、その変化に対しては、
必ず抵抗勢力が表れてくる。
なぜなら、心が「変わらないことで確保されるであろう安全」
を強く求めるからだ。

もちろん、それ自体は悪いことではない。
ごく自然な、人間としての生理現象とも言えるだろう。

しかし、問題なのは、その意見に固執しすぎて、
別の視点から述べられた意見に対して、耳を貸そうとしないこと。
それが一番の問題なのである。

全ての事柄には、必ずメリット、デメリットがある。
しかし、その事柄を潰そうと思えば、どうしても、
そのデメリットばかりを強調する発言や主張による議論
になってしまう。それでは何も進展しない。


例えば、言葉1つの受け取り方だってそうだ。
分かりやすい例として「頑張って下さい。」
という言葉があるが、これを

「励ましの言葉をくれたんだ。ありがとう」

と受け取るか、

「じゃあ今は頑張ってないとでも言いたいのか?」

と、否定的に取るか?

それは、本人の考え方や解釈の違いであり、
根本的には、その言葉を発した本人の責任ではない。


同じように、会議で何か新しい主張を発言した場合、
「じゃあ、今までの方法は間違っていたとでもいいたいのか?」
としか解釈できないような人には、残念ながら未来は無い。

成果主義というテーマ1つにしても、
とても奥が深いし、たった数時間の議論で
片がつくような薄っぺらい問題ではないことは事実。
だから、成果主義だけで一冊の書籍になるぐらいの
議論や考え方が存在しているのだ。

ある1つの情報を得た時に、
それをプラスに捉えるか?
それともマイナスイ捉えるか?

出来ない理由を考えるより、出来る理由を考える。

とても基本的なことだが、それが難しい。
理屈では分かっていても、実際に行動できないことのほうが多いからだ。

しかし、それでも、少しずつ変わらなければならないとしたら、
あなたは今、あなたの目の前に訪れている言葉や問題、指摘を
どのように解釈するだろうか?

その解釈の方向性1つで、
あなたの人生と将来の方向性も大きく変わることは
間違い無いだろう。

(次回につづく。)

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2004年10月27日

成果主義と年功制度のバランスを考える

これまで、このブログおよびメルマガにおいて、
成果主義に関する記事は、何度も書いてきたし、
取り上げてきた。
しかし、私は個人的に、成果主義そのものを否定しているわけでもないし、
かと言って、100%推奨しているわけでもない。

重要なのは、旧来の年功序列型賃金制度と、
成果主義賃金制度の、両方のメリット、デメリットを
冷静に比較、検討、分析し、
それぞれの仕組みの利点を生かした落としどころを、
どうやって見つけていくか? だと考えている。

*

旧来の年功序列型から、現在の成果主義過渡期状態に
移行する前は、職能給制度が広く普及していたが、
職能給制度における「職能」とは、事実上の年功。

なぜなら、社員数が多くなればなるほど、
その社員一人ひとりの能力を的確に判断することは難しい。
それだけでも膨大な作業であるし、そればかりやっていては
会社として売上を上げることなどできない。

だから、安直に考えると

年齢が高い → 勤続年数が多い → 経験も実績もある → だから能力がたかいはず

という結論を出すしかないのだ。
だから、職能階級という名の年功制度。


しかし、この考え方自体を否定するつもりはない。
なぜなら、あらゆるビジネスには「投資の時期」が
存在するからだ。

どんな企業でも、最初からブランド力を持っているわけじゃない。
堀江社長は「ライブドア」というブランド名を買ったのある。
旧社名「エッジ」にこだわらず、ブランドを買ったほう早いと考えた。

つまり、ブランドの構築には、莫大な時間や宣伝費がかかるし、
マスコミ対策なども重要になってくる。
本来のライブドアの設立者にしてみれば、
せっかく育てたブランドを、堀江社長に持って行かれて
あまり良い気分はしなかったかもしれないが、
業績が悪化している以上は、仕方ない選択だったのだろう。

もし、今の仕事が「これまで蓄積されたブランド力あるいは
顧客との信頼関係」によって受注されているものなら、
そこに至るまでの「ブランド&ラポール構築期間」に尽力を
注いだ人たちへの評価は、どうするか?

これまで何十年も働いてきた世代なら、次のように考えるのではないか?
「俺たちが今まで汗水たらして作り上げてきた会社のブランド力が
あるからこそ、今の仕事の受注につながっているんだ。
その『いちばん美味しいところ』を、後から入ってきた若い
連中に横取りされ、そのうえ「成果主義だから若くても
給料をたくさんよこせ!」なんて、虫が良すぎないか?」

私自身は、若手社員の部類に入るのだが、
もし、このような考えをもっている上司あるいは
管理職の方がいたら、それはまったく、そのとおりだと思う。
成果主義は、年配者の過去の実績を否定するものではないし、
成果主義が導入されたからと言って、若手社員が、
年配社員に対する敬意を払わなくて良い、ということにはならない。

しかし一方で、経営者の立場からすれば、
「長年、会社のブランド力構築に貢献したんだから、
もう仕事しなくてもいいだろ? でも給料はたくさんもらうからな。」
と考えている「社内セミリタイヤ管理職集団」に渇を入れたい
という気持ちもあるだろう。
事実、年配者の人件費が経営を圧迫するという事実を
目の当たりにすれば、まだまだ管理職世代にも、
本気を出してもらわないといけない、と考えるのが自然。

だが、最近の成果主義という言葉に植え付けられたイメージは
「頑張っている若い社員の評価を高めて、もっと頑張ってもらおう」
というものに終始しているような感じがしてならない。

もし、若手社員のモチベーションを高めることだけが理由で、
成果主義を導入している会社があるとすれば、
それは逆効果になる危険性がある。

つまり、成果主義を導入することの目的を、
もっと細分化して、世代別に与える影響を考慮しなければならない。

若手社員にとって、成果主義はどのような心理的影響を与えているのか?
中間管理職にとってはどうか?
部長、本部長クラスにとっては、どう映っているのか?

単なる「全体的な賃下げ」が目的なのだったら、
そこまで細分化しても意味はないのだが、
もし、本当に会社の業績を上げることを目的とした
成果主義の導入だとしたら、その影響を調査し、
運用方法を十分に検討しなければ、本来の目的を達成することは難しい。

もちろん、現段階では、成果主義を導入して成功した事例が少ない。
富士通の失敗例は、多くの企業に教訓を与えたことは事実だが、
それを受けて、トヨタやキャノンが今後、どう動くのか?

業界全体の「成果主義運用ノウハウ」を見つめながら、
それを自社にどう適用していくべきか? を真剣に考える。
それは、経営者に与えられた課題でもあるし、
私たち、社員一人ひとりに与えられた課題でもあるのだ。


(次回につづく。)

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2004年10月25日

自分への評価に満足しているか?

主観と客観。
自分のことを客観的に分析できなければ、
冷静かつ公平な判断は出来ないが、
だからといって、多少の主観による主張が無ければ、
人生、つまらない。

では、サラリーマンの「評価」においては、
主観と客観を、どのように切り分けて
判断すればよいのだろうか?

成果主義という言葉が既に広く浸透しつつある今、
本当の意味での「評価」とは何か?
を、各社員一人ひとりが、真剣に考え始めている時期に来ている。

しかし、実際のところ、部下を評価するのは上司であり、
その上司が持っている「主観」に左右されやすい。

もちろん、上司だって、完璧な人間であるはずがない。
裁判官だってミスをするのと同じように、
どんなに優秀な上司であろうとも、その部下に対する
評価が、絶対的に正しく、かつ公平であるなんて、
だれが言い切れるだろうか?

*

しかしながら、他人に評価され続ける人生は、今に始まったものではない。
いわゆる「優秀な社員」と呼ばれる人たちは、学業における成績は
優秀であったに違いない。先生が生徒を評価する。
上司が部下を評価する。つまり「他人という第三者から評価される環境」
を前提として生き抜いてきたものが、結果として、大企業に勤めることに
なっている。


もちろん、学校の試験のほうが「点数」という客観的な指標で
評価されていたから平等だった、という意見もあるだろう。
しかし、テストの点数は、その配点や問題の出し方によって
大きく左右される。

例えば、同じテストの結果でも、
Aという問題に配点を多くするか?
Bという問題に配点を多くするか?
で、全体の順位は大きく異なる。

そして、どの問題の配点を大きくするか?
は、その問題の作成者の主観に依存してしまう。
つまり、点数自体は客観的なデータであっても、
その点数を生み出すベースとなる
問題構成や配点には「なんとなく」という
主観が必ず含まれてしまうのだ。

だとするならば、もはや完璧な試験問題など作れるはずもなく、
やはり、そこには、少なからずの主観が含まれる。

ようするに「上司の主観による不平等な評価」は、今に始まったものではなく、
小学校の時から、既に始まっていたのだ。
そもそも、完璧な評価システムなんて、存在しないのだから。

しかし、少なくとも、学生時代は、
成績順でランクをつけられることに対して、
自分の運の悪さ(テストで山が外れたなど)や、
自分の能力の低さを認識することはあっても、
「その評価は不平等だ」と怒る学生は
あまりいなかったに違いない。

となると、ある評価システムにおいて
「その評価を不平等だと感じるかどうか?」

「実際に、その評価が不平等であるか?」
は、別問題であると考えるのが妥当だ。


だとするならば、その評価に対する「平等性」が感じられるかどうか?
は「納得」の問題であり、実際の評価システムの性能には依存しない。

つまり「万人が納得できる理由やデータ」があれば、
もはや、その評価システムに対する不満は発生しないのである。

では「万人が納得できる理由やデータ」とは、具体的に何を差すのか?
学生時代なら、それは間違いなく「テストの点数」であった。
つまり『悔しかったら、100点を取ればいい』と言われたら、
もう反論できない。

一方、サラリーマンの場合、どうだろうか?
従来の年功制度を前提にするならば、
給料の額を決めるのは「年齢または勤続年数」であった。

つまり、本人の実力云々とは関係なく、ただ、
『あの人は長く勤めているから給料が多い』
『あの人は年が上だから給料が多い』
といわれたら、納得せざるを得ない。

そこには「年齢または勤続年数」という絶対的な客観データが
存在しているのだから、誰も反論できなかった。
もちろん、その評価システムが正しいかどうか?
という議論をするならば、それに疑問を抱いていた人は
多かったに違いない。
しかし、それを覆すほどの画期的な仕組みを
だれも提案できなかったから、納得せざるを得なかったのだ。
そして「納得」には、不満を抑える力がある。
だから、組織として、上手く成り立っていたのだろう。


だが、ここにきて、成果主義という概念。
このシステムを導入したからといって、
全体的な平均賃金が上がることは無い。
下がることはあっても。
なぜなら、会社の利益が上がらない限り、
原資は絶対に増えるはずがないのだから。

となると、成果主義の本質は「残ったパイを奪い合う」
という構図。
そこで、自分と他人に対する評価の平等性について
関心が今まで以上に高くなるのは言うまでもない。

そこに、曖昧な成果評価基準を適用してしまうと、
誰もが主観的に自分を評価してしまうことは明らかだ。
「自分こそが最も多くのパイをもらうに相応しい社員だ」と。

今、成果主義の中で不満が蓄積されつつある職場にとって、
最も必要とされているもの、それは「納得」である。

そのデータが本当に平等であるかどうか?
よりも「そのデータに基づいて評価すれば、
誰もが納得せざるを得ない」というような、
絶対的な威力を持つ「納得するためのデータ」が必要なのである。

それは、売上かもしれないし、点数かもしれないし、
年功かもしれないし、資格の数かもしれないが、
いずれにせよ、それを見つけることができなければ、
会社の中で「納得できない」という不満が蓄積され、
同じ職場内での「パイの奪い合い戦争」が激化することは
目に見えている。それはやがて、組織におけるチームワークの
崩壊を生み出すのだ。


(次回につづく。)

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2004年10月22日

ぬるま湯の「ゆでガエル社員」にならないために…

ある銀行における女子社員の雇用形態の変化について
述べられている書籍に、次のようなことが書かれていた。

*

同じ仕事でも、正社員とパートでは、時給が大きく異なる。
窓口を担当する女子社員(正社員)は、年収600万円。
時給換算すれば数千円だ。それに対して、フロアに立って
お客様を案内する係りは、すべてパート。時給は800円。
そして、それらのパートは、すべて元は窓口で働いていた
女子正社員。

女子正社員が結婚して家庭を持ち、子供が産まれると、
どうしても、正社員時代のように、時間を束縛される
雇用形態を嫌う傾向が出てくる。ならば、パートタイマー
制にすることで、退職後の女子社員の雇用も確保できるし、
銀行側も、優秀な人材を安い賃金で働かせることができる。

窓口の中にいるか、外にいるか。それだけで大きく時給が違ってくる。
本人の能力云々より、雇用形態が収入を決める時代だ。

*

時間的な自由を求めるか? それとも、経済的な余裕を求めるか?
それは、本人の人生観や価値観に大きく左右されるから、
どれが一番良いとは、一概には言えない。

ただ、問題視すべき点は、本来ならば、時給数千円をもらえるだけの
実力を持っている女子社員が、なぜか、安い賃金で働くことになり、
しかも、労働者も、それを納得せざるを得ない状況になっているということ。

つまり、高い賃金が欲しければ、組織に時間を束縛されることを
前提にしなければならないという考え方。
そうなると「給料の額は束縛時間で決まる」という風潮から
誰もが抜け出せなくなる。

*

確かに、私自身、SEという立場から見ても、
自分が担当しているプログラムを、もし、学生のアルバイトを
雇って作らせたら、もっと安く作れるだろうと思うときがある。

だが、正社員が作ると、どうしても人件費が高くなる。
そこには、会社としてのブランド力も加わり、開発費も上乗せされるからだ。
しかし、プログラムの場合、誰が作ろうが、仕様をきちんと満たし、
動作が正常ならば、何ら問題無い。


マクドナルドのハンバーガーは、学生バイトが作る。
私も、学生時代は、ロッテリアでバイトをしていたが、
自分で作りながら「俺みたいな素人が作ったハンバーガーを、
よく数百円も出して買うよなぁ」と思ったことが何度もあった。
しかし、買う側からしてみれば、それを誰が作ろうが、
あまり関係ないのも事実。それがブランド力。


つまり、ブランドというベールに包まれた人なら、
その実体が正社員であろうと、学生であろうと
消費者から見れば、あまり関係が無い。

では、このような雇用形態の中で、正社員の存在意義や位置付けは、
どのように考えていけばよいのだろうか?

*

もし、正社員であることに甘んじて、そのぬるま湯に慣れてしまい
いわゆる「ゆでガエル社員」になってしまったら、
もし、会社のブランドによるベールがはがされた時、
間違いなく、即死するだろう。

一方、安い賃金でありながら、本物の実力を持ち、
限られた時間と条件の中で、最大限の成果を上げようとする
パートタイマーの場合、正社員と比べて「保証が無い」分、
実力をアピールして、必死にしがみつこうとする。
言わば、北極の極寒の海をさまよう、生命力の強いカエル。

もちろん、正社員であること自体は、否定しなくてもいいし、
誇りを持つべきだ。しかし、少しでも「ぬるい」と感じている
部分があるのならば、それに甘んじていると、いざと言う時に、
真っ先に殺されてしまうカエルになることは間違い無い。

(次回につづく。)

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2004年10月20日

これからの会社と社員が生き残る方法


ビジネスのライフサイクルが短くなっているという前提に
立つならば、今後益々、人材の流動化が加速されることは
間違い無いだろう。

戦後のインフラ整備時代、1950年から2000年までは、
電気、道路、鉄道、通信、ダム等をはじめとするライフライン確保
のインフラに、莫大なエネルギーが投資されてきた。

そのインフラビジネスを柱として、それに付随する関連企業
が潤い、情報交換と物流が促進され、通信業界や物販、量販店
が潤ってきた時代。

インフラの整備と保守には、膨大な費用と時間がかかる。
つまり、ビジネスモデルとしては、数十年レベルの
大規模なビジョンが必要だった。

仮に、1つのインフラビジネスが30年続くとすれば、
新卒で入った25歳の社員が、ちょうど55歳になるころには、
そのビジネスは終息を迎えていたが、55歳で管理職、
あとは退職金を貰って定年待ち、という状態。
それが、現在の大企業の姿。


インフラ系のビジネスが終息を迎えると同時に、2000年を
過ぎてから、人口の減少と、高齢化が、もはや一般常識となり、
広く私たちの意識の中に浸透している。労働人口が少ないから、
消費も少なくなるという自然な流れだ。

となると、これまでのインフラビジネスのように、長期的かつ
大規模で、安定した収益が見込めるビジネスチャンスは、
限りなく少なくなりつつあることが分かる。

つまり、今後は、これまで整備し尽くされたインフラを活用し、
いかに、その上に、付加価値を見出していけるか?
が勝負なのだ。

パソコンで言えば、OSは既に完成され、もはや改善の余地が無い
状況になったとき、あとは、いかに、そのOS上で動作するアプリケーション
を開発するか? が勝負になってくる。

OSのライフサイクルに比べると、アプリケーションの寿命は短い。
流行りすたりもあるし、時代に合っていなければ、だれも買わなくなる。
OSのように普遍的なソフトウェアでない限り、
長期的に安定した収益を上げるのは難しい。それがソフトウェアビジネスの
難しいところだ。

アプリケーションソフトウェアを、社員という人材に
置き換えて考えてみると、どうなるか?

既に、社会基盤は完成され、物質的な豊かさに飽き始めている。
モノは溢れ、オフィスビルも住宅も余る。

となると、ハードからソフトへ、つまり精神的な満足度、
あるいは、これまでは味わえなかった優越感、高級感、癒し
などを求めるビジネスが主流になってくることは間違い無い。

ただ、それは、単なる雑貨やレジャーという観点だけでは
語り尽くせないだろう。
ニーズからウォンツへという言葉に従うならば、
確かに、戦後は必要なもの(生活必需品)が売れたが、
高度成長期、豊かになると「不要だけど欲しいもの」
への欲求が高まった。コンピューターゲームや
ディズニーランドがそうだ。

そして次の流れ。
ニーズ → ウォンツ →

今、ウォンツが無い状態。つまり、誰もが、お金が無いが、
欲しい物も無いし、何が欲しいのかもわからない。

そのような時代において、まず必要なことは
「新しいウォンツ」を気づかせること。

お客は既に、ウォンツを持っていないのだから、
売る側が、まずウォンツから作り出さなければならない。

それは、今まで思いもつかなかったようなコンセプトや盲点。
そこに気付くためには、常に新しい情報を仕入れ、
変化しつづける能力が問われる。
だからこそ、変化しつづける人間は、流動的な流れを逆手に取り
自分に有利なように、仕事の条件や職版環境を
次々と着替えていくことができるのである。

最近、歯の「ホワイトニング」ビジネスが急速に伸びている。
これまで、歯科医の位置付けは「歯の治療をするところ」だった。

だが、ホワイトニングは「歯を白くすること」だけに特化したビジネス。
それは治療ではなく、エステ感覚で、健康な歯の持ち主が通うという
新しいコンセプトによるウォンツを生み出したのだ。
歯を白くするためだけにお金を使うという観点。
ここに、新しい市場を作り出すことができる。


このような例は、これからいくつも出てくるだろう。
歯科医業界で生きていくためには、何も歯科治療の技術力だけで
勝負する必要はない。自ら新しい市場を生み出し、そこに
一番先に参入してしまえば、戦わずして、一番になれる。

これからの人材に求められるのは、視点の鋭さと発想力。
そして、そのアイデアを実現させるのが、組織力や資金力。

アイデアを持つ人材と、それに賛同する企業が手を組む。
すでに、それは雇用関係ではなく、対等なビジネスパートナー
としての位置付けである。新しいBtoCの形かもしれない。

(次回につづく。)

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2004年10月18日

成果主義がもたらす最大のリスク

今朝、関東JRのダイヤ改正の影響で、
通勤に多少の混乱が生じていたようだ。
Suica+グリーン券の導入も始まったようだが、
やはり、これまでの習慣を変えるときには、
多少の混乱という「痛み」を伴う必要がある。

企業における変化。成果主義が導入され、
会社での社員評価の価値観が変わりつつある今、
ちょうど過渡期にあたり、それに伴って、
痛みを感じている世代も多いだろう。

そういう意味では、現在は「混乱期」とも言える。
書店に行けば、タイトルに「成果主義」と書かれた
書籍も多数見かけるようになった。
世の中の関心が高いという象徴だろう。

関心が高くなっていることの1つの要因は、
そもそも、成果主義とは何なのか? 的な
疑問を解決したい、という気持ちがある。

自社で導入されようとしている成果主義。
その得体の知れない怪物と戦うためには、
もう、これまでの戦術は通用しなくなっているのも事実。
だから、その実体を知り、社員一人ひとりが、
有効な対応策を見つけようとしている。

今後、5〜6年、2010年頃までは、
成果主義に対して、今のような混乱状態が続くだろう。
しかし、2010年を過ぎた頃から、誰もが気付き始める。

究極的に言えば、成果とは「いくら稼げるか?」に
他ならない。時間的な努力や、資格の量ではなく、
単純に「稼いだものが勝つ」という考え方。

となると、副業や週末起業に走る社員が増えるのは確実。
社内で努力するより、社外で努力したほうが儲かる確率は
高い。失敗する確率も高いが、死にはしない。

そして、お金の稼ぎ方は、1つではないことを知る。
自分の市場価値を確かめようとする。
最終的には、全てのサラリーマンが、年俸制に
なるぐらいの勢いだ。

プロ野球で考えてみると、去年まで一緒にプレイしていた選手が、
翌年には、ライバルチームに移籍し、敵対関係になるというのは
ごく当たり前の話し。選手も、儲かるほうに行くのは当たり前。
そのようなドライな一面も、プロ野球の魅力の1つと言える。

あるチームでは「戦力外」を通告された選手が、別のチームでは
とても重要なポジションに付いたりする。
また、選手の実力は、単に野球のプレイ能力だけでなく、
知名度や人気度も、重要な要素である。
集客力のある選手が入れば、球団の利益も上がるからだ。

サラリーマンの世界でも、人員のトレードが横行し、
技術や知識が流出するという危険が発生するだろう。
去年までE社にいたものが、その技術を持ったままS社
に引き抜かれる。IT業界でも、自動車業界でも、
すでに、ごく当たり前のように行なわれている。

もちろん、引き抜きされるような優秀な社員はごくわずかだろう。
だか、今後は、すべての社員をアウトソーシング的な扱いで
採用すれば、トレードもプロジェクトごとに実施され、
人材が流動的になることは避けられない。
評価されないのならば、別のチームに移動する。
それが成果主義の本質。

つまり、成果主義の導入は、人材の流動化による
情報資源の流出というリスクを誘発するのである。
優秀な人材であろうとも、そうでなかろうとも、
ある一定の情報や知識を持っていることは事実。
その情報資源を、もはや社内に「囲い込み」しておくことは不可能。

終身雇用を認めないということは、情報や人材をオープンにする
ということだ。そのほうが経済全体は活性化するだろうが、
となると、今後は、特許や権利関係を押さえるという観点での
戦略が必須になることは間違い無い。

(次回につづく。)

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2004年10月13日

なぜ会社は変われないのか?

何か新しいことを始めようとすれば、
そこには、必ず、それに対立する勢力が発生する。
飛行機で言えば、向かい風。
だが、向かい風があるからこそ、飛行機が上昇できるのも事実。
だとすると、ある程度の空気抵抗は必要なのだろう。

*

携帯電話の妨害装置が、
フランスで認可されたというニュースを
Yahoo!で見た。

映画館や劇場など、特定の個所のみで、
妨害電波を流し、携帯が使えないようにするという
措置が合法的に認められたのだ。

もちろん、法律云々の前に、マナーの問題がある。
「館内では電源をお切り下さい」のアナウンスに従わないからこそ、
法律で認めさせるしかなかったのだろう。苦渋の選択だ。


映画を静かに見る権利。
緊急時、電話に出る権利。

そもそも、携帯電話の普及が、
「いつでも連絡が取れるのが当たり前」という大前提を
生活の中に浸透させてしまったから、
その前提が崩されるのは、誰もが不安を感じる。

このように、一度社会に浸透した文化は、
そう簡単には変えられない。だから、時として、
法律による強制力が必要になる場合がある。それはやむをえない。

*

そして、この現象は、会社という組織においても、例外ではない。
特に、組織の規模が大きい上場企業の場合、これまで数十年もかけて
築き上げられてきた社風や文化を変えるのは、簡単ではない。

2000年代に入り、誰もが「このままではヤバイ。変わらなければ・・・」
という風潮を、敏感に感じ取っているのは間違い無い。
それは、若い世代でも、管理職世代でも、同じ意見だろう。

しかし、実際に「変われるか?」となると、それはまた別問題である。
若い世代と、管理職とでは、利害が異なるケースが発生するからだ。
それは、言うまでも無く、年功序列 VS 成果主義。
それぞれに賛否両論がある以上、その議論は、永遠に平行線を辿る。
なぜなら、そもそも、それを議論するものたち同士の利害が対立しているからだ。

*

もし、映画館の中で、自分が映画に集中したい時、
周りの人間が、携帯を使っていると、頭にくるだろう。

しかし、逆に、自分が大切な連絡を待っているとき、
強制的に圏外にされるのは納得がいかない。マナーモードに
しておけば、問題無いじゃないか、という意見もあるだろう。

同じ状況でも、立場が違えば、その意見は180度異なり、対立する。
その対立は、絶対に避けられない。
だからこそ、今回、フランスの法律は「使用禁止」に軍配を上げた。

そして、この決定が、その他の施設(電車内や病院内、学校などの公共施設)
での携帯使用条件にも影響を与えることは間違い無い。
日本での携帯マナーへの意識も変わってくるだろう。

*

本当に何かを変えたければ、そこには、時として、法律のような、
絶対的な影響力が必要になる。
これまで、日本の会社を支えてきた年功序列、終身雇用が崩壊しつつある今、
それに合わせて、あるいは、それを前提として作られてきた、日本の税制や
労働基準法も、根本的に見直す時期に来ているのではないだろうか?

そのためには、私たちサラリーマン一人ひとりが、
税制や年金、法律について、もっと関心を持ち、知識を深めなければならない。

事実、社会保険労務士(労働基準法などに関する専門知識を有する資格)
を受験するサラリーマンも増えてきていると言う。

いざ、会社からリストラを言い渡された時に
「それは違法です!」と、会社側に主張するための知識を
身に付けるという意味では、自己防衛策の一環とも言えよう。

しかし、本当に大切なことは、仕組み、つまりルールを少しずつ
改善していくことだろう。
携帯を使いたい人と、映画を静かに見たい人が、お互いに譲り合い
共存できるように。

そして、それと同じように、サラリーマンと管理職(経営者)が、
お互いに、ベストな選択肢を導き出せるように、
その仕組み作りを考えていくことが、これからの大きな課題の1つと
言えるだろう。

(次回につづく。)

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2004年10月11日

会社を辞めれば自由な時間が得られるのか?

サラリーマンには時間の自由が無い。
会社を辞めれば、自由な時間が得られる。

このような言葉は、あなたも聞いたことがあるだろう。
しかし、本当に、そうなのだろうか?

そもそも、時間とは、誰にでも平等に24時間与えられているもの
であり、会社に勤めようが、会社を辞めようが、その物理的な
時間量には、一切違いは無い。

確かに、サラリーマンは、平日の8時から17時までは、
会社に拘束されていると言えなくも無い。
しかし、その代わりに、土日や年末年始、盆休み、
有給休暇など、確実な「非拘束」の時間も与えられている。

さらに、拘束されていても、仕事をしていない時間がある。
例えば、会社の椅子には座っているが、ボーっとしている時間。
または、会議に出席中、自分とは関係が無い話で、議論が白熱しているとき。

そう考えると、本当の意味での拘束とは何なのか? 不自由とは何なのか?

会社を辞めると、いつでも自由に休めると考えている人がいる。
しかし、それは大きな間違いだ。なぜなら、会社を辞めるということは、
仕事を辞めるということであり、収入源を失うことに他ならないからだ。

つまり、本当の自由とは、会社を辞めただけでは手に入らない。
会社を辞めて、働かなくても収入が得られるようになって、
はじめて手に入るものなのだ。

では、自営業者やフリーランサーが、サラリーマンよりも
自由な生活をしているか? と言われれば、どうだろうか?
もちろん、人によっては

「私はサラリーマン時代よりも少ない労働時間で、
サラリーマン時代よりも多くの収入を得ています」
という人もいるだろう。

しかし、それは、ただ単に、彼らが「濃い仕事」を
しているだけであり、働いた結果でしかない。

「濃い仕事」とは、今まで8時間でやっていた仕事を
6時間あるいは4時間で終わらせるという意味。
もちろん、クオリティーはそのままで。

具体的に言えば、会社にいたとき、一日8時間勤務していたが、
そのうち2時間は無駄な会議に出てボーっとしていたのならば、
実質労働時間は6時間である。

つまり、会社にいようが、いまいが、8時間でやっていた仕事は
実質、6時間あれば十分な内容だったということになる。
会社を辞めて、無駄な会議に出なくて済むようになった分だけ、

「私はサラリーマン時代よりも少ない労働時間で、
サラリーマン時代よりも多くの収入を得ています」

と感じるようになっただけであり、
それと同じことは、会社を辞めなくても実現可能なのである。

会社の中にいると、どうしても、そこにいるだけで給料がもらえるという
状況に甘んじてしまい、そもそも、時間を節約しようという考え方が育たない。
残業代を稼ぎたいという気持ちもあるからだ。

しかし、フリーや自営業になった瞬間から、自分の時間に対する
コスト意識は究極に高まる。その結果、無駄を省いたからこそ、
今まで8時間かかっていたものが、6時間や4時間でこなせるようになるのだ。

つまり、会社を辞めたから、自由な時間が増えたのではなく、
会社を辞めることによって、自分の時間へのコスト意識が高まったから、
その結果、仕事を効率的に実施できるようになって、自由時間が増えたのだと
考えなければならない。

それを意識せずに、ただ
「フリーの人は、自由でいいな〜」
と考えるのは、ちょっと違うのではないか。

本当の自由を手に入れるために必要なのは、徹底的な時間へのコスト意識。
それを身に付けるかどうか? は本人の考え方や姿勢次第であり、
会社を辞めるかどうか? には、根本的には関係しないのである。

仕事が速い社員は、会社を辞めても速い。
仕事が遅い社員は、開始を辞めても遅い。

ただ、それだけのことだ。


(次回につづく。)

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2004年10月08日

どうすれば作業効率が上がるのか?


「いつも時間が無い人」というのが、
必ずしも、大量の仕事を、生産的に
こなしているとは限らない。

もともと、処理能力の高い人が、
たくさんの時間をかければ、
作業効率が上がることは間違い無いのだが、
その前に「処理能力を高める」という仕事を
終わらせておかなければ、いくら、
物理的な時間量だけを増やしたところで、
全体の作業効率が上がるはずが無い。

この事実を、分かりやすく表現した、次のような話しがある。

----------------------------------------------------

きこりが、木を切っていた。
一生懸命に、休みもせず、一日中、汗だくになり、必死で。
でも、思うように、作業は進まない。

そこを通りかかった村人が、そのきこりに、
つぎのようなアドバイスをした。

『そんな古い、刃の欠けた斧では、木を切りにくいぞ。
だから、まずは、その手を休めて、斧を研ぐことに
集中したらどうだ?』

すると、きこりは、次のように答えた。

『私は忙しいのだ。一本でも多く、木を切らなければならない。
だから、斧を研いでいる暇なんて、無いんだよ。』

----------------------------------------------------

これと同じ現象が、あなたの職場でも、起こっていないだろうか?
忙しい、忙しい、忙しい。時間が無い、時間が無い、時間が無い。
そうやって、一生懸命頑張っているように見えるが、
実は、とても無駄な作業をやっているというような悲劇。

客観的に見たら、もっと効率的な方法が、すぐにアドバイスできる。
でも、その人が、聞く耳を持たなければ、その本人は、いつまでも、
その「忙しいスパイラル」から抜け出せない。

特に、入社して間もない新人の場合、仕事の本質、
つまり「どこから利益が出ているか?」という本質が
見えていないケースが多い。
実務経験が少ないから、それは無理も無いだろう。

彼らは、学生時代は、優秀だったかもしれない。
一生懸命に勉強し、問題集を完璧にこなし、知識を100%吸収する。
そうやって、試験では良い成績を上げてきたのだろう。

しかし、本来、ビジネスとは、良くも悪くも
「いかに楽をして、最大の効果を上げるか?」
が求められるものである。

つまり、

「一生懸命、必死にやって、100点」

よりは、

「勉強せずに、楽して、100点」

のほうが、ビジネスの観点からすれば、
高い評価に値するのだ。

だとすれば、試験前に、先輩から、過去の試験問題を
入手して、一夜漬けで満点を取ったり、
友達のノートやレポートを効率良く写させてもらう
ような行為を繰り返しながら、修羅場を潜り抜けてきた
学生のほうが、ある意味では、ビジネス感覚が
養われているとも言える。

先ほどの、きこりの例で言えば、ちょっとずる賢い
学生ならば、斧を研ぐのが上手い友人のきこりをおだてて、
「ついでに私のも、研いでくれないか?
そのかわり、木を一本あげるから。」
のような行動を取るのだ。

しかし、真面目すぎると、斧を研ぐことすら考えつかないし、
もし、研ごうと決めても、その研ぎ方を、ゼロから覚えようとする。
それでは、いくら時間があっても、足りるはずが無い。

会社のメリットは「組織力」である。
つまり、組織の力を活用してこそ、会社員であることの最大の恩恵が
受けられるし、生産性も、掛け算式で伸びていくのだ。

これがもし、個人事業者ならば、経理や事務も、すべて
自分でこなさなければならなくなる。

しかし、会社と言う組織、部、課、係というチームがあるのだから、
自分よりも優れたスキルを持つ人材が周りにいるならば、
それがたとえ、同僚だろうと、部下だろうと、上司だろうと、
庶務担当だろうと、徹底的に、使い倒さなければならない。
それぐらいの気持ちが無ければ、いつまでたっても、
大量の木を切り倒すことは不可能。


もし、あなたの職場に、頭の固いきこりのような
社員がいるとしたら、あなたは、通りがかりの村人のように
アドバイスをしてあげられるだろうか?

そうすれば、職場全体の効率が上がり、無駄な残業が減るから、
アフター5も楽しい。会社の利益にもなる。まさに、一石三鳥
なのである。


(次回につづく。)

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2004年10月06日

「忙しい、時間が無い」への対処法

次のような言葉がある。

『金が無いから何も出来ないという奴は、
金があっても何も出来ない。』

同じように、

『時間が無いから何も出来ないという奴は、
時間があっても何も出来ない』

のだろう。

会社で暇な時に何をするか? で、
その社員の人生が決まる。

時間が無い、時間が無い、と、
忙しさを言い訳にしている人ほど、
ふと、暇になってしまった時に、
その貴重な時間を有効活用できない。

本来、日本語として「時間が無い」という表現は、
適切ではないのかもしれないと、最近、考えるようになった。

時間は、誰にでも、平等にある。24時間。
つまり、時間が「無い」のではなく、

「その作業のための、時間を使いたくない」

あるいは

「あなたのために、時間を割きたくない」

というのが、正しい表現なのだろう。
これは、お金にも同じことが言える。

数億円の買い物は別としても、
数万円、数十万円のものなら、たいていのサラリーマンなら、
無理すれば買えるはずだ。でも、

「お金が無いから・・・」
と言う。でも、本当は、
「その商品のために、お金を使いたくない」だけなのだ。

それを欲しいか? 欲しくないか? はむしろ、
お金の問題より、感情の問題。
感情的に「どうしても欲しいもの」ならば、
金に糸目はつけないはず。だから、
ワールドカップのプラチナチケットが、オークションで高値で売れる。

時間についても、それを、ただ単に
「忙しい。時間が無い」と、一言で片付けてしまうのではなく、
その根本的原因を考え、感情の面でも分析しなければならない。

つまり「時間が無い」という言葉を、さらに細分化してみるということ。

・それをやる気が無い。
・その作業が嫌い。
・あなたに付き合う気分じゃない。
・他に優先したいことがあるだけ。
・時間はあるが、他人にあげたくない。
・関わりたくない
・本当は、それほど、好きじゃない


どんな人間でも『死ぬまで永遠に忙しい』ということは有り得ない。
もし、そんな張り詰めた生活をしている人がいたら、
超人である。

家族のため、恋人のため、など、感情的に優先されるものならば、
どんなに仕事が忙しくても、なんとかして、時間を空けようとするはずだ。

逆に、どうでもいいイベントなどに関しては、たとえ暇だったとしても、
「ちょっと時間的に厳しいかな・・・」と、断る。

誘いを断りたい時の、当り障りの無い言い訳としては、それで十分だろう。
しかし、自分自身の夢、やりたいことを先延ばしにしている理由を
「時間が無い」という一言に集約してしまうのは、実にもったいないことだ。

サラリーマンは、人生の時間の多くを、会社に束縛されていると考えている人がい
る。
しかし、その束縛されている時間も、あなた自身の貴重な時間であることに
変わりは無い。

会社に居る時間は、ボーっとしていたほうが、残業代が儲かるというのも一理ある
が、
それでも、自分の人生の時間として捕らえたときに、そのほうが、長期的に見て、
本当に得だと言えるだろうか?

あなたにとっての「時間が無い」とは、本来、どのような意味なのか?
それを、感情のレベルまで落とし込んで分析してみると、
もっと、有効活用できる時間が見えてくるかもしれない。
そうすれば、会社での仕事への取り組み方も、大きく変わってくるだろう。

(次回につづく。)

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